エッセイ「デレク・ベイリーに詳しくはありませんが…」

タイトルの通り、デレク・ベイリーのことは少ししか知らないが、佐々木敦さんがまとめてくれた『即興の解体/懐胎』などから得たことを少し書いていこう。そしてその話を自らの行っている四行詩の活動に着地させたい。

デレク・ベイリーは、「こうなったらこうくる」というような、例えばコード進行のことを「イディオム」と呼ぶ。例えば多少音楽を習ったことのある人ならわかると思うが、「ファ」→「ソ」→とくれば「ド」ときてしまうものだ(専門用語ではサブドミナント、ドミナント、トニック、そして「解決」などと呼ばれるが、そのへんはまあいいだろう)。要するにこうきたら次こうくるよね、とそれ通りになれば、オーディエンスの期待は満たされるわけだが、ベイリーはそれを裏切りつづける道を選んだ。一回裏切るのではなく、一音一音、全部裏切るのだ。そうした結果(彼のCDを聴いてもらえばすぐわかるが)“あのような”演奏になる。大衆からの支持が得られないのはほぼ確であるが、とは言ってもベイリーは巨匠の扱いを受けている。インプロヴィゼーションの道を極め尽くした偉大な先人だからだ。

ボロが出る前にベイリーの紹介はこれくらいにして、私自身が行っている四行詩の話に移ろう。四行詩も、理念としてはこういった裏切りの連続で成り立っていてほしいものであると思っている。この語のあとには絶対この語は続かないだろう、ということの連続。まあ読んでいただければおわかりの通り、実際にはそううまくはいっておらず、悪い意味で“適度な”詩になってしまっているものが多いかもしれない。自作の出来に納得がいかないときは、ベイリーを聴くようにしよう。ここまで振り切ってやってしまっていいのか、と自信を持つために。

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