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#05_石を叩けば丸くなるとは限らない【深み】

はじめまして おとなの現代文 です

数々の恋愛経験をしてきたスナックのママや、多くの修羅場を潜り抜けた筋者の方など、これまでの人生経験の豊富さでが人の深みであると感覚的に捉えられているでしょう。

しかしこうした経験の豊富さは人間の深みとなるのでしょうか。

今回は、「深み」について考えていきます。

矢印の方向

今まで私の短い人生の中で圧倒的なカリスマ性があった人の一人に高校時代の後輩が挙げられます。

その後輩は高校2年生の時点で母親が3人、父親が4人おり、その当時も血のつながらない4人目の父親と2人暮らしで、その父親もほとんど家に帰ってこないという環境で生活していました。

そして彼は高校生とは思えないほどの思考、態度、先見眼を持っており、周囲の大人たちを含めてもその思考は圧倒的に異質でした。

例えば確実にスタメンになるためにポジションを変更したり、部の強化の為にフィールド内外にフォーカスし、新たな役職を考察したり、チームのグルーヴを高めるために部活外での調和を求めたりと、本来顧問が行うような内容を考え実行し、常に少し先の未来を見据えて行動していたのです。

こうした周りの動きを読み取り、未来を予測し、そこに必要性を見出し自分のできることを事前に当てはめにいくといったことができるのは高校生の部活動レベルにおいては普通の能力ではありません。

これを当時17歳の高校2年生が平然と行い、「自分はこれが得意だからやるよ。自分が苦手なことはみんながやってね。」と平然といま持ち合わせる能力で役割分担を行う力も持ち合わせる人物でした。

むしろこうした能力は現代のビジネスシーンにおいて最も必要な能力かもしれません。

そしてこの後輩の能力はそのバックボーンからくる経験であると判断しそうですが、こうした人間の深みの正体とは考察力や観察眼であり、牽いては「考える能力」なのではないでしょうか。

では考える能力とはどのような能力なのでしょうか。

ただ考えることとは違うのでしょうか。

考えることとはすなわち思考することであり、考える能力とは、思考するその方向性が正しく線を描いているということです。

つまり整合性が取れている思考であるということです。

例えば、ビジネスシーンにおいて大きな商談があり、それが破談となった場合、通常の社会人はまず自分の対応にミスがなかったを考え、この問題の根幹は自分が起こしたミスであるという自責思考で問題を捉えます。

こうした考え方は自責思考と呼ばれ、自己啓発関連の界隈では自分に矢印を向けた考え方が善であり、上記の例のようにまず自分のミスに対して矢印を向けることが普通として認識されるでしょう。

しかし上記の例でいえば契約内容や他社の動き、自分以外の担当に粗相がなかったかなど、自分以外にも様々な問題があるはずです。

もちろん真っ先に自責することは大切ですが、問題の原因には様々な要因が絡み合っており、自責によって炙り出された自身の問題は、原因を全体的に捉えた際に大小あれどそのほんの1つに過ぎないということです。

そしてそもそも自責思考という考え方は反省意識を自重するという意味合いが強く、責任意識を高めることが目的であり、問題解決のための考え方ではありません。

ではこの場合どのようなことが考える能力であるかというと、自責や他責という単一方向で物事を捉える考え方ではなく、自責も他責も含めた全方向に対して矢印を向け、絡み合う出来事を同時に捉えることです。

簡単にイメージすると点と点を線で繋げるということです。

上記の商談の例で説明しましょう。

あなたは大きな商談が破談に終わりました。
契約内容をよく見返したところ契約年数は若干短いですが、先方にリターンが多い内容でした。
あなたはなんとか巻き返しができないか先方の担当者に話を聞きに行くと、担当者に「私個人としてはあなたの対応が本当に真摯で悩みました。しかし弊社では今回の一件は長期プロジェクトとして考えており、上層部は契約年数を重視しています。」と説明されました。
後日、先方は他社と同様の契約を長期で結んだ噂が界隈で流れました。

さてこうした背景があったとして今回の商談の問題点を整理していきましょう。

まず先方は自社以外にも他社とも同様の取引内容で話が進んでいました。

そして先方は今回の商談では目先のメリットよりも関係性の構築を重視しており、そのカタチとして年数を重視した契約内容を希望してました。

しかし先方の担当者はあなたの真摯な対応を気に入っており、自社と他社での契約を悩んでいました。

こうした背景を打合せや商談の際にうまく感じとり、一つの物語を見ることができれば結果は変わっていたでしょうか。

そしてここでいう「点」とは各々であげられる問題点のことであり、「線」とはこうした問題点をうまくストーリーにするということです。

ここで重要なのは描くストーリーが都合のいいものに湾曲されておらず、背景を含めた正確なストーリーであるということです。

ファクトフルネスにあらゆる可能性を考慮し、それぞれの問題点を一連の線として捉えることが考える能力には必要であるということです。

深みのある人間

では改めて人の深みとはどこから生まれるのでしょうか。

深みのある人間をイメージした時、明るく振るまう素振りもあれば、少し暗い側面も存在する印象はないでしょうか。

ユーモアがあり意外とブラックジョークも通じたり、実は博識であったりなど、意外な一面も存在しているかもしれません。

考える能力が高い人はその矢印の向きがそれぞれ均一の力に向いているのであれば、その力量をすべてひとつの方向にした場合、その人の思考力はどれほど深く物事の理解ができるのでしょうか。

そしてその最大の力量で自分に矢印を向けた場合、どういった結果をもたらすでしょう。

こうした自分自身に強い矢印を向ける人をしばしば自己愛が強いと表現されますが、自分自身を否定している場合、自己を愛しておらず、むしろ拒絶しているのではないでしょうか。

もしこれが慰めの意味合いであったとしても、自己を拒絶した経験がない場合、それは慰めではなく凶器へとなるでしょう。

拒絶の裏返しとして愛情という表現が用いられますが、これも裏ではなく比較対象にない別次元の要素となるのではないでしょうか。

そしてよく言われる自責思考の本質とは自分を責めることにあります。

これは基本的には自己批判から導入し、その後解決策を講じますが、その問題の根源を人格と結びつけさらに批判していけば、最終的に自己否定のループに入り、自分の存在を拒絶するでしょう。

そして自己嫌悪に苛まれ自傷行為や自殺する選択を取ることもあるでしょう。

考える能力が高ければ高いほどその能力の方向性を間違えると破綻してしまうということです。

しかしこうした自問自答を繰り返すことはアイデンティティの画一にもつながります。

自分という存在を深く理解し、最大限に表現します。

否定された自分たちは奥底に沈殿し、その沈殿が散り積もり、自分を構築します。

いくつもの自分の屍を超え、自分の世界観が醸成され、こうしたアイデンティティこそが深みの正体なのです。

アイデンティティが表面に見え隠れすると明るく振る舞っているのにどこか暗さを感じるや意外とブラックユーモアが通じたりという普段とのギャップを感じます。

人間の深みとは考える能力によって画一されたアイデンティティが表面化することで見える現象であり、これまで多くの殺した自分が深く沈殿していき、その人がこれまで歩んできた軌跡は、様々な側面を魅せてくれているのかもしれません。

そしてそれを「経験」という言葉で片付け、バックグラウンドを理解しないのは敬意がないように感じるのは私だけでしょうか。

人の深みはその人がかもし出す醸成されたアイデンティティであり、そのアイデンティティの画一には考える能力が必須と言えるのではないでしょうか。

あなたは深み」についてどう考えますか?

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