わたしのハトやすめ―治療所おたる―
わたしのハトやすめ―治療所おたる―
小樽アオバト情報局
月刊おたる 令和7年12月号掲載エッセイ
問診と治療方針
2023年夏から体調を崩し始め、翌年11月に20年間勤めた職場を辞めた。頑張っても1日3時間しか眠れない、脳疲労で考えはまとまらずに言葉も出てこないことがあるし、ずっと右半身に痺れがじんわりと走り同じ姿勢が保てない。
だが自転車に乗れるので疑問に思っていたところ腰椎間板ヘルニアの診断が下された。過緊張も関連しているという。2000年代後半から「休むわけにはいかない」と病院にも歯医者にもいかず、2015年に自分を奮起するために、小樽の情報を発信する「小樽アオバト情報局」をはじめてひたすら走り続けたので、無茶がたたったのかもしれない。ヘルニアに関しては症状が痺れのみで、対処療法ができず手術するしかないと勧められたが、身体にメスを入れることは避けてリハビリに努めることにした。
休めば、今までできなかったことができるだろう。やりたかったことをやろうと思っていたら、家にいても眠れない上に布団から動けず心身にはよくない。外出すると体力を使い切り、帰宅すると寝たきりだ。度重なるトラブルもあって、アオバト情報局としての活動も辛いものになっていた。
無理やり荒療治をしようとしたが、同じことを繰り返す未来が見えて、まずは時間がかかってもいいから治そう。動けなかったら無理をせずに自分を優先しよう。今しかできないことをしよう。小樽の土地で小樽の土地に集う人に会おう。そう決めた。
治療中 いちばんのくすり
できる限り街の息吹を感じに、そして人々の生活を見ようと杖を片手に街へ出た。雪解け後は、自分の大事な歩行器でもある自転車が機動力を上げて多くのものに触れさせてくれた。
良くも悪くも変わらない町、マンネリな小樽とも言われるが、世の中も小樽も動いている。姿が変わっていくのは第三埠頭が顕著だ。ピカピカな新築の観光船ターミナルと、取り壊された観光船ターミナルと望楼。取り壊された跡地は新たな活用のために準備が進められている。春先は「主がいなくなろうと、私には関係ありません」と言わんばかりに旧保健所の桜は昨年と変わらずきれいに咲き誇っていた。クルーズ船が訪れた時は、写真撮影や犬の散歩に訪れる人たちを眺め、都通り商店街や花園方面の商店街のいつも以上に商売に励む人々、いつもより多い人通りに喜ぶ人々を眺めた。
さらに今年8月の月刊おたるに詳細を書かせていただいたが、閉業した喫茶コロンビアが残した2000個以上のマッチと共に街を巡り、人々と人々の想い出に出会った。初夏にお会いした写真家の岡田明彦先生と喫茶叫児楼の佐々木一夫マスターが話す昭和30年代の小樽に想いを馳せながら一緒に街を歩いたのも良い刺激だった。
人々がどんな生活をして、イベントや祭りごとに取り組んでいるか、楽しんでいるか。小樽以外の人はこの光景をどう見ているのか。何に心を動かされ、キラキラと瞳を輝かせるのか。そして今の小樽から落ちてしまいそうなものを拾いながら、自分は仙人にでもなったかの気持ちで、周りの様子を見させていただいた。今までもやってきたと自分では思うが、丁寧に再確認する時間が必要なのだと自分では思っている。
治療中 たくさんのおいしゃさん
8月の後半、中央市場では「喫茶叫児楼」の開店に向けて準備を進める佐々木マスターの姿と、研究のために小樽を訪れていた法政大学社会学部教授の堀川三郎先生の姿があった。堀川三郎先生は運河保存運動を学問にまで昇華させた方でもあり、バンド「サカナクション」のボーカル山口一郎さんにギターを教えた方でもある。実力に裏付けられた自信と厳しさの反面、お茶目なトークや紳士的な振る舞いが印象的だ。何度もお会いする機会があり、小樽の歴史や観光に関しての話も含めて親交を深めた。9月になって先生が東京へ帰る日に偶然にもオーセントホテル前で出会うことが出来た。
話をしていると70代くらいの男性が自転車を押して歩いていた。押している自転車は本格的なマウンテンバイク、男性の恰好から旅慣れていることが見て取れた。以前、マウンテンバイクを自分で組んで乗っていた堀川先生は男性に話しかけ、カスタマイズをしているかなどディープな自転車トークを繰り広げる。ひとしきり話し終えた堀川先生が満足げにオーセントホテルの中へ消えると、男性が私に向かって口を開いた。「どうしてこ
の通りは、榎本武揚がいっぱいいるんですか?」
小樽と榎本武揚の関わりを簡単に説明すると、その男性は目をまあるくして驚きながら「僕ね、実は榎本武揚の末裔なんです」今度は私が目をまあるくする番だった。その男性、小泉さんの母は榎本武揚の孫だが、わけあって小泉姓を名乗ることになったようだ。今回の北海道一周旅行で榎本家ゆかりの場所に訪れていたが、小樽が縁ある場所だとは知らなかったという。自分は榎本家に詳しくなく、今回は同行を断念した妹さんが詳しいのだと話しながら、見せていただいた写真や話に出てくる親族の名前は、実際に書籍にも載っている。これもなにかの縁なので、都通り・静屋通り・梁川通り・龍宮神社を案内することにした。
小泉さんは、都通りにあるプレート、龍宮神社にある案内板などを興味深そうに、そして懐かしそうに読まれた。龍宮神社の境内にある植樹の表札を見て、政治家の麻生太郎氏の名前を見て驚いたり「母を榎本家のお墓に入れてほしかったんだけど、断られてしまってねぇ…」と目を細めておられたのも印象的だった。
一通り案内を終えて喫茶叫児楼に立ち寄ると、小泉さんは連絡に追われた。妹さんや多くの知り合いが道中を心配して連絡してくれるのだと、穏やかに笑いながら言った。多くの方に愛される人柄はご先祖譲りだろうか。そんなことを思った。小泉さんは榎本武揚について調べたいことがあり、榎本武揚を研究している方を佐々木マスターに紹介してもらっていた。調べものが解決すること、これからの北海道の旅の無事を願い、別れることになった。
治療経過
仕事を辞めて1年経ったものの、身体の方の回復は遅々としている。しかし、気持ちの整理や、小樽に関わるいろんな風景や人が助けてくれているのは確かだ。完治まではいかなくとも、動けるようになるまで、小樽という古くて新しくて、小さくて大きい治療所にお世話になろうと思う。これも後に私の人生の中で風のひと吹きの年月でしかないのかもしれないし、遠回りをしているとも思っていない。次はどんな治療に出会うのか楽しみだ。
最後にひとつ、小泉さんには「龍宮神社の冬景色をお送りします」と約束したので、これからの季節の楽しみがひとつ増えたことを記しておきます。
あとがき
「エッセイを」と言われて一気に書いたエッセイです。現在の私について問われることが多いので、名刺代わりのエッセイになるなと思いました。街を歩けば、めぐりあうまち、おたる。
今年は積雪量が少なく、小泉さんにはまだ冬景色はお届けできていません。来年の楽しみですね。
掲載した12月号はもう配布終了している(在庫があれば手に入るかも)のと、下記のお知らせもあって急遽掲載。近いうちにこの記事は消すかも??
お知らせ
2025年~2026年
NHKのゆく年くる年に龍宮神社が出るようです。
年末年始に放送されるNHKの「ゆく年くる年」に龍宮神社が全国生中継されることになりました!
1月1日0時ごろより放送されます。龍宮神社より全国の皆様に、龍宮の神様のご利益と元気を届けようと思います。御神輿も境内にて担ぎます。お餅もお配りいたします。是非、ご家族皆さまで、NHK「ゆく年くる年」をご覧ください。
日 時 1月1日 午前0時 龍神天昇祭(社殿)
1月1日 午前0時05分 龍神舞、獅子舞、松前神楽(重要無形民俗文化財)の奉納
「ゆく年くる年」の生中継
尚、お正月記念の授与品も年明け限定100名にお渡しします、是非この機会にお納めください
テレビで、現地で、小樽の「ゆく年くる年」見ませんか。
