レーシックで人生変わった私に、数年後まさかのことが起きた
レーシックを受けてから数年後、私の右目に異変が起きました。
「見えないのか?」から始まったコンプレックス
小学5年生の夏の夕方、一列に並んでノックを受けていた。打球が飛んできた。
目の前でいなくなった。
顔面に当たっていた。
これを3回も繰り返してしまった。
守備は得意だった。それなのに・・・
バットを持ったコーチが大声で
「見えないのか?」
「はい!」
「グラウンドを走ってろ!」
「はい!」
意味も分からず、一周した。何も声をかけられない。
また一周、また一周と・・・それから練習が終わるまで、ひたすら走り続けた。
正直に答えたのに。
程なくして眼鏡をかけるようになった。当然、小学校ではひやかされる。「メガネザル!」「大橋巨泉!」コンプレックスの始まりだった。
都合の良い情報だけを探して
社会人になって、しばらくたった。
その頃はソフトコンタクトが主流になり、眼鏡とコンタクトを使い分ける生活になった。
それから何年も経ったころ、レーシックが流行った。
タイガー・ウッズもレーシックをやったと雑誌で見た。
レーシックについて集められる情報を集めた。
悪い情報も集まってくるが、そこは見ないことにした。
自分に都合の良い情報だけを探して。
転職の面接で東京に行くことが決まった。
これはまたとないチャンスだと思った。
当時は東京でのレーシックの値段は、地方と比べると桁違いに安かった。
そのクリニックについても、都合の良い情報だけに目を向け、自分の意思を固めた。
手術前日、検診の予約時間の少し前、会場に着くとおびただしい人数の客が待っていた。
眼鏡から解放されると考えると、不安よりもわくわくが止まらない状況だった。
手術の当日もあっけないほど流れ作業だった。
同時に何人か待合室にいて呼ばれたら部屋に入る。
覚えているのはそこまでで、あとは、術後の目薬、紫外線に対する注意等の説明で、ホテルに戻った。
翌日の朝、目が覚めると想像以上の快適な視界が広がった。
眼鏡を探さなくてよい朝の始まりだった。
術後は目薬が手放せなかったり、ゴルフのラウンドができなかったりと不便もあった。
でもそんなことは一時のことであって、苦ではなかった。
右目の異変
2~3年後。
なんか右目が見えづらいような気がしてきた。
ここから先、私の右目は思いがけない経過をたどることになります。
一度は最高の視界を手に入れた私が、なぜ右目の視力を失い、そしてどうやってそれを取り戻したのか。
レーシックを受けた人、これから受けようと思っている人に、どうしても知っておいてほしい話をここに書きました。
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