【ピアニスト】H ZETT Mについて
雑誌『ユリイカ』の「現代ピアニスト列伝」という特集号が2010年に出ている。発売されてすぐだったかは忘れたが、とにかく私はそれを買って読んだ。その中で誰かのインタビューだったか記事だったか(本当に記憶が曖昧なのだ)、以下のようなことが言われていた。あるピアニストのコンサートに行ったらその人が全体の演奏の中でたった一音だけミスタッチをしていて、楽屋挨拶のときに「あそこ、間違えたね」みたいに指摘してやった、と…。そのエピソードが「プロの音楽界ってこんなもんやで」的な自慢げな調子で書かれていたことは強く覚えている。私はそれを読んで、
「なんてくだらない世界!」
と思った。非常に率直な感想である。
初めてH ZETT M氏のコンサートに行ったのが、その読書経験より前だったかは忘れたが、その付近であったと思う。都合10回は行っていると思うが、その中でも最も印象的なのは、入院中に一時的に外出許可をもらって行ったコンサートだ。そこで聴いた「Akatsuki」の演奏は現在YouTubeでも聴くことができるが(その日付を見たら2012年7月13日と記されてあった)、それはそれは素晴らしい演奏だった。
今日書きたいのは別のコンサートのことで、場所は成城ホールだった。PE’Zや東京事変のキーボーディストとしての彼を知る者はわかるとおり、彼は超絶スピードで鍵盤を叩くように弾く。すると何が起こるか。当然手が限界速度を超えるとミスタッチが起こる。H ZETT Mがすごいのはここからだ。(ピアノを4年しか習っていない私から見えた印象であるが)彼はミスタッチをすると、「そっちについていく」のである。つまりミスして押した音を軸としたキーに曲を変えていってしまう。カラオケでよく「キー」のボタンを上げたり下げたりすると変な感じになるが、それがつねに行われている感じなのである。ミスを誤魔化すどころか、それを自らの爆速演奏によって発生させ、そこを起点に曲を構成していく。ご本人が認めるかどうかはわからないが、少なくとも私にはそのように感じられた。
そう考えてみると、H ZETT M氏に見えている世界と、私が冒頭に挙げたピアニストが見ている世界はまるで違うことになる。後者にとっては、88鍵のうち「正しい音」と「間違えた音」の二種類がある。これは一般的なピアノ観でもあるだろう。しかしH ZETT Mにとって、88鍵のうち、いつどんなときにどんな音をどんな風に叩いても、いいのである。そういうピアノヴィジョンでピアノの前に座っている人がいるだろうか。もう一度繰り返す。どの音をどのタイミングでどう弾いても正解なのである。これは思考の中に吹きわたるきわめて自由な風ではないか。私たちは「正解」「不正解」という観念に縛られ過ぎている。そのことに、彼の演奏を聴いて私は気付かされた。
