震える手を握りしめて
きょうは将棋の話です。愛知県西尾市出身の棋士、柵木幹太四段に会いました。1月22日、将棋史上初の「女性棋士」誕生を阻んだ、最後の試験官です。2勝2敗で迎えた第5局、西山朋佳女流三冠(白玲・女王・女流王将)は柵木四段に敗れ、初の女性棋士誕生はなりませんでした。
「これ、長崎のお土産です」とカステラを渡してくれた柵木四段。気配りができる礼儀正しい青年です。あの日のことを振り返ってもらいました。「女性棋士誕生」を願う世の空気を、柵木四段は肌で感じていました。SNSでいわゆる「エゴサーチ」をして、「良い将棋を見せてほしい」という純粋な将棋ファンの思いを目にする一方で、わずかに飛び込んでくる「柵木四段には負けてほしい」というネガティブな言葉。公式戦ではない一局、でも勝っても負けても注目を集める一局。柵木四段は「いろいろ考えても仕方がない。将棋を一生懸命に指すしかないんだ」と腹を決め、いつも通りに、通常通りに対局への準備を行いました。

当日朝、朝食を取り、詰将棋を解きました。「あっ、きょうは調子が良いぞ」と直感しました。しかし、対局場へ入ると、いつもとは違う自分に驚きました。扇子を取り出そうとする自分の手が、指が、震えているのです。今まで味わったことがない感覚でした。自分が雰囲気に飲まれていると感じた柵木四段は、一度、対局場を出ました。そして、震える自分の手を握りしめました。こんなに注目を浴びて将棋を指すことができる幸せを、震える手を通して実感しました。そして再び対局場へ戻ります。西山朋佳女流三冠が入室したときに、柵木四段はいつもより大きな声で「おはようございます」とあいさつしました。その場の雰囲気を変えたい、支配したいという思いからです(ちなみに記録係に残り時間を聞く際にも、いつもより大きな声で聞いたそうです)。わずかに震えがおさまった両手で駒箱を開けました。
4人目の試験官を務めた宮嶋健太四段から「対局場が寒い」という情報を聞いていました。対局中は上着を脱ぐ柵木四段、あらかじめ室温を上げておきました。対局場の雰囲気とも戦いながら、昼食休憩の時点で、自身が「6対4」くらいでやや有利だと感じました。そして今度は「ここから負けるわけにいかない」と新たな重圧が襲ってきます。
そして、柵木四段は勝ち切りました。初の女性棋士誕生がかかった試験官として、非公式戦でも全力で西山女流三冠を負かしにいきました。終局後の取材で、記者からの最初の質問が西山女流三冠に対してではなく、自身に対してだったことに驚きました。「えっ、わたしですか?」。でも、記者の行動は当然のことでしょう。勝ったのは柵木四段なのですから。震える手を握りしめた朝、そして乗り越えて迎えた夕。「将棋って楽しいな」という原点に立ち返った柵木四段でした。
「持ち時間が5時間なら、100局指せば僕が勝ち越すと思います。でも、1時間なら負け越すかもしれません。それくらいの実力差です。今回の試験はそのあいだの3時間。だから五分五分かなと思っていた」と柵木四段。この対局を含め、なんと1週間で4局も指すという超ハードスケジュール。しかし、柵木四段は順位戦に参加していない「フリークラス」の棋士です。彼も10年以内に好成績を収めてフリークラスを脱出しなければ、引退を突きつけられる立場です。2年が経ちました。必ず、近いうちにフリークラスを抜け出すという強い思いを胸に秘めた試験官。勝った負けただけではありません。「思い」を持って人間が指すから、将棋は面白いのです。

