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弓と自分、あるのはそれだけ。

息子の部屋に転がっていた『凜として弓を引く』(碧野圭・著)、続編の『凜として弓を引く 青雲篇』を読んだ。

高校生の少女が弓道に出会って成長する物語。
1冊目は地元の弓道場に通い初段に合格するまでのお話。
同期の無口な美少女と急速に友情を深めるわけでもなく、憧れの爽やか青年と急接近して恋仲になるわけでもない(これはこれでリアルだ)。でも世代を超えた仲間や先輩たちの指導のおかげで主人公は自分を見つめ直して着実に成長していく。

2冊目の「青雲篇」は、学校に弓道部(同好会)を発足させて仲間と奮戦するお話。実はかつてその学校には弓道部が存在していたのだが廃部になっていた。主人公たちは部としての体勢を整えていく中で、偶然にも廃部の理由を知ることになる。

弓道ならではの用語、作法のやり方など、弓道に触れていないとイメージしずらい点が多いが、弓道初心者にはきっと格好の入門書になりそう。



1冊目の帯にある

「弓と自分、あるのはそれだけ。」

この文言、先日初めて大会を見に行ってなんとなく伝わるものがあった。
団体競技として、おそらく一連の作法を揃えたり間を合わせたりといったことはあると思うのだが、弓を引く時は一人一人が的に向き合っていた。
しん、とした。きりりと弓を引く音。
パンっ!…ズドっ!
順番に流れるように五人(あるいは三人)が矢を放っていく。
的中した時の掛け声や拍手もあったけれど独特の競技だと思った。


さて、弓道そのものを知らなくてもハッと考えさせられる部分もあった。
弓道場の大ベテランの男性の言葉

射をするときには『ててやろう』という意識をしにしてはいけません。そういう姿勢は醜いとされているんです。

「中(あ)てて」のふりがなはこちらでつけました。 

な、な、ななんと……!
現実問題、なんとか大賞とかなんとか大将は狙いに行かないと難しいと思うんだけど。あ、待てよ。

フルートでハイDデー(最高音のドより上の音、たまーに出てくる)を出す時はやっぱり「その音を当てにいきたい」って気持ちが出てきて力んで肩も上がっちゃったりする。でもそうするとブボっ!と息だけの残念な結果になることが多い。あえて自然体自然体と言い聞かせて楽に楽にしていた方がスコーンといい音に当たる気がする。
て、同じレベルで語っていいのだろうか。


小説に戻ると、その大ベテランの男性は弓道の教本の言葉「的にとらわれるのは美しくない」という言葉を引き合いに出すのだが、教本を鵜呑みにして形だけを真似するのも正しい在り方ではないと言う。

自分の射がどういうものかは、毎日修練して自分でみつけねばなりません。畢竟ひっきょうそれが弓を引くことの意味だと私は思っています。

主人公の少女はこの男性の言葉に今ひとつ納得できない。
わからないことの答えを探し続けること。
この小説のさらなる続編があるのかはわからないけれど、これは主人公に与えられた「弓道」からの大いなる宿題なんじゃないだろうか。

と思ってたらこの小説続編が出ていた!
「初陣篇」と「奮迅篇」。
復活させた弓道部のお話ぽいですね。
作者さんは「書店ガール」シリーズの方だそうです(不勉強でこのシリーズ存じておりません。ドラマにもなっているんですね)。
続編も読んでみよう。


それはごきげんよう!


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