【読了】 #115 『葬儀業〜変わりゆく死の儀礼のかたち〜』
『葬儀業〜変わりゆく死の儀礼のかたち〜』
著:玉川 貴子
まず思ったのは、葬儀ってやっぱり「なくす/なくさない」だけで語れるものじゃないよな、ということだった。
葬儀について話すと、どうしても極端な議論になりやすい。
「葬儀なんていらない」
「お金がかかりすぎる」
「形式ばかりで意味がない」
たしかに、そう感じる人がいるのもわかる。
特に今は家族のかたちも変わっているし、地域とのつながりも薄くなっている。昔ながらの大きな葬儀をそのまま続けることに、違和感を持つ人が増えるのも自然だと思う。
でもこの本を読んでいると、葬儀を単なる商品やイベントとしてだけ見るのは、やっぱり少し違う気がしてくる。
葬儀は、死者のためだけのものではない。
遺された人が、その人の死を受け止めるための時間でもある。
もちろん、すべての葬儀が美しいわけではない。
納得できない費用や、不透明な慣習、遺族の気持ちより形式が優先されてしまう場面もあるのだと思う。
ただ、それでも「じゃあ葬儀はいらない」で終わらせてしまうと、その間にあったはずの大切なものまで一緒に失ってしまう気がした。
この本が面白いのは、葬儀業を感情論だけで語らないところだった。
戦後の変化、地域共同体の変化、家族の変化、病院で亡くなる人の増加、葬祭会館の普及。
そうした社会の動きの中で、葬儀のかたちも変わってきた。
つまり、葬儀が変わったのは、人々が冷たくなったからではない。
社会そのものが変わったから、死者を送る方法も変わってきたのだと思う。
ここがすごく大事だと感じた。
昔は近所の人たちが集まり、地域全体で葬儀を支えていた。
でも今は、そうした共同体が弱くなっている。
その空白を埋めてきたのが葬儀業だった。
そう考えると、葬儀社という存在の見え方が少し変わる。
ただ葬儀を売る会社ではなく、社会の変化によって家庭や地域だけでは担いきれなくなった「死の儀礼」を引き受けてきた存在でもある。
もちろん、そこにはビジネスとしての難しさもある。
人の死に関わる仕事でありながら、料金が発生する。
悲しみの場でありながら、サービスとして提供される。
この矛盾は、葬儀業という仕事の一番難しいところだと思う。
でも同時に、そこにこそ意味があるとも思った。
誰かが亡くなった直後、遺族は冷静に判断できない。
何をすればいいのかもわからない。
その時に、手順を知っていて、場を整えてくれる人がいる。
それは単なる作業ではない。
悲しみが形になるための手伝いなのだと思う。
この本を読んでいて、個人的に強く感じたのは、葬儀はこれからもっと「個人化」していくのだろうということだった。
終活が当たり前になり、生前に自分の葬儀を考える人が増えている。
家族がいる人もいれば、いない人もいる。
盛大に送られたい人もいれば、静かに終えたい人もいる。
その中で、葬儀の正解はどんどん一つではなくなっていく。
だからこそ、葬儀業に求められるものも変わっていくのだと思う。
決まった形式を押しつけるのではなく、
その人がどう生き、遺された人が何を受け取りたいのかを一緒に考えること。
形式を守ることと、想いを残すこと。
その両方の間で、これからの葬儀は揺れていくのだと思う。
『葬儀業』は、葬儀の必要性を単純に肯定する本ではない。
でも、葬儀を不要なものとして切り捨てる本でもない。
むしろ、変わり続ける社会の中で、死の儀礼がどんな役割を持ってきたのかを静かに見せてくれる本だった。
読後に残ったのは、「葬儀って何のためにあるんだろう」という問いだった。
答えはたぶん、一つではない。
死者のため。
遺族のため。
社会のため。
あるいは、生きている私たちが、いつか必ず訪れる死を少しだけ見つめるため。
葬儀は変わっていく。
でも、人が誰かの死を前に立ち止まり、何かを受け取り、何かを手放そうとする時間は、きっとこれからも必要なのだと思う。
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