星と海と花火と波と 『汝、星のごとく』感想文
凪良ゆうさん原作の『汝、星のごとく』が今年映画公開されると知り、続編の『星を編む』とあわせて一気に読んだ。読んでしまった。
2023年本屋大賞受賞作。
人生が詰め込まれた密度の濃い作品だった。
十七歳で出会った暁海と櫂。二人の十五年間にわたる物語。(続編ではさらにその後のストーリーが語られる)
家庭に問題を抱えた二人が惹かれ合い、すれ違っていく切ない恋愛小説なのだけど、自由と自立がしっかり描かれた人生の物語だと思う。
★
舞台となる瀬戸内の海の描写が印象的だっただけに、読後、タイトルが海ではなく星であることが一瞬意外に思えた。
この場合の「星」とは真夜中に燦然と輝く星のことではなくて、夕暮れ時の一番星のことを指している(と思われる)。
暁海の鼓膜には、櫂のこんな声がいつまでも残っている。
夕星やな。
夕星とは夕暮れどきに現れる金星のこと。宵の明星。
昼と夜のあわい。西の空に薔薇色と紺色が混ざり合う時間帯。
昼でも夜でもない宙ぶらりんの一刻は、自由と不自由のはざまだったり、大人でもなく子どもでもない時節とも重なる。
夕星がポツンと放つ輝きは、孤高であるからこそ迷いの季節には道しるべとなり、あるいは理想や切なる希望の具現化と見えるかも知れない。
一方瀬戸内海は、昼間は凪いだ穏やかな表情をしているが、夜は底知れぬ深淵をのぞかせる不気味な存在として描かれる。
そもそも瀬戸内海そのものが、古い価値観に縛られプライバシーのかけらもない島に主人公たちを閉じ込める檻のような役割を果たしているのだ。
「星と海」の関係は、続編『星を編む』の第一章「春に翔ぶ」の扉絵の「鳥と鎖」に当てはまる。鎖から放たれて大空へ飛翔する鳥は、閉ざされた島から飛び立って自分らしく輝く生き方のことでもある。
続編まで通して見渡せば、登場人物それぞれが古くさい鎖を引きちぎろうともがいていて、それを見守り支える人もいる。見る視点によって両者どちらもが星や鳥になり得ると思う。
「汝、星のごとく」。なんと美しいタイトルだろう。
★
海についてもう一点面白いと思ったのは、暁海が自分の中にも海があると表現していることだ。(文字通り名前に「海」が入ってるけどそういう意味じゃなくて)
わたしの中に制御できない海がある。一時も平穏を保てず、なのに表面上は何も変えられない。
穏やかな凪は停滞した不毛な現実の写しであり、処理できない鬱屈した感情が海底で人知れずうねり続けている。
高校卒業後、暁海と櫂は遠距離恋愛をしていた。次第に暁海の心に重苦しいあきらめや絶望が沈澱していく。読んでてここは身につまされた。
東京で華々しく活躍する恋人に比べ、何者でもない自分。親の尻拭いをさせられる理不尽、職場での女性社員の隷属的な扱い。
「かわいげのある女」をよしとする女性蔑視に通じる価値観を嫌悪し、男性と対等でありたいと願うが櫂にはそれが通じない。
★
その後いろんなことがあって暁海は自らの意思で島を出ていくことになるのだが、このとき自分を育んできた故郷の海の美しさに暁海は初めて気づくのだ。
暁海の背中を押してくれた北原先生とのやりとりも含めて、この一連の場面に静かな感動を覚えた。
自立とは自由とは。正しさとはなんぞや。何を選んで何を捨てるか。捨てていくものの価値や重さを知ることの尊さよ。
さらに続編『星を編む』の最終章「波を渡る」では、歳を重ねた暁海が、かつては自分を閉じ込める檻だった瀬戸内海を、穏やかさと懐の深さの象徴とみなすようになる。
本編の忘れられない花火シーンともリンクして、命の煌めきと揺蕩う波間が目に浮かび胸がいっぱいになった。
読んでよかった。素晴らしい作品だった。
【つけたし感想文】
どのキャラが好きかと問われたら「北原先生」と答える人が一定数いるのではないでしょうか。北原先生は暁海たちの高校の先生で、不器用ながらも芯のある大人。陰に日向に二人をサポートしてくれます。
続編のなかで北原先生が学生時代に「触媒」の研究をしていたことが明かされます。触媒とは、
自身は変化せず、他の物質が化学反応を起こすきっかけになったり、その反応速度を促進させるものです。
まんま北原先生やんけー!(と思った読者多数。)
その先生が続編で少しずつ変化していく様子にちょっぴりドキドキしました(これってそゆことだよね?みたいな)。
映画公開が楽しみです。映画を見てからまた読み返したい。
暁海は櫂との関係を「愛と呪いと祈りは似ている」と言っているのですが、再読したらそのあたりのことを書けたらよいな〜と思ってます。(自分には一生わからないテーマのような気もする笑)
サムネ画像は いたみゆい様にお借りしました。
それではごきげんよう!
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