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燃え盛る地獄の炎の中、赤鬼の前を美しい女の白い影が通りすぎました。女は何かを探すように、あたりを窺っております。
 
いかにしてこの焦熱の底へ辿り着いたのかは分かりませんが、見咎めた獄卒の鬼は、すぐさま女を捕らえました。
 
何しろここは地獄でございます。
「現世でよほどの非道を働いた悪女に違いない」と獄卒は鼻息を荒くしましたが、どうにも他の亡者たちとは様子が違っているのでございました。
 
女は怯えるどころか、澄み切った瞳で獄卒の恐ろしい顔をまじまじと窺い、小首を傾げてこう尋ねたのでございます。

「白は、どこにおりましょうか」
 
聞けばこの女、生前はたいそう可愛がっていた「白」という犬がおりました。
 
女が十歳の時に死に別れてしまいましたが、自分の死後は必ず白を探しに行こうと、固く心に誓っていたのだそうです。
 
女は見た目の通り、生前の行いも大変よろしかったので、死後は真っ直ぐ極楽へ昇りました。
 
しかし、極楽には美しい蓮池と玉蟲色の蜘蛛がいるばかりで、白はおろか、犬猫の一匹もおりません。困り果てた女は、蜘蛛に尋ねました。

「白という犬を探しておりますの。死んだ犬はどこにいるのでしょうか」

すると蜘蛛は答えます。
「極楽には犬猫はおりませんよ。死んだ獣は、地獄の底の畜生道へ落ちる決まりでございます」

「では、私もそこへ白を探しに参りましょう」
女があっさりとそう言うものですから、蜘蛛は艶めかしい複眼を瞬かせ、不思議そうに尋ねました。

「しかし、あなたはどうやって地獄の底へ降りるおつもりで?」
「あら、いじわるね。あなたの糸で降りて行くに決まっているじゃありませんか。『蜘蛛の糸』というお話で、私、ちゃんと存じておりますのよ」

女はそう言うが早いか「さあさあ」と急かすように極楽の蓮池へ蜘蛛を連れ出し、黒真珠のように丸く膨れたその腹を、繊細な手つきで優しくさすりはじめました。
 
蜘蛛は、はじめこそ身をよじって抗っておりましたが、やがて微かな吐息を漏らすと、堪えきれなくなったのか、尻の先から勢いよく銀の糸を吹き出しました。

女はその糸を伝い、するすると地獄の底へ降りてきたというわけでございます。


さて、獄卒といえども地獄の役人でございますから、女の突拍子もない言葉を鵜呑みにするわけには参りません。

「少し確認してくるゆえ、しばしここで待っておれ」と命じ、獄卒は閻魔大王の元へ走りました。

報告を受けた閻魔様は、しばらく腕を組んで思案しておりましたが、やがて「そんな事があるかね?」と、周りに控える獄卒たちの顔を見回して意見を求めました。
 
しかし獄卒たちは、皆一様に腕を組み「むぅ」と低く呻いて首を傾げるばかりで、誰一人として口を開こうとしません。

閻魔様は、目を瞋らして「何か意見はないのか」と迫りましたが、獄卒たちは相変わらず呻き声を繰り返すばかりです。

「まったく、これだから役人は」
閻魔様は吐き捨てるように言うと、若い青鬼に浄玻璃鏡じょうはりきょうを用意するよう命じました。
 
 

「閻魔様、準備が整いました」
青鬼の報告を受け、閻魔様は浄玻璃鏡の設営に不備がないかを丹念に点検いたしました。
 
青鬼は、閻魔様からお褒めの言葉をいただけるのではないかと期待に胸を膨らませ、体を揺らしながら鏡のまわりをソワソワと歩き回っていました。
 
しかし、閻魔様から返ってきたのは期待していた言葉ではありません。
 
万が一の念のためにと「もう一人、別の女の亡者を引き立ててまいれ」と、ただ次の命令を下されただけでした。
 

浄玻璃鏡の前に、白を探しに来たというあの美しい女が立たされました。
 
鏡の表面はしばらく水面のようにゆらゆらと揺れておりましたが、やがて静まると、そこには変わらず笑みを湛えた美しい女が映し出されております。
 
ただ、鏡の像は幾分若く見えました。閻魔様と青鬼は顔を見合わせました。

「お前、鏡の霊脈を繋いだか?」
「はい、確かに繋ぎました」

青鬼は浄玻璃鏡の裏側を指差し確認しながら、何度も首を縦に振ります。

「では、そっちの亡者を映してみなさい」
 
閻魔様に促され、今度は髪の乱れた醜い女の亡者が鏡の前に立たされました。鏡の像はやはりゆらゆらと揺れ、やがて、骨と皮ばかりの餓鬼のような姿が映し出されました。

「変わったと言えば変わったが……どうも変化が乏しいな」

閻魔様が、そうこぼすと、青鬼は頭を掻き、申し訳なさげに耳をペタンと寝かせ身を縮めました。

「この婆さん、元が餓鬼みたいな風采をしておりますから、よく分かりませんね。相すみません」
 
「もう一度、ちゃんと見てみなさい。悪事が映し出されておらぬではないか――」
閻魔様は舌打ちをし、苛立ちを隠そうともせず青鬼に命じました。

青鬼は慌てて浄玻璃鏡の仕掛けを組み直し、不備がないかと自ら鏡面を覗き込みました。
 
その時でございます。

「白!」
女が、弾かれたように甲高い声を上げました。

見れば、鏡の中には青鬼の厳つい顔ではなく、きょろきょろと辺りを見回す、一匹の愛らしい白い犬がちょこんと座っていたのでございます。