献血を腐すこと自体がすでに異常だが、Twitterでは異常者は共鳴し合うようだ
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10110000110110001010000000001010001001110001110001です。
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献血を腐す発言が出ているようです
昨日の続きになりますが、コミケでの献血コラボキャンペーンについて、腐すような発言がよく見られるようです。
ああ、物が欲しいから並んでいたのか。
— 三鷹うい (@Oui_mitaka) January 2, 2022
かつて、お金がもらえるからと売血がなされていた時は、血の品質が下がる問題があったから、代価を出さない方角に切り替えたのだが。
物だと良いという発想はどうかなぁ。。 https://t.co/qUfCgg5uHs
コミケでの献血キャンペーンを腐す発言がTwitterでは見られるそうですが、これは医学的、科学的なエビデンスがなければ、やはり「一個人のお気持ち」でしかありません。
単純に「オタクの献血は嫌」という一個人の感情に過ぎないでしょう。
コミケでの献血を行った方々は、どういった方なのか把握もせずに、勝手に抱いたイメージだけで決めつけていることは容易に想像はできるものですが、せめてこのようなことは内心の中に抑えておいて、言葉や行動で発するべきではないでしょう。
コミケ献血590人に「少ない」って文句つけてる人、典型的な「具体的なものが何一つ見えない人」だなぁという気持ちになった。安全手順を踏んで採血してパウチして…って極めて精密でリスクの伴う作業を一日で590人回すイメージが具体的に一切出来ないんだろうな…。
— 借金玉 (@syakkin_dama) January 2, 2022
590人が多いか少ないかで語られがちです、借金玉さんの一連のツイートには納得できますが、私としては「献血を腐す時点で異常者」という認識でいます。医療従事者や輸血を受ける方々などの当事者のことを考慮すると、軽々しく言うべきことではないでしょう。
どうしても気に食わないというならば、当事者の立場を思いやった上で、医学的かつ科学的なエビデンスを持って、意見を発信するべきでしょう。
多少は異常者は現れるもの
ただし、人間は非常に凸凹している生き物であり、ある部分では才能が恵まれている一方で、その他の部分では常識が欠けている場合は多々あるでしょう。
例えば、飲食店やコンビニなどでの些細な対応や口調などで、すぐに腹を立てて怒鳴り散らしてしまうような人、礼儀やマナーがなっていない人、時間にルーズな人、整理整頓ができない人など、様々挙げられるでしょう。(ちなみに私は整理整頓が苦手です)
日常生活でもネット上でも、やはり「どうしようもないなあ」と思える人は出てくるものですが、人間誰しも完璧であるわけないので、多少なりとも現れるのは仕方ないものかと感じさせられます。
ただ「献血を腐す」発言については、医療従事者や患者などの当事者の立場を無視した、異常な発言には変わりありません。
なぜ躊躇なく言えてしまうのか?
人の命がかかっている献血に関しては、やはり発言は慎重に行わなければいけません。おそらく少し前までは、さほど騒がれることはなかったでしょう。ただ、ある事例で流れが一つ変わったように思えます。
I admire the work the Red Cross does, which is why I’m disappointed that @JRCS_PR in Japan would run a campaign using the over-sexualized Uzaki-chan. There’s a time & a place for this stuff. This isn’t it. #women #metoo #kutoo pic.twitter.com/bhds7IPPTq
— Unseen Japan (@UnseenJapanSite) October 14, 2019
これは2019年の10月に炎上した「宇崎ちゃんは遊びたい」の献血コラボが炎上騒ぎになったことが大きなターニングポイントになったのでしょう。
これまでは、数多くの作品で漫画・アニメとコラボを行っていましたが、アメリカ人のジェイ・アレンさんが批判するツイートを行い、これを太田啓子弁護士が拾ったことから大きく広まってしまいました。
ジェイ・アレンさんや太田啓子弁護士、それに賛同する方々による意見に関しては、科学的なエビデンスもありませんし、宇崎ちゃんの献血コラボに代わる「代替案」もない、ほとんどが感情論に基づくものでした。宇崎ちゃんの献血ポスターが性的に見えるかどうかは、個人の「主観」でしか過ぎませんし、適切・不適切に関しても、法的な視点やレーティングから照らし合わせたものではない「主観」に過ぎませんでした。
批判者の言動はエスカレートしていき、中には「巨乳を切除しろ」や「献血ボイコットだ」という、異常者としか思えない過激なツイートが見られるようになりました。
達者なことはみなさん言いますけど、結局は「嫌い」でしかないのですね。せめて赤十字や患者の立場を考慮した発言をしていただきたいのですが、弁護士たる人間であっても、なかなかそうはいかないようです。
人の命がかかっている献血だけに、思ったことを発言するにしても、躊躇するものかと私は思いますが、有名人が食いついたことによって、Twitterにいる人達のタガが外れてしまったように感じられます。
異常者は共鳴し合う
おそらく日常の生活では「献血ボイコット」や「献血する場所選べ」というような、常識的に考えても異常な発言を行うことは容易にできないものですし、それを発言したところで、周囲から冷たい目線で見られることには違いないでしょう。
しかし、Twitterには少なからず同じような感情を抱いている人がいるものです。1人似たような異常な感情を抱いている人がいれば「自分も言って良いんだな」と感じて、同じようにツイートしてしまうものかと考えられます。
日常ではそっぽを向かれるものだと思われますが、Twitterでは発言できるようになったら、案外Twitterには仲間がいて、変な意味で自分に自信を持てるようになったのかと考えられます。
こうやって、異常者同士が共鳴し合うのですね。
ただ、常識的に考えてみて「献血を腐す」という行為自体は、異常者の言動そのものには違いありません。それが孤立しようがTwitterで群れをなすことがあろうが、異常者は異常者ですね。
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