魂がギュギュッとする体験
都市伝説好きの小学生が、数十年を経て都市伝説好きのオバサンになった。
あ、ちょ、ブラウザバックしないで。
Youtubeも都市伝説花盛りである。私はUFOや古代文明が大大大好物なのである。
小学生の時に友人たちとUFO研究会なるものをやっていたが、一度UFOを呼んだか何かで友人たちが「見えた見えた!」と喜んでいたが私だけ極度の近視でまったく見えなかったという記憶がある。
さて、絵本作家の「のぶみさん」という方が子どもの胎内記憶を話しているチャンネルがある。胎内記憶というと「雲の上に赤ちゃん学校があって白い髭の神様がいて…」とか「雲の上からママを見ていた」とかそういう類のはなしである(ちなみにうちの息子はまったく話してくれなかった)。
最近は未来予知をするお子さんもいるそうで、だんだん「信じるか信じないかはあなた次第」という様相になっているようだ(都市伝説好きとしてはこれはこれで興味深い)
未来予知とは違うのだが、少し前の動画で「なぜ生まれてくるのか」についてこんな風に話しているお子さんがいた。
悲しかったり寂しかったり魂がギュギュッとする経験をするためなんだよ
よく「人は幸せになるために生まれてくる(生きている)」と言われるけれど、それと比べるとなんとシビアな発想だろうか。
「幸せになるために」も「魂ギュギュッ」もどちらも正しいんだと思う。
「幸せになるために」は希望のあるブライト(光)サイト、「魂ギュギュッ」はブライトサイトの反転した陰陽で言えば「陰」のサイト。あるいは見えない因果も含めた人生一往復の考え方というか。
『NARUTO』で言えばナルトがブライトサイトでオビトが陰サイト。
『指輪物語(ロードオブザリング)』だとフロドが光でスメアゴル(ゴラム、ゴクリ)が陰、みたいな。(なんのはなしだろう)
誰でも幸せを目指して、人によっては成功を目指して人生ゲームを進めていくけれど、うまくいっても行かなくても、魂がぐちゃぐちゃになりそうなアンハッピーな出来事でさえも素晴らしい経験なのだということだと思う。
そうは言っても魂ぐちゃぐちゃ体験はできれば経験したくない。
空襲で親兄弟を失った私の母は「神や仏がいるのならなんで肉親を奪ったんだ」と鬼の首を取ったように神仏不信論者であることを主張していた(いまはそういう発言はまったくない)。
これから人生が花開く年代ではないけれど、人生の最終コーナーまではあと数周ありそうな自分としても魂ぐちゃぐちゃ体験の覚悟はやっぱりできていない。
ああ、オチもまとめもできなくなってきた。
人生のまさかはやっぱり想定しておいて損はないと思う。
私の場合、ダンナと息子のまさかが一番想定してないし、したくないことである。ちなみにわたし、引き寄せの法則はあまり信じていないのです。
サムネ画像はmindlessさんにお借りしました。
それではごきげんよう!
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