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生き《る》ことが仕事=子どもの駆け抜ける1日 ~絵本『さる・るるる』~

『さる・るるる』、五味太郎 作、絵本館、1979年11月

[絵本《SHORT》紹介]


Ⅰ.唖然とするほど少ない文字数と場面数による疾走感

通常の絵本は32ページのものが多いが、この絵本は24ページである。対象読者の年齢設定が低いためかも知れない。

しかも、ただ1箇所の見開き画面の言語情報(12文字/中黒点「・」をカウントすると15字)を除けば、ほぼ全ての見開き画面の言語情報は、
 [さる・~る]
という平仮名4文字(中黒点をカウントしても5字)だけで構成されているのだ。

そんなわけだから、絵をじっくり見せながら、ゆっくり読み聞かせても、かなりの疾走感とともに最終ページに到達してしまう。

初見でいきなり読み聞かせした場合、言葉の響きや猿のユーモラスな絵に大喜びする子どもを尻目に、大人の読者は「何なんだ、これは?」と、戸惑ってしまうことだろう。

そりゃまあ、なにせ、幼児向けの《言葉遊び》の絵本だから……。いやいや、とは言っても、この絵本、なかなか侮れないのである。

ところで、出版社のホームページにある紹介文は次の通りで、作家自身のメッセージも掲載されている。作家のメッセージは、上のリンクから飛んでご覧いただきたい。

「さる・くる」「さる・みる」「さる・とる」
愛嬌たっぷりのさるが「る」のつく動詞だけで見事なストーリーを展開します。
1979年初版のロングセラー絵本。
おかげさまで親子孫3代でファンという方がおおぜいです。
リズムのよさと、何といってもさるの表情がおかしくて、この人気はとまりません。

「さる・るるる」1979年11月1日付記事、絵本館ホームページ

Ⅱ.『さる・るるる』の物語概要

表紙を見ると、椅子の上に片足で立っている猿の姿が描かれている。本作品は横書きなので、右から左へとページを繰っていくのだが、いわゆる絵本の進行方向(右方向)とは逆向き(左向き)に立っていることになる。

そして、扉(内表紙)を見ると、タイトルと作家名の下に、ベッドで上半身を起こした猿の姿が描かれている。猿の顔と体は、先に触れた絵本の進行方向(右方向)を向いている。

出版社のホームページで《ネタばれ》のものを、まず取り上げておこう。
扉のページをめくると、見開き画面に「さる・くる」の文字と、左端に右方向へ向かって歩く猿の絵が配置されている。すなわち、《猿・来る》だ。

次の見開き画面は、左ページに「さる・みる」の文字、右ページに果物の木を見上げる猿の絵が描かれる。猿が木の実を見ているから《猿・見る》。

次の見開き画面には猿が木の幹を蹴っている絵があり、落ちてくる果物の形から、それがリンゴだと知れる。

ただし、ヘタと実の形から私はそう思ったのだが、本作品の絵は背景の一部以外モノクロで、果実も彩色されず白色であるため、もしかすると、リンゴではないかも知れない

さらにページを繰ると、次の見開き画面に「さる・とる」の文字、たくさんのリンゴが落下する様子とそれを全身(頭・口・手足・尻尾)で受けとめる猿の姿が描かれる。リンゴの実を《猿・取る》である。《穫る》でも可。

この後、リンゴを売り(鹿が買う)、兎が持っていた竹馬とリンゴを交換し、その竹馬に乗ってフラミンゴと競走する。

ところが、途中、竹馬の片方(右側)が折れてしまい、猿は落下して負傷する。傷口に薬を塗布〔とふ〕し、絆創膏〔ばんそうこう〕を貼って、傷めた右手・右足に包帯を巻き、右手を吊る。

奥付の前にある最終ページで、猿は右手・右足に包帯を巻いた体をベッドに横たえる。

ラストに至るまでずっと、絵画情報における猿の顔と体は(兎と向き合う画面を除けば)絵本の進行方向(右方向)を向いて描かれていた。また、言語情報については、先に4文字(中黒点を入れて5字)だと述べたが、「さる・」に続く文字「~る」は全て2文字の動詞である。

Ⅲ.子どもの《生》との同調

いまや私も《じぃじ》の仲間入りを果たした。じぃじ・ばぁばの言葉として「子どもは泣くのが仕事」とか「子どもは生きるのが仕事」とかいうフレーズを、あなたも、かつてどこかで耳にしたことはあるだろう。

食物摂取や排泄などをはじめとして、安心・不安、快・不快など、0歳~3歳の乳幼児は、基本的に現在〔いま〕を軸に生きている。

泣いていた赤ん坊が次の瞬間には笑う。転んで痛がっていた子どもがやがて立ち上がり、また元気に走り回る。他の子と喧嘩したと思ったら、いつの間にか一緒に遊んでいる。これって、私たち大人も通ってきた姿である。

もちろん、成長とともに、私たちは、過去への後悔「あの時、こうすればよかったのに」や、未来への不安「これからどうしたらいいのだろう」などを抱え込んでしまうようになるわけだが、この絵本で選び取られた言葉は「くる」「みる」「とる」……「ねる」と、全て現在形だ。

しかも、2文字という潔さゆえに、過去形や否定形を挟み込む余地すら感じさせない。

子どもたちは「さる・くる」「さる・みる」「さる・とる」という言葉のリズムや次の言葉の予測、猿のユーモラスな表情や行動を楽しむ。しかしながら、さらに付言すると、実は、眼前の現実をただ《いま、この瞬間》として受容する猿の姿は、子どもたちの1日の《生》とも同調〔シンクロ〕していたのである。

ともあれ、行動して何かを得たり、誰かと競り合ったり、はたまた何かを失ってしまったり、それで時に傷ついたりするというのは、子どもたちのみならず、私たち大人もまた直面するところだ。

先述のごとく最終ページには傷ついてベッドに横たわる猿の姿が描かれていた。そこで、その絵を見た後、改めてもう1度、扉絵に戻ってみよう。

そうすると、ベッドの絵のつながりで、睡眠によって猿が休息をとり、回復して起き上がる姿のように見えてくる。そして、ページを繰ると、再び「さる・くる」……と、新しい1日・新しい現在〔いま〕が始まるのである。

『さる・るるる』のシンプルな動詞選択は「起きた現実は変えられない。それを受けとめて、次の行動を起こそう」というエールのようでもある。

過度に悩みすぎて、時に立ちすくんでしまう私たち大人読者へのエール。すなわち、余計な思考の逡巡〔しゅんじゅん〕を削ぎ落とし、良きも悪しきも未練や執着抜きでニュートラルに受けとめる。そして、しっかり休養をとってリセット(回復)したら、またシンプルに新たに動きだす。そんなふうに捉えて、前向きにタフに生きるパワーをもらってよいだろう。

まあ、すべてがそう簡単にいかないことも、私たちは知っているけど、ね。ただ、高齢者になってみると、過去・未来より現在〔いま〕という視点で世界を見がちなので、即時的・即物的ながら、そこはかとなく『さる・るるる』の猿の《生》に私は共感してしまうのだ。

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