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#115【日々徒然】赤城温泉へ一泊旅行。にごり湯と赤城山の夏

母の体力が戻ってきたので、前々から行こうと言っていた一泊旅行に、夏休みを利用して行くことにした。
行き先は弟に丸投げした。
私が案を出すと、母はことごとくダメ出しをする。弟は一人暮らしで、旅とゴルフ好き。離れて住む弟が決めれば母も文句が言いにくい。車の運転を頼むという遠慮もある。

弟が選んだのが群馬県の赤城温泉で、母は、「赤城山の中腹にある」温泉宿と聞いて難色を示した。
いわく、熊が出る。

いや、そうそう出るもんじゃないだろうし、車から離れなければ大丈夫だと説得した。母はしぶしぶ納得したようだった。
ニュースで連日熊被害をみているものだから、山に入れば熊と遭遇すると思っている。

赤城山中

山道を車で上っていくと、車窓の外は木、木、木。剣豪小説を思い出しては、こんな山の中で修行とか無理だろ、寝食どうする、などと考えた。遭難事故のことも考えた。山ってどうしてか「死」のイメージがある。考え過ぎか。

山の中腹の宿から眺めた森林

にごり湯の宿 赤城温泉ホテル

宿泊先は「にごり湯の宿 赤城温泉ホテル」。

山道途中の踊り場のような場所に車を停め、急な坂を下ったところにホテルがあった。木々が生い茂っていて全体像はよく分からない。が、どうも、崖に沿うように建っているようだった。
中に入ると和モダンで、山の中の温泉宿、からイメージしがちな、古びた感じはなかった。シティホテル並みに快適だった。

赤城温泉は、近世には「湯之沢温泉」と呼ばれていたらしい。開湯時期には諸説があって、元禄2年(1689年)と推定される前橋藩主・酒井忠挙の書状には、湯を利用する人が増えたため湯小屋を設けるよう命じた記録が残っているとのこと。古くから「上州の薬湯」として、湯治に使われてきた温泉だった。

にごり湯

温泉は、公式情報によると、源泉は本来無色透明で、空気に触れると茶褐色に変わるお湯。
なので、湯蓋を外せば濁った液体が波立っていた。これに入るのかと、ちょっとびびった。ゴミのような、もとい、炭酸カルシウムを主成分とする、湯の花がわいていた。
泉質はカルシウム・マグネシウム・ナトリウム、いわゆる炭酸水素塩温泉で、源泉温度は43度。ぬるめで、長湯するにはちょうどよかった。

私が泊まった部屋(別邸「さくら」)には客室専用の内風呂があり、森林の緑を眺めながら、スマートフォンで本を読んで長湯した。館内Wi-Fiも入った。
一方、弟は客室の風呂には入らず、館内にある四種類の貸切風呂を回っていた。

内風呂

赤城温泉ホテルには大浴場がなく、「桃・碧・藍・瑠」という四つのかけ流し貸切風呂がある。2024年に改装されたもので、予約不要・無料。空いていれば利用でき、それぞれ造りも違っていた。弟によれば、「全部違って良かった」とのこと。

私と母は、内風呂で本を読みながら長湯し、弟は館内で湯めぐりをした。山のなかの温泉宿、他にやることはなかったが、不思議に退屈しなかった。

大沼(おの)と国定忠治

翌朝7時半、朝食をいただいた。別邸さくらには専用の食事室がある。ほかの宿泊客を気にすることがないのは良かったが、なんだが分不相応な感じもした。
チェックアウトは11時。お風呂には十分浸かったので、少し早めに出発した。
山頂へ向かい、カルデラ湖の大沼を目指した。

大沼は「おの」と読む。標高約1,350メートルにある赤城山最大のカルデラ湖だった。
土産物店が並び、集団で走るランナーも多かった。さびれた山頂を想像していたので、にぎわっていたのは意外だった。

国定忠治の肖像を刻んだレリーフ像もあった。

赤城の山も今宵限り

国定忠治は江戸時代後期、現在の群馬県伊勢崎市国定町に生まれた博徒・侠客だった。天保の飢饉で農民を助けた任侠として後世に語られ、講談や芝居、映画などを通じて赤城山と結びついた人物として知られる。

夏でも山頂付近は涼しく、湖畔は歩きやすかった。

大沼と、赤城神社へ渡る橋と、弟

帰ってみて

旅行から帰ると、母が「足の具合が良い」と顔を明るくした。

二年前の抗癌剤の影響で、母は足の指先が曲がりにくく、曲げると痛みがあった。それがなくなったという。
温泉効果か、プラシーボ効果か。

道中、事故なく事件なく、旅行前には熊に怯えた母は終始機嫌よく。野生動物に遭わず、鳥も鳴き声のみで姿は見えず。蝉しぐれと、川のせせらぎが耳に残る、しばらくぶりの旅行は上々だった。

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