7話「最後のTip Offそして….」
〇 劇的な試合会場(4年春・フレッシュ大会)
アスファルトに撒かれた水が蒸発するような、強烈な摩擦音が床から弾けた。
キュッ! キュッ! ディフェンスに入った相手チームの4年生は、キョーヤの放った急激なチェンジオブペースに重心を奪われ、まるで見えない大質量に撥ね飛ばされたかのように、コートの板張りの上へ無様に転がった。
ドッと沸きかけた会場が、一瞬で凍りつく。
その静寂の重心に、4年生になったばかりのキョーヤがいた。
ディフェンスが崩れ落ちた刹那の空白を、飢えた肉食獣の如き嗅覚で突破する。
そのままゴール下へと猛然と突っ込み、ブロックに跳び上がった同学年の影を空中でふわりとかわした。
指先がボールに触れる、その最後の1ミリまで完璧にコントロールされた球体は、バックボードの白い四角を優しく叩く。
吸い込まれるように、乾いた音を立ててネットが揺れた。
直後、鼓膜を破らんばかりの電子ブザーが、体育館の天井を激しく震わせた。ビーーーッ。
実況「し、試合終了ーーっ!! 最終スコア……いや、それよりも驚くべきは 本日全3試合、彼1人だけで叩き出した得点、計66点ーーーっ!!」
観客席から、地鳴りのようなざわめきが急速に広がっていく。
「おい、なんだあの子は……」
「同級生相手に1対1なんて、ハナからまともな試合になってねえよ」
ギャラリーの片隅、逆光の影に身を潜めるようにして、私は腕を組んで静かに唇の端を上げた。
多くの大人たちはこれを「突然変異の天才」と片付けるだろう。
だが、違う。断じて違う。
この圧倒的な初速も、大人の常識を嘲笑うかのような変幻自在のトリックプレーも、すべてはキョーヤが4年生の春を迎える前――3年生の『あのクリスマスの夜』から、私が楽しいを追求してきただけの結末なのだ。
〇 自宅・リビング(3年前・クリスマスの夜)
チカチカと不規則に明滅するクリスマスツリーの傍らに、城砦のように積み上げられた巨大な箱。
当時3年生だったキョーヤが、目をこれ以上ないほどギラキラと輝かせながら、色鮮やかな包装紙をビリビリと豪快に破り捨てていた。
キョーヤ「うわあぁぁ! パパ、これ全部、本物のNBAのマークが入ってる!!」
箱の暗がりから次々と飛び出してくるのは、普通のバスケキッズでは逆立ちしても手に入らない極上の代物ばかりだった。
私がネットの深層を這いずり回って手配した、NBA認定の公式室内用5号球。
さらに、特定の子しか持っていないような、激レアな公式室内用5号球がもう1球。
さらに、外でボロボロになるまで使い倒せる室外用の5号球も2球。
それだけではない。
NBAのロゴが厳かに刻まれたバンダナ、腕の筋肉を引き締める漆黒のアームスリーブ、大容量のスポーツバッグ、包まれるような特大のバスタオル。
すべてをNBAの系譜で埋め尽くした、圧倒的なまでのプレゼント。
キョーヤ「NBAスタープレイヤーの限定バッシュ……!! すげえ、すげえよパパ! これ、本当に僕の!?」
当然、目をこれ以上ないほど輝かせてキョーヤが歓声をあげる。
お父さん「うん、お前の部屋も、持ち物も、全部NBAで埋め尽くしたぞ。明日からパパと、2人きりで使える体育館に行くぞ。思いっきり遊ぼうぜ」
キョーヤ「うんっ!!」
そこから私は、キョーヤと家族だけの体育館や、軽くボールで遊ぶ程度の許可がある施設を借りて、キョーヤと2人3脚で「楽しいバスケ」を試みれる極上の状態をデザインした。
一番肝心な「学校の宿題」だって、頭ごなしに勉強を押し付けたりはしない。
父親である私が、遊びながら勉強できるように、ネットの海から「算数すごろく」や「国語すごろく」を印刷してきて、家族と一緒にすごろくで遊びながら問題を解いていたのだ。
お父さん「よしキョーヤ、サイコロを振って! 4が出たな。じゃあ、このマスの計算問題を解いたら進めるぞ!」
家族みんなでリビングに集まり、ゲラゲラと笑いながらすごろくの目を進める。
そうやって家族で一緒に楽しみながら問題を解いていけば、義務であるはずの宿題なんて、気づけば笑顔のまま霧散しているのだ。
私は子供の経験がある親だ。だからこそ、最初から「ダメだ」と子供の欲求を否定したのは、キョーヤが一番最初に「バスケをしたい」と言い出したあの瞬間だけ。
そこから先は、スマホだって、誰よりも先にキョーヤに買い与えた。
普通の親なら「子供にスマホなんて持たせたらろくなことにならない」と、まず持たせない。
だから子供は飢餓感を募らせ、隠れてやってしまうのだ。
子供の性質上、最初にスマホを与えることで、同級生や上級生が物珍しそうに寄ってくるのは自明の理。
「すげー! すげー! キョーヤ、もうスマホ持ってるの!?」
そうやっておだてだす。当然、子供だから調子には乗る。
けれども、毎日毎日新しいものを見つけては学校で自慢するしかないので、どこかで必ず燃料切れを起こして疲れてくるのだ。
そう、周りの同級生や上級生は、キョーヤ自身が凄い訳ではない。
ただ「スマホを自由に使える環境」が良いだけで、 「これ調べて」「あれ調べて」「もっと面白いもの見つけてきて」 と、都合よく要求してくるだけなのだ。
もう分かりますよね。そうです。
キョーヤは子供ながらに、「自分自身ではなく、スマホがあるから利用されてるんだ」ということに、自ら気づく訳です。
しばらくすると、あれだけ執着していたスマホが、リビングの机の上にぽつんと放置されるようになった。私はそれを見計らい、何気ないトーンで聞いた。
お父さん「どうしたキョーヤ、スマホやらないのか?」
息子はめんどくさそうに首を振った。
キョーヤ「調べて調べて、見つけて見つけてって周りがうるさいし、自分で調べろや、って思ったから飽きた」
最初から「ダメ」と言うと、余計に子供は「なんとかして触りたい」という欲求が強く出て、寝ている間や無意識のうちにこっそりパスワードを記憶して、知らない間に触るようになる。
今、世間で大きな社会現象になっている「ロブロックスの課金問題」なんかも、原因はすべてこの親の過度な禁止が生み出した欲求のバグなのだ。
ゲームも同じ。私の家はゲームし放題。宿題すれば基本は2時間まではゲームOKで、ただし私が言ったのは「30分に1度、5分間だけは目を休めて」と、それしか言ってない。
だから今現在も彼の視力はまったく落ちていない。ゲームもやりすぎるとつまんなくなる習性を知っているから、最初に買い与えていた。だからと言って、このやり方を他人が真似する必要なんて全くない。
結果として、すべてが「バスケ」に繋がっていればよかっただけ。これも、専門的な言葉を使えば「コーディネーション・トレーニング」と言えば、ただそうなるだけの話なのだから。
〇 少年団の体育館(4年春・フレッシュ大会)
キョーヤはただ、父親が用意してくれた最高の環境に満足していた。
そして、2人3脚の特訓で自分がどんどんバスケが上手くなっていく姿を、日々の練習の中で当時の6年生たちに、技を披露して親に教えてもらっていることをどこかで話していた。
キョーヤ「これね、家でパパに教えてもらった技なんだよ!」
その状態のまま、4年生になって最後の「フレッシュ大会」に出場する日がやってきた。
いつもなら、後輩たちの試合には6年生が総出で応援にやってくるのが少年団の常だった。だが、私は大会の前、6年生たちの元へ行き、こう頼んだ。
お父さん「みんな、明日のフレッシュ大会の応援は来なくていい。選手の皆さんたちにとってはこれが最後の1年。応援なんかで時間を潰す暇があったら、自分たちの練習をしてほしい。1分でも長くボールを触ってて」
6年生「えっ……コーチ、いいんですか? ありがとうございます!」
自分たちのことを一番に考えてくれた私への感謝を胸に、6年生たちは体育館で技を磨いた。
そして迎えた、フレッシュ大会。 結果は、言うまでもなかった。
コートに立ったキョーヤは、たった1人だけで、3試合で66点という異次元のスコアを叩き出したのだ。
もはや、同級生のディフェンスでは、彼の持つ圧倒的なスピードに対して1対1ではついていくことすら不可能な状態になっていた。
それだけではない。
高学年が混ざる「普通の大会」であっても、キョーヤが第2クォーターにコートへ入ると、空気が一変する。
鋭いドライブで一瞬にして相手のディフェンスラインを切り裂き、そのまま自らシュートを決める。
あるいは、大人の発想を遥かに超えた、変幻自在のトリックプレーを次々とやってのけるのだ。
その圧巻の光景を目の当たりにした瞬間、客席で見守っていた6年生の子供たちの目が、驚愕からある「確信」へと変わっていった。
6年生の団員「……なぁ、やばすぎじゃん、キョーヤのプレー。少年団の練習じゃあんなの絶対に教えてねえぞ」 別の6年生「間違いない。キョーヤのお父さん……裏できっと、凄いことばかり教えてんだよ」
そして、ギャラリーで見守る6年生のお母さんたち。バスケに関しては完全な素人の彼女たちの目から見ても、キョーヤがみるみるうちに、恐ろしいほどの速度で上達していくのがはっきりと分かった。
「あのお父さん、一体、裏で何を教えているの……?」
〇 体育館の片隅(数ヶ月後・秋の大会前)
やがて、私たちが秘密の自主練をしているという情報が、6年生たちや保護者の間に静かなクチコミとなって伝わっていった。
「あのお父さんの特訓を受ければ、うちの子も変わるかもしれない」 そうして、西の子は火曜、金曜。東の子は月曜だけ、後に金曜も隔週で参加するようになっていった。
集まってきた6年生たちも、私のメニューによってみるみる上達していった。
しかし、相変わらず私は「アシスタントコーチ」の立場を崩さず、公式の練習では一歩引いて、静かに彼らを見届けることしか出来なかった。組織の規律を乱さず、影に徹する。それが私のスタンスだった。
だが、秋の大会が間近に迫ったある日の練習後。
1人の6年生の母親が、周囲を気にするようにしながら、張り詰めた足取りで私の方へ歩み寄ってきた。
サワジリ母(仮名)「あの……お父さん。ちょっと相談があるんですが、今お時間よろしいですか?」
本コーチがすぐ近くにいる中で、なぜアシスタントコーチの私に? 一瞬はそう思った。
けれども、コートの隅で重苦しく俯いている彼女の息子、さわじり君の姿を見てすべてを察した。
あの小さく丸まった背中――その子も、本コーチではなく、私に気づいて欲しかったんだろうと思い、私は静かに答えた。
私「はい、何でしょう」
サワジリ母(仮名)「……実は、最近あの子、フリースローが完全にスランプに入ってしまって……。家で親が『どうしたの?』って聞いても、『うるさい!』って殻に閉じこもっちゃって。ちょっと反抗期にもなってるみたいで、どう接していいか分からないんです……」
サワジリ母(仮名)は、今にも決壊しそうな目で私を見つめた。
私「なるほど」
実は、私はとっくの前に彼の異変に気づいてはいた。
だけど、自分はあくまでアシスタントコーチ。
しゃしゃり出るわけにはいかないという想いが強く、これまでは見守るしか出来なかったのだ。
だが、こうしてサワジリ母(仮名)からの切実な言葉を受け取った。私は力強く頷いた。
私「分かりました。お母さん、私から直接聞いてきますから、ちょっと待っててください」
私は踵を返し、ゴール下でポツンとボールを抱え込んでいるサワジリ君のところへ向かって歩いていった。 彼の真横に立ち、何気ない調子で、だけど心の奥底に届くように声をかける。
私「ねーねー、さわじり君。最近フリースロー入んなくなってんでしょ? 見ればわかるよ」
さわじり君はビクッと肩を揺らし、驚愕の混じった顔で私を見上げた。
サワジリ「え……? コーチ、見てたんだ」
私「うん、ずっと見てたよ。でも大丈夫。2つの形を覚えればいいから」
サワジリ「2つの形……?」
私「そうだよ。1回目はいつものシュート。もしそれで入らなかったら、2回目はこれから私が教える別のシュートを打てばいいから。入んなくてもいいからさ、『こんくらいかなー』っていう軽い気分で打てば大丈夫だから」
サワジリ「……うん」
拒絶に満ちていた彼の目が、微かな光を取り戻す。私は彼の肩をポンと叩いた。
私「よし、ちょっとこっちおいで」
私は彼を、他の団員たちが騒がしく練習している喧騒から引き離し、体育館の静かな隅へと案内した。
私「サワジリ君、これから教えるのはね、中学校へ行くと必ず使うようになる『セットアップシュート』っていう、いわば奥義だから。今はまだ感覚を掴むまでの軽い気持ちでいい。『決めよう』とか、そういう余計な事は一切考えず、『これくらいかなー』の感覚で打てばいいからな」
サワジリ「……セットアップシュート。でも、小学生はセットアップシュートをあまり教えないんだよ……ね?」
私「そうだね。何でだと思う?」
さわじり「何で?」
私「今の時期はね、人間の人生の中でたった1度しか訪れない『ゴールデンエイジ』って言ってね。その人生で一番大切な時期に気づいているコーチしか、このシュートは教えないんだよ」
さわじり「へぇー……! そうなんだ……!」
初めて聞くその言葉の響きに、さわじり君の顔に純粋なワクワクが混ざり始める。
私「今のサワジリ君はね、身体が大きくなる成長期のど真ん中にあるんだ。今まで普通に出来てた事が急に出来なくなったり、逆に、今まで全く出来なかった事が突然出来るようにもなる、少し難しい時期なんだよ。だから大丈夫。今まで習ってない新しいシュートだからこそ、ポンと入るかもしれないからさ」
さわじり「うん!」
彼の言葉から迷いが消えた。張り詰めていた心の枷が綺麗に吹き飛んだように、サワジリ君は満面の笑みになった。
少し離れた場所からその光景をじっと見守っていたお母さんは、息子の数日ぶりの笑顔に、そっと目元を拭って涙ぐんでいた。
私はサワジリ君にボールを持たせ、そのフォームの軸を確認する。
私「うん、その構え、軸がちゃんとしてるね。やっぱり思ったとおりだ。素質があるよ」
さわじり「本当!?」
私「おう。ここから、流れるように真上に片手でボールを運んで……最後に指先でフォロースルー。なぁ、NBAでもよく使われる技で『フィンガーロール』って知ってる?」
サワジリ君の目が、パッと大きく見開かれた。
サワジリ「あ! 聞いたことある! フィンガーロール……! やったー! 俺、スランプじゃないんだ!」
私は破顔して、彼の頭を叩いた。
私「当たり前じゃん! スランプなんてないよ。成長期だからさ、1センチ身長が伸びるスピードが早すぎて、自分の脳と体がまだ追いつけてないだけだから。何にも心配いらない、大丈夫だよ」
サワジリ「やった!! 俺の技、NBAクラスかー!」
私「そうだね、スキル的にはNBAの入り口にはいるかもしれないね」
サワジリ「俺、これ絶対覚える!!」
意気揚々とボールを構え直すさわじり君の背中を確認すると、私は「よし、頑張れよ」と言ってその場を後にした。
体育館の出口に向かう私の元へ、お母さんが小走りで寄ってきた。深く、何度も頭を下げながら、震える声で言った。
サワジリ母「コーチ……あんなに嬉しそうにしてるの、ここ12、13日ぶりです……! 本当に、本当にありがとうございます……!」
私は照れくさそうに頭を掻きながら、静かに笑った。
私「あー、いやいや、大したことはしてないですから。ただ、これは子供なら誰でも通る道なんで。ちょっと難しい時期に入ったんだなってことだけは、お母さんも覚えておいてあげてください。もしまた、あいつが壁にぶつかったり、違う道に行きそうな時は、今日の私の言葉を思い出すように、そっと促してみてください」
母「はい……! わかりました!」
母親の横顔からも、完全に不安の影が消え去っていた。
〇 大会会場(秋)
こうして、激動の秋の大会が幕を開ける。
運の良いことに、今回は男子の試合と同じ体育館で、あのけいちゃんたちが戦う女子の試合も並行して行われることになっていた。
キュッ!! ビーーーッ!! 何面ものコートから、同時に激しいホイッスルと無数のバッシュの風切り音が響き渡る。
私は2階のギャラリーの最前列に陣取り、手すりを掴んで身を乗り出した。 ベンチでは本コーチを立てるために押し殺していた声が、ここでは完全に解き放たれる。我が子も、信じて集まってきた10人の戦士たちも、そしてスランプをぶち破ったサワジリ君も、全員が私の子供だ。
私は腹の底から肺いっぱいに空気を吸い込み、体育館の強固な鉄骨が震えるほどのひたすら大きな声で、コートへ向かって吼え狂うようにエールを送り始めた。
私「いけぇぇーっ!! 走れ走れ!! 思い切っていけぇぇーっ!!」
お父さんの、魂を揺さぶる大歓声が体育館に響き渡る中――彼らの運命の秋の決戦が、今、劇的に始まった。
