見出し画像

4時間の純度。

─ 50歳からの人生を、逆算してみた ─

50歳を超えてから、時間の流れをはやく感じるようになった。

耳元で、砂時計の砂が落ちる音が、以前よりはっきり聞こえる。
若いころは気にしなかった「時間の使い方」が、いまはとても大切なことのように思える。

一日は、誰にとっても24時間しかない。

どれほど忙しい人にも、どれほど偉い人にも、どれほど若い人にも、与えられる時間は同じ。そして、一生で使える時間もまた、有限だ。

令和6年簡易生命表によれば、日本人の平均寿命は男性81.09年、女性87.13年。50歳男性の平均余命は32.57年、女性では38.24年とされている。もちろん人生は平均値では語れない。それでも、「時間には限りがある」という事実を、数字は静かに教えてくれる。

私たちはその限られた時間を、仕事に使う。
勉強に使う。
睡眠に使う。
家事に使い、子育てに使い、介護に使い、家族との時間に使い、自分を取り戻すための私生活にも使う。

そして一日の最後に、ふと気づく。

自分のために残っている時間は、思っているほど多くない。


一日の残りは、たった4時間

一日24時間を、ざっくり分けてみる。

睡眠に7時間。
食事に3時間。
身支度や雑務に1時間。
仕事に9時間。

ここまでで、すでに20時間。

残るのは、4時間。

もちろん、これは単純化した計算だ。移動時間もある。急な連絡もある。家族の用事もある。体調が悪い日もある。予定通りにいかないことのほうが、むしろ多い。

だから実際には、4時間すら残らない日もある。

この4時間を、何に使うのか。
いや、もっと大切なのは、何に使わないのか。

50代からの時間の使い方は、足し算ではなく、引き算なのだと思う。


削っていい時間がある

仕事は大切だ。

けれど、仕事の中には、いつの間にか入り込んでくる「削っていい時間」がある。

目的のはっきりしない会議。
結論の出ない打ち合わせ。
相手のためでも、自分のためでもない接待。
断れないだけの付き合い。
なんとなく続いている慣例。
誰も幸せにしていない確認作業。

こうしたものは、一つひとつは小さく見える。

30分の会議。
1時間の移動。
2時間の会食。

けれど、それが毎週、毎月、毎年と積み重なると、人生のかなり大きな面積を占めていく。

しかも、時間の浪費は「その時間がなくなる」だけではない。集中力も奪う。

MicrosoftのWork Trend Index 2023では、68%の人が「仕事中に、誰にも邪魔されず集中できる時間が十分にない」と回答し、非効率な会議は生産性を妨げる大きな要因として挙げられている。

無駄な会議は、会議の時間だけを奪うのではない。

その前後の思考の流れまで、奪っていく。


削ってはいけない時間もある

一方で、削ってはいけない時間もある。

その代表が、睡眠だ。

睡眠は「余った時間にするもの」ではない。米国睡眠医学会などの共同声明では、成人は健康維持のために毎晩7時間以上の睡眠を定期的に取ることが望ましいとされている。

睡眠を削って仕事をすることは、一見すると努力に見える。

けれど長期的には、判断力を削る。
集中力を削る。
感情の安定を削る。
身体の健康を削る。

長時間労働についても、健康への影響は明らかだ。WHOとILOは、週55時間以上の長時間労働が、2016年に脳卒中と虚血性心疾患による74万5,000人の死亡に関連したと推計している。また、週55時間以上働くことは、週35〜40時間労働と比べて脳卒中リスクや虚血性心疾患死亡リスクを高めると報告されている。

「頑張ること」と「自分をすり減らすこと」は、似ているようで違う。

50代から必要なのは、無理をして時間をひねり出すことではない。
自分を壊さない形で、時間の純度を上げることだ。


逆算すると、自由時間は5年ほどしかない

少し冷静に、数字で逆算してみる。

50歳男性の平均余命は32.57年。
仮に、その先の人生で、毎日「自分のために使える純度の高い時間」が4時間残るとする。

すると、こうなる。

47,500時間。

数字だけ見ると、多く感じる。

でも、24時間で割り直すと、わずか約5年分だ。

50歳からの残りの人生すべての中で、自分の意思で澄ませて使える時間は、連続時間に直せば、たった5年ほどしかない。

そう考えると、1時間の重みが変わってくる。

ぼんやりスマホを見て過ぎる1時間。
意味のない会議で消える1時間。
気乗りしない付き合いに使う1時間。

それは、ただの1時間ではない。

残された「5年」の一部なのだ。


子どもとの時間は、もっと切実だ

子どもとの時間も、逆算してみる。

子どもがいつ親元を離れるかは、家庭によって違う。進学、就職、結婚、転居。人生の形はそれぞれだ。

ただ、ここでは少し楽観的に、25歳を「独立の目安」として考えてみる。

子どもが10歳なら、まだ15年あると思うかもしれない。

でも、毎日1時間一緒に過ごせたとして、25歳まで合計しても約5,475時間。24時間換算では、約228日分。

1日2時間でも、約456日分。

連続時間に直せば、1〜2年にも満たない。

しかも、これはかなり楽観的な見積もりだ。

10代後半になれば、部活がある。
受験がある。
友人関係がある。
恋愛がある。
進学や就職がある。

親と過ごす時間は、ある日突然減るのではない。
少しずつ、しかし確実に減っていく。

総務省の社会生活基本調査でも、6歳未満の子どもを持つ世帯では、家事・育児・買い物などを含む家事関連時間に大きな男女差があり、2021年時点で夫は1時間54分、妻は7時間28分とされている。家庭生活は、目に見えにくい時間の積み重ねで成り立っている。

だから、子どもと過ごす時間は「余ったら取るもの」ではない。

気づいたときには、もう戻らない時間になっている。


趣味の時間も、放っておくと消えていく

趣味の時間も同じだ。

走る。
写真を撮る。
本を読む。
音楽を聴く。
映画を観る。
友人と語る。

こうした時間は、生活の中では後回しにされやすい。

でも、人生を支えてくれるのは、案外こういう時間だったりする。

毎日1時間を趣味に使えたとして、30年続ければ約10,950時間。24時間換算では約456日分になる。

一年以上に相当する時間を、走ることに使うのか。
写真を撮ることに使うのか。
本を読むことに使うのか。
それとも、通知とスクロールの中に溶かしてしまうのか。

その差は、思っているより大きい。

趣味は、暇つぶしではない。

自分を回復させる時間だ。
自分の輪郭を取り戻す時間だ。
仕事でも家庭でもない場所で、自分が自分に戻るための時間だ。

だからこそ、趣味の時間にも純度が必要なのだと思う。


4時間を、濁らせない

自由な4時間は、放っておくと簡単に濁る。

通知。
返信。
ニュース。
SNS。
なんとなくの動画。
他人の怒り。
他人の成功。
他人の人生。

気づけば、自分のための4時間が、誰かの情報で埋め尽くされている。

でも、その4時間を守ることができれば、人生は少し変わる。

走りに行ける。
写真を撮りに行ける。
家族と食卓を囲める。
子どもの話を聞ける。
友人に会える。
本を読める。
早く眠れる。
何もしない時間を持てる。

時間を大切にするとは、予定表をぎっしり埋めることではない。

むしろ逆だ。

本当に大切なことが入る余白を、守ることだ。


時間の使い方は、生き方そのもの

時間の使い方を考えるというのは、単なる効率化の話ではない。

それは、

「自分は何を大切にして生きるのか」

を決めることだ。

無駄な会議を減らす。
無駄な接待を減らす。
惰性の付き合いを減らす。
目的のない残業を減らす。
返信しなくてもよい連絡に、すぐ反応しない。
なんとなく参加をやめる。

そのかわりに、必要な仕事に集中する。
学ぶ時間を持つ。
眠る。
家族と過ごす。
子どもの話を聞く。
自分の身体を動かす。
何もしない時間を、少しだけ取り戻す。

50代からの時間の使い方は、足し算ではなく引き算だと思う。

何をするかより先に、何をしないか。
誰と会うかより先に、誰に時間を奪われないか。
何を得るかより先に、何を手放すか。

時間は増えない。
でも、純度は上げられる。


4時間の純度。

人生は、思っているより長いかもしれない。
けれど、思っているより短いかもしれない。

逆算してみると、残りは思ったより少ない。

だからこそ、時間を雑に扱ってはいけない。

誰かの都合だけで埋められた時間ではなく、自分が大切にしたいもののために使う時間を、少しずつ取り戻していく。

仕事も、家庭も、睡眠も、学びも、私生活も。
どれか一つを犠牲にして成り立つ人生ではなく、限られた時間を、できるだけ納得して配分していくこと。

一日の終わりに残る、たった4時間。

その4時間を、どう澄ませるか。

それが、50歳からの人生を変えていくのだと思う。

時間は、命そのものです。

何に時間を使うかは、何に命を使うかということです。


主な参考データ

  • 厚生労働省「令和6年簡易生命表」

  • Microsoft Work Trend Index 2023

  • American Academy of Sleep Medicine / Sleep Research Society 睡眠推奨声明

  • WHO / ILO「長時間労働と脳卒中・虚血性心疾患死亡」

  • 総務省「令和3年社会生活基本調査」

いいなと思ったら応援しよう!