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【読了】 #91 『かがみの孤城』

『かがみの孤城』

著:辻村 深月


かがみの孤城を久しぶりに読み返して気づいたのは、この物語が思っていたよりずっと残酷だったということだった。

初読のときは、「居場所を失った子どもたちが救われる話」だと思っていた。鏡の中の城というファンタジーの設定も相まって、孤独な子どもたちが出会い、理解し合い、前を向いていく物語として受け取っていた気がする。でも大人になって読み返すと、この物語はむしろ、“救われなかった時間”の重さを描いているように見えた。

主人公のこころをはじめ、城に集められた子どもたちは皆、不登校という共通点を持っている。ただ、その理由はそれぞれ違う。明確ないじめ、家庭環境、人間関係の亀裂、説明できない息苦しさ。どれも社会の中では「よくあること」として処理されてしまう種類の痛みだ。

大人になると分かってしまう。
学校に行けなくなる瞬間って、劇的な事件よりも、むしろ小さな違和感の積み重ねで起きることのほうが多い。誰も決定的に悪くないのに、確実に居場所だけが失われていく。そのどうしようもなさが、この物語には異様なリアリティを与えている。

鏡の城は優しい場所だ。
時間制限があり、ルールがあり、無理に過去を語らなくてもいい。同じ傷を持つ人間が、ただ存在しているだけで成立する空間。けれど読み返して気づくのは、そこが“理想の居場所”ではないということだ。

あの城は、永遠にはいられない。

むしろ重要なのは、現実に戻らなければならないという前提が最初から決まっている点だと思う。救済は期限付きで、理解は一時的で、関係は必ず終わる。それでも彼らはそこで過ごした時間を抱えたまま現実へ戻っていく。

この構造はかなり冷たい。
人生には、完全に自分を理解してくれる場所なんて存在しない。安心できる居場所はあっても、それは通過点でしかない。『かがみの孤城』は、優しい顔をしながら、その事実を突きつけてくる。

そして大人になっていちばん刺さったのは、「助けられなかった大人たち」の存在だった。教師も親も、決して悪人ではない。それでも子どもを救えない。善意や常識が、ときに孤独を深めてしまう。その視点に気づいたとき、この物語は子どもの物語から、一気に社会の物語へ変わる。

かつて孤独だった子どもたちは、やがて大人になる。
そして今度は、誰かの孤独に気づけない側に立つ可能性がある。

読み終えたあとに残るのは、「よかったね」という安心ではない。
もしあのとき、自分にも鏡があったらどうなっていただろう、という問いだ。あるいは、誰かにとっての城になれなかった時間への、わずかな後悔。

『かがみの孤城』は、傷ついた子どもたちを救う物語ではない。
傷を抱えたまま社会へ戻る方法を、静かに教える物語だ。

だからこそ、大人になって読むと少し怖い。
もう鏡の向こうへ逃げ込むことはできないと知っているから。

それでも、あの城が確かに存在したと信じられることだけが、
かろうじて今を生き延びる理由になるのかもしれない。

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