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「逆井城」ーこれが関東・戦国の城だ!

一歩足を踏み入れれば、そこは戦国時代ー
茨城県坂東市にある逆井城(さかさいじょう)は、発掘調査に基づき忠実に復元された櫓や土塀が立ち並ぶ、『中世城郭』の姿を今に伝える名城です!

城クマ🐻と一緒に逆井城の歴史と魅力を巡る旅に出かけましょう!

戦国時代末期の城郭建築の歴史考証を基に復元した二層櫓。
武骨な感じがかっこいいです。

逆井古城―逆井城のはじまり

古くは南北朝時代の下野国守護の小山氏の一族・逆井氏が1455年ごろに築城したのが始まりとされています。この時築城された逆井城を”逆井古城”と呼び、後年、後北条氏が築城した逆井城と別に呼ぶときもあるようです。

当時この辺りは飯沼という南北30kmにわたる細長く広い沼があったそうで、その沼に囲まれた逆井城はとても堅固なお城だったようです。
ちなみにこの飯沼は江戸時代から昭和中期にかけて開発され、現在は水田地帯になっています。

本家である小山氏は滅亡させられ、逆井氏は徐々に新興勢力だった後北条氏に押されていきます。きっかけは古河公方をめぐる対立だったようです。
この時代の関東の情勢は複雑怪奇です。

1536年、逆井氏はついに後北条氏の家臣・大道寺盛昌によって滅ぼされます。以後、逆井城は後北条氏により治められます。

後北条氏に攻められた際に城主の娘が飛び込んだ伝わる鐘掘池。
数百年前の出来事とはいえ、戦いの当事者ではない人が犠牲になるのは悲しいことです。

後北条氏の重要拠点へ、そして廃城に

当時の関東は大小さまざまな勢力が入り乱れてのスマッシュブラザーズ。逆井城は佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との対立の前線基地となってしまいます。つまり重要拠点です。

1577年、後北条氏は北条氏繁を逆井城の改修工事責任者に任命します。この時に氏繁は職人を呼び寄せ、当時の最新技術を取り入れ新たに築城します。本格的に北関東へ進軍する意思が見えますね。江戸時代の軍記物『関八州古戦録』には当時の逆井城に風魔小太郎率いる忍者集団が300人も拠点としていたとも伝わります。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐です。詳しくは伝わりませんが、他のお城と同様に動員できる兵力のほとんどを本拠地・小田原籠城戦に取られてしまい、大規模な戦闘は困難だったと思われます。
その後、後北条氏は豊臣軍に降伏。逆井城は廃城となり、ここで一度歴史が途切れました。

土塁が見事に残っています。城=石垣と思う方も多いかもしれませんが、戦国時代の関東以北は土塁がメインでした。滑りやすい特有の砂質から石垣に負けず劣らずの防御力だったと伝わります。

公園として整備ー中世にタイムスリップ

現在は公園として整備され、発掘調査に基づき、二層櫓や土塀、櫓門、木橋などが木造で忠実に復元!また土塁や空堀も当時の形状がきれいに残っています!

また、関宿城から移築された江戸時代の薬医門も現存しており、これも見どころのひとつ!

関宿城から移ったとされる薬医門。関宿城は廃藩置県の際に廃城になりました。
この門も一度は民間に払い下げられていましたがここに移築されました。

さらに、物見櫓は内部に入って2階まで登ることができ、当時の兵士の視点を体験できます!

物見櫓2階から復元された木造橋を眺めているクマ。
合戦の時にこの橋を渡るもんなら三方向から矢や鉄砲が飛んできたでしょうね。
それか事前に壊すのかもしれません。

駐車場もお城から近く、そして広いので車で訪れる方には便利!

これでもかというくらい素晴らしいお城です…
何回でも行きたいくらい!

お城に行くと毎回脳内で「城攻めごっこ」をするのですが、
ここはなかなか攻めづらそうですね…
想像の逆井城兵から何度も狙撃されました。

そのくらい約450年前にタイムスリップしたような気分になれるお城です。

近代城郭だけしかお城と思っていないパートナーをお持ちの方も、ここまで建物が復元されていると家族連れで楽しめるはず!
ぜひ行ってみてください!

この記事をAIアシストさんに読んでもらったところ、「好きという勢いは伝わってきました」と感想をもらいました。全くその通りだなと思います🐻

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