【読了】 #131 『ここで1球チェンジアップ』
『ここで1球チェンジアップ』
著:エバース
ここで1球チェンジアップ。
野球好きとしては、この言葉だけで少し反応してしまう。
まっすぐ勝負するのではなく、あえて少し外す。
速さではなく、タイミングをずらす。
力で押すのではなく、相手の意識の裏をかく。
このタイトル、かなり佐々木さんっぽい気がした。
エバースの漫才を見ていると、佐々木さんの言葉には独特のテンポがある。
変に気取っていないのに、妙に引っかかる。
普通のことを言っているようで、少しだけ角度が違う。
声の出し方、間、言い切り方、町田さんとの距離感。
その全部が、文章を読んでいてもちゃんと聞こえてきた。
これが一番面白かった。
エッセイを読んでいるのに、頭の中では漫才の時の佐々木さんの声で再生される。
「ああ、これ佐々木さんの言い方だな」と思う箇所が何度もあった。
文章が上手いというより、声がある文章だった。
たぶん、エッセイってそこが大事なのだと思う。
綺麗な言葉で整っていることより、その人が本当にそう喋っていそうか。
その人の目線や温度が、文章に残っているか。
『ここで1球チェンジアップ』には、それがちゃんとあった。
内容としては、佐々木さんの半生をたどるエッセイだ。
野球のこと。甲子園に届かなかったこと。
芸人になること。エバースというコンビのこと。
町田さんのこと。
そして何より、M-1のこと。
でも、ただの成功までの道のりではない。
夢に破れて、次の夢を見つけて、努力して、売れていく。
そう書くと綺麗だけど、この本はもう少し生活の匂いがする。
すごい出来事だけで人はできていない。
意味があったのかわからない時間もある。
あとから見れば遠回りだったこともある。
その時は何にもならなかったような日々もある。
でも、そういう時間まで含めて、今の佐々木さんの言葉や漫才につながっている感じがした。
特に良かったのは、野球とお笑いがちゃんと地続きに見えるところだった。
甲子園に行けなかったことは、きっと大きな挫折だったと思う。
でも、そこで全部が終わったわけではない。
野球で培ったもの。勝負への向き合い方。
チームで何かをする感覚。本番に向けて積み上げる時間。
そして、ここぞという場面で何を投げるかを考える感じ。
それが、漫才にもつながっているように読めた。
ネタって、たぶん配球に近い。
まっすぐだけでは打たれる。変化球ばかりでも読まれる。
ここで何を言うか。どこで間を置くか。
どこで町田さんを活かすか。どこで客席の予想を少しだけ外すか。
エバースの漫才の面白さって、そういう配球の気持ちよさにもある気がする。
この本を読むと、その裏側にいる佐々木さんの頭の中が少し見える。
もちろん全部がわかるわけではない。
でも、町田さんをどう見ているのか、コンビをどう考えているのか、お笑いにどう向き合っているのかが、ゆるく、でもちゃんと伝わってくる。
町田さんへの視線も面白かった。
相方を語る時の文章って、近すぎるぶん難しいと思う。
褒めすぎても変だし、突き放しすぎても冷たい。
でも佐々木さんの町田さんへの書き方には、漫才と同じ距離感がある。
雑に見えて、ちゃんと見ている。
いじっているようで、かなり信頼している。
言葉にしすぎないけど、相方としての面白さを誰よりもわかっている。
この距離感が、エバースらしくて良かった。
そして、この本は全体的に重くなりすぎない。
挫折もある。悩みもある。
うまくいかなかった時間もある。
でも、それを「だから今の自分があります」と綺麗にまとめすぎない。
どこか照れがある。
自分を大きく見せようとしない。
恥ずかしさへの警戒心みたいなものが、文章の端にずっとある。
そこが佐々木さんらしいと思った。
熱い話をしているはずなのに、熱くなりすぎる手前で少しだけ外す。
まさにチェンジアップ。
読者の感動待ちのバットを、ふっと空振りさせる感じがある。
でも、その外し方があるからこそ、逆にぐっとくる。
『ここで1球チェンジアップ』は、芸人のエッセイであり、野球少年のその後の話でもあり、エバースというコンビの話でもあった。
そして何より、佐々木隆史という人の声がちゃんと残っている本だった。
読んでいる間、何度も漫才の時の声が聞こえた。
それがすごく良かった。
文章なのに、マイクの前に立っている感じがする。
まっすぐだけじゃない。でも逃げてもいない。
ここぞというところで、すっとタイミングをずらしてくる。
この本自体が、佐々木さんの投げたチェンジアップみたいな一冊だった。
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