【Kindle書籍化】「とりあえず現場に入れましょう」と言われたあの日、私はエンジニアをモノとして扱った
「とりあえず現場に入れましょう」
その言葉を、私は何度口にしただろう。
10回か、50回か、もっとか。数えたことはない。そのたびに、エンジニアの名前ではなく「空き」として誰かを動かしていた。当時の私にそのつもりはなかった。ただ、会社の売り上げのため、自分の数字のために稼働を止めてはいけなかった。
それだけだった。
「空き」が出た瞬間、何が変わるか
営業会議が始まると、最初に確認されるのはエンジニアの
「稼働状況」
だった。
「◯◯さん、来月空きますよね」
「Java使える人、他にいましたっけ」
名前で始まった会話が、いつの間にかスキルと空き日程の話に変わっていく。誰もおかしいとは思わない。それが仕事だから。エンジニアのキャリアがどうとか、本人が何をやりたいかとか、そういう話が入り込む余地はなかった。
いかに稼働を空けずにアサインするか。それが、営業組織として最優先すべきことだった。
「とりあえず入れましょう」
と言ったのは、私だ。
スキルが合っているかどうか、本人が望んでいるかどうか、確認する前に動いたことが何度もある。自分に言い聞かせていた言葉がある。
「しょうがない」
「会社のためだ」
「組織として当然のことをしているだけだ」
その言葉を何度も心の中で繰り返しながら、私は誰かの次の現場を決めていた。
そのとき、自分がモノとして人を扱っているとは気づいていない。気づけなかった、というより気づかないようにしていた、のかもしれない。
後から振り返ると、そういう判断の積み重ねが、じわじわと自分の中の何かを変えていった。
「在庫」として扱われる構造
なぜこうなるのか。悪い人間がいるわけではない。
SES(システムエンジニアリングサービス)という業態において、エンジニアの稼働率は売上に直結する。稼働していない時間は、会社にとってコストだ。だから営業は稼働を止めてはいけない。それは合理的な判断だ。構造として、そうなっている。
「まずは入ってから考えましょう」
という言葉には、続きがある。入ってしまえば、なんとかなることも多い。現場に慣れれば、スキルも上がる。本人も納得することがある。
だから
「とりあえず」
は、あながち間違いではない。そう言い聞かせることができる。
でも、その言葉を言われたエンジニアの側に立ったとき、どうだろう。自分の意思が介在しない場所に、気づいたら送り込まれている。それが繰り返される。
「この会社では、自分はただの駒なんだ」
と思うまで、どれくらいかかるだろう。
誰も幸せにしないマッチングが、今日も繰り返されている。悪意なく、合理的に。
それを一冊にまとめた本を書いています。興味があれば、この記事を読み終えた後に覗いてみてください。
数字を積み重ねるうちに、何かが見えなくなった
月末になると、稼働率の数字が出る。
ある月、数字が上がった。目標を超えた。達成感はあった。でも同時に、ふと気づいた。そのとき動かした何人かのエンジニアの顔が、自分から出てこない。名前を言われれば思い出す。でも、顔から先に浮かんでこない。
おかしいとは思わなかった。案件の数が多いから仕方ない、と思った。
「とりあえず入れましょう」
と言うことに、いつの間にか躊躇がなくなっていた。
最初はあったはずの、ほんの一瞬の間
「これでいいのか」
という感覚が、消えていた。慣れた、というより、その回路自体が閉じていた。感じなくなっていた、という方が正確かもしれない。
ある日、後輩が言った。
「この人、どこか入れられますか」
私は一瞬、固まった。
聞いたことがある言葉だった。当たり前だ。かつての私が、毎日使っていた言葉だから。でも外から聞いたとき、初めてその言葉の輪郭が見えた。
「入れる」
という動詞。主語はエンジニアではない。送り込む側が、主語だ。
自分はちゃんと成長しているのか、と初めて本気で思ったのは、その瞬間だった。数字は上がっていた。でも、何が上がっていたのか。
「人をモノとして動かす精度」
が上がっていただけではないか。
そんな問いが、頭から離れなくなった。
さいごに
この記事に、解決策はない。
「こうすれば変わる」
とは書けない。構造の話だから。個人の努力で変えられる話ではない部分が、あまりにも多い。
ただ、一つだけ問いを残したい。
あなたは今、誰かを「空き」として見ていないか。あるいは、自分が「空き」として見られていないか。
その問いに答えられるなら、まだ大丈夫だと思う。答えることを、やめてしまっていたとしたら、この記事が、その回路を少し開くきっかけになればいい。
なぜこうなるのか。悪意があるわけでも、誰かが得をしているわけでもない。それでも変わらない。
その構造を解剖した本を書きました。
