ショートショート『惹かれる手袋』
それは、道の端にぽつんと落ちていた。
外を歩いていればたまに見かける、出所不明の片手袋。しかし、それにしては汚れひとつ見当たらない。
そのままにしておくのも、なんとなくしのびない。どこか高い場所にでも移動させておこうかと手に取る。
ふしぎな手触りだった。表面はさらっとしていて、それでいて吸い付くような感覚。いつまでも触れていたくなる。
気づけばわたしは、手袋を自分の右手に装着していた。
次の瞬間だった。
真っ白な手袋が、ゆっくりと透明になっていくではないか。
はた目からは手袋をしているようにはまったく見えない。だが、薄い膜のような感触はたしかにある。
しかも、外すことができなくなってしまった。なにをどうやってもだ。これはいったいどういうことか。
「すみません」
とつぜん背後から声をかけられる。振り向くとそこには妙齢の美しい女性が立っていた。
「握手をしてもらえませんか」
彼女は恥じらうようにすっと手を差し出す。その視線は、わたしの右手に注がれている。
「お願いします」
とまどいながらも彼女の手をそっと握る。手袋のせいか、自分が握手をしているという感覚がまるでない。
「ありがとうございました」
女性は最後までわたしの右手を名残惜しげに見つめながら、一礼して去っていく。
「あの」
また別の見知らぬ男性が声をかけてくる。
「握手、してくれませんか」
右手をじっと見つめる瞳は、まるで熱に浮かされているようだった。
*
それからわたしの生活は、がらりと変わった。
「もう仕事を終わらせたのか。すごいじゃないか」
一日ぶんの作業を午前中で終わらせてしまったわたしに、上司が目を丸くする。
「出来も上々。これならあの仕事も任せられそうだ」
そう言って、新しいプロジェクトへの参加を打診してくる。
「期待しているぞ」
握手を求める上司の視線は、わたしの右手に注がれていた。
「すみません。ここがうまくいかないんですけど」
首をかしげながら質問をしてくる生徒に、その場で簡単にやってみせる。
「さすがですねぇ」
他の生徒たちも集まってくる。趣味が高じてはじめた個人教室は、今日も大盛況だ。
「ははは、ぼくらにはとても真似できそうもないや」
彼らはみな、よどみなく動く右手に夢中だった。
「ねえ、手をつないでよ」
できたばかりの恋人に、左手をおそるおそる差し出す。
「ちがうちがう。こっち」
彼女はわざわざわたしの右側にまわり込むと、自身の左手でわたしの右手をぎゅっと握りしめる。
「ぜったいに離さないでね」
そう言って笑う彼女は、ずっと右手だけを見つめていた。
*
どんなことでも、たとえやったことがないことでも、たちどころにやってのける。誰よりもうまく、早く、魅力的に。
皆が期待し、称賛し、うらやむ。この手が届かないものなど、決して存在しない。
絵に描いたような成功を手にしたわたしは、しかし、気づいていた。
「美しい手ですね」
「よく手が利くやつだ」
「また手が上がったのかい?」
「ずいぶんと手が込んでいますね」
「手車に乗せるのがうまいな」
「やれやれ、手玉に取られてしまったよ」
「手が早いことで」
「お手をわずらわせてしまい申しわけない」
「手を尽くしてくれて感謝する」
「今度も手を貸してくれないか」
「きみと手を組みたいんだ」
「どうかこれで手を打ってくれ」
彼らが見ているのは、わたしの『手』だけ。
目に見えない手袋が、分厚い壁のようにわたしと彼らを隔てている。注目や関心を受け止めるのは、表面の手袋のみ。まるで、その中身など存在してないかのように。
満足感や達成感を覚えたことなど、一度たりともない。むしろなにかをするたびに、少しずつ自分自身が希薄になっていくようにすら感じられた。
ほら、こうしている間にも、だんだんわたしがわからなくなって――
* * *
「あら? こんなところに手袋が」
「道端に落ちているにしては、妙にきれいね」
「うわっ、なにこれ」
――ちょっとだけ、つけてみようかしら。
