「さあ、我が子よ」
先日、ようやく小学3年生になった我が子が入団する少年野球チームが決まりました。5チームを見学、体験し、最後は我が子自身に決断させました。そして、昨日からユニホームを着て試合に出ています。
わたしが小学生の時は、通学する学校の「スポーツ少年団」一択でしたし、同学年で25人ほどがいたために、2チームが組まれるほどでした。ちなみに我が子が通う小学校の校庭を使って活動する野球チームはありません。その時点で、親の送迎は決定です。見学したチームは同学年で多くて10人、ゼロというチームもありました。どのチームも良い点はありましたが、最終的には練習時間を含め「親の負担が少なそうなチーム」に落ち着きました。

怒鳴られる。性的いたずら。飲酒運転。
わたしがスポーツ少年団に入ったのは小学4年生のとき。いまから41年も前のことですから、時代が違います。そのチームは保護者が監督、コーチを務めていました。わたしの両親は、わたしの練習、試合を観に来なかったのですが、わたしは当時はちょっと野球がうまかったこともあり、Aチーム(一軍)の試合に出ていました。ただ、親が来ていなかったことがあるのかもしれません。ミスをすると罵声を浴びせられたり帽子で叩かれたり。なんでこんな嫌な目に遭いながら野球をやっているのだろうと思ったものです。わたしはボールが速かったのですが、コントロールが悪かった。ボールを連発すると「ストライクを投げろ!」とベンチから怒鳴られます。「ストライクの投げ方をあなたはわたしに教えたことがあるのですか?」と、今なら言い返します(笑い)。チャンスで打席が回ってきた際に「男になれ」と股間を握られる。思春期に入ろうとする6年生の頃ですよ。気持ち悪かった。さらには保護者が練習後にグラウンドでビールを飲んだうえで車を運転して帰っていく。善悪は子どもでもわかります(※他の保護者からの指摘により、後に飲酒運転は止めました)。とんでもない時代です。野球は好きだけど、小学校で辞めて、中学ではバスケットボール部に入ると決めてました。

結局、野球部に。
しかし、中学でも野球部に入ってしまうのです。小学校の一年上の先輩に「お前、野球部に入るよな」とすごまれ、断れなくなりました。おっかない先輩だったんです。当時、全員が何かしらの部活動に所属しなければいけませんでした(※さらに当時、各務原市内の中学生男子は全員、丸刈りが決まりでした)。で、仕方なく…野球部に入ります。地獄でした。
朝7時から練習。練習といっても1年から2年夏まで、ほとんど野球のボールを触らせてもらえません。いや、ボールを触ることもありました。わたしは投手だったので、2年生からは朝イチでバッティングピッチャーをやらされていました。朝7時から投げるんですよ。あとは走らされるか、球拾いか、そんなもんです。授業が終われば夜7時くらいまでまた練習。練習じゃないですね、先輩の手伝いとストレス発散の相手です。野球、やらせてもらえないんです。あとは水、禁止。夏場に死ぬほど走らされて、のどがカラカラになって、それでも水が飲めない。中学2年夏までが人生で一番疲れ、しんどかった気がします。一度、練習での1年生の態度が悪いということで2年生が集合をかけました(それがわたしを誘った先輩です)。「自分で態度が悪いと思うやつは前に出ろ」と言われ、同級生20数名のうち、17~18人が前に一歩出ました。ちなみにわたしは出ませんでした(練習はサボっていたけれど)。で、次々に殴られていく同級生たち。あ~出なくてよかった。
2年生になり、このときもまだちょっと野球がうまかったわたしは、3年生の試合で投げなければいけなくなりました。それだけでも嫌ですが、試合前に先輩に言われたのが「四球をひとつ出すごとに一発殴る」。試合に出してくれとも頼んでいないのに。結果、わたしは3個くらい四球を与えたはずですがリードした状態で交代。その後に登板したその先輩が逆転を許して負けたことで、わたしはなんとなく暴行を免れました。
最上級学年になって。
2年夏、新チームになり、わたしたちの天下になりました。いい人ぶるわけではありませんが、わたしは「後輩たちが野球を嫌いになったり辞めないようにしてほしい」と思っていました。わたしは投手だったので練習もランニングが中心。グラウンドにいなくても良いので後輩たちの「お目付け役」がよく回ってきました。その時にわたしは「水を飲みなさい」「ランニングは必要だと思う程度でよい」「他の先輩(わたしの同級生)には内緒にしておきなさい」という方針でした。なので、後輩たちの恨みは買ってはいないはず(笑い)。いまだに中学時代の友人は、わたしのことをサボってばかりで要領よくやっていたといいますが、後輩たちのためなのです。
わたしたちの代は岐阜県大会3位まで勝ち進みました。後輩たちは、早く先輩が負けて新チームとなることを心待ちにしているものです。しかし、当時の後輩たちはスタンドから声を枯らさんばかりに一生懸命応援してくれたことをはっきり覚えています。
中学で県大会3位になると、強豪校からのお誘いもあったようななかったような。わたしは普通科高校を選びました。なのでめちゃくちゃ激しい練習をしたわけでもありませんし、時代が変わり水を飲んでも問題ない環境になりました。やっと野球について自分で考えられる時期でした。肩を痛めてイップス(当時はそんな言葉を知りませんでした)になり、全くストライクが入らなくなってしまい、それはそれで辛かったですが…。3年夏、最後の試合・県岐阜商戦でのいわゆる顔見せ、お情け登板のときにはコールド負け寸前の2アウト無走者の場面。でも「ここからストライクが一球も入らないかもしれない」という恐怖との戦いでした。正直に言って、投げたくなかった。

結果、打者が1ボールからの2球目、高めのボール球を打ってくれてサードゴロ。おかげで惨事は免れました。その最後の打者は、中学時代からいつも決勝戦で投げ合って0-1で負けていた、那加中学出身の安田くん。小学校時代から「安田くんは県岐阜商に行くだろう、もしかしたらプロ?」と言われる才能あふれる選手でした。彼は高校2年夏、背番号1で甲子園に出場したものの登板なし。最後の夏は岐阜県大会決勝で涙を飲みました。
わたしの高校時代は1年夏からベンチ入り、長良川球場で行進し、しかもベスト8まで進んだときがピーク。その後は肩が痛い、イップス、ストライクが入らない、試合に出られない、辛いことが続きました。3年夏、もうその頃のわたしはほとんど練習試合に出ていません。当然です。ストライク、入りませんでしたから。監督から「最後の先発登板だ、頑張れ」と言い渡されていた久しぶりの練習試合への出場、そして先発のマウンドは雨天中止。悔しさよりもホッとした自分がいました。
それでも中学2年夏以降は、野球を続けていて良かったなと思うことの方が多いです。なんだかんだ言いながら、46歳くらいまで野球をプレーしてきました。

さあ、我が子よ。
我が子は野球でなくても、サッカーでも、バスケットボールでも、好きなものを選べばよいと思っていました。しかし結果的にわたしと同じ野球を選びました。もちろんうれしいです。毎週のように我が子とキャッチボールをしています。いまだにイップスは治っていないので、近い距離で加減して投げるととんでもない暴投をしてしまいます。我が子にはそんな悩みと無縁で野球を楽しんでほしいです。
水を飲めない、怒鳴られる、殴られる、そんな時代ではなくなりました。とにかくこれから野球をずっと好きでいてほしい。我が子だけでなく、縁あって同じチームになった子どもたちにも、同じ思いです。もちろん勝った方が楽しいです。我が子が入団したチームの指導で、ひとつわたしが好きなことがあるんです。「空振りを怖がらず、とにかくまずバットを振る」という指導。わたしもこれまで我が子にバッティングセンターで言ってきたのは「思い切り振る」、これだけです。少年野球の強豪チームの中にはバントをしまくって相手のエラーを誘い、そして勝つというやり方があるようです。チーム方針なのでそれはそれとしてですが、やっぱりみんなホームランを打ちたいはず。負けることもあります。でも、速い球を投げられるよう練習する、ホームランを打てるよう練習する。それで勝てたら最高です。

中途半端に野球に詳しいわたしですから、口出ししないよう我慢我慢かもしれません。一番大切なのは「みんなが野球が楽しくて好きであること」、これだけです。少子化の7~8倍のスピードで野球人口が減少していると言われています。野球の未来は、子どもたちとその指導者にかかっています。
