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ショートショート『惹かれる手袋』

 それは、道の端にぽつんと落ちていた。

 外を歩いていればたまに見かける、出所不明の片手袋。しかし、それにしては汚れひとつ見当たらない。
 そのままにしておくのも、なんとなくしのびない。どこか高い場所にでも移動させておこうかと手に取る。
 ふしぎな手触りだった。表面はさらっとしていて、それでいて吸い付くような感覚。いつまでも触れていたくなる。
 気づけばわたしは、手袋を自分の右手に装着していた。
 次の瞬間だった。
 真っ白な手袋が、ゆっくりと透明になっていくではないか。
 はた目からは手袋をしているようにはまったく見えない。だが、薄い膜のような感触はたしかにある。
 しかも、外すことができなくなってしまった。なにをどうやってもだ。これはいったいどういうことか。
「すみません」
 とつぜん背後から声をかけられる。振り向くとそこには妙齢の美しい女性が立っていた。
「握手をしてもらえませんか」
 彼女は恥じらうようにすっと手を差し出す。その視線は、わたしの右手に注がれている。
「お願いします」
 とまどいながらも彼女の手をそっと握る。手袋のせいか、自分が握手をしているという感覚がまるでない。
「ありがとうございました」
 女性は最後までわたしの右手を名残惜しげに見つめながら、一礼して去っていく。
「あの」
 また別の見知らぬ男性が声をかけてくる。
「握手、してくれませんか」
 右手をじっと見つめる瞳は、まるで熱に浮かされているようだった。

 それからわたしの生活は、がらりと変わった。

「もう仕事を終わらせたのか。すごいじゃないか」
 一日ぶんの作業を午前中で終わらせてしまったわたしに、上司が目を丸くする。
「出来も上々。これならあの仕事も任せられそうだ」
 そう言って、新しいプロジェクトへの参加を打診してくる。
「期待しているぞ」
 握手を求める上司の視線は、わたしの右手に注がれていた。

「すみません。ここがうまくいかないんですけど」
 首をかしげながら質問をしてくる生徒に、その場で簡単にやってみせる。
「さすがですねぇ」
 他の生徒たちも集まってくる。趣味が高じてはじめた個人教室は、今日も大盛況だ。
「ははは、ぼくらにはとても真似できそうもないや」
 彼らはみな、よどみなく動く右手に夢中だった。

「ねえ、手をつないでよ」
 できたばかりの恋人に、左手をおそるおそる差し出す。
「ちがうちがう。こっち」
 彼女はわざわざわたしの右側にまわり込むと、自身の左手でわたしの右手をぎゅっと握りしめる。
「ぜったいに離さないでね」
 そう言って笑う彼女は、ずっと右手だけを見つめていた。

 どんなことでも、たとえやったことがないことでも、たちどころにやってのける。誰よりもうまく、早く、魅力的に。
 皆が期待し、称賛し、うらやむ。この手が届かないものなど、決して存在しない。
 絵に描いたような成功を手にしたわたしは、しかし、気づいていた。

「美しい手ですね」
「よく手が利くやつだ」
「また手が上がったのかい?」
「ずいぶんと手が込んでいますね」
「手車に乗せるのがうまいな」
「やれやれ、手玉に取られてしまったよ」
「手が早いことで」
「お手をわずらわせてしまい申しわけない」
「手を尽くしてくれて感謝する」
「今度も手を貸してくれないか」
「きみと手を組みたいんだ」
「どうかこれで手を打ってくれ」

 彼らが見ているのは、わたしの『手』だけ。
 目に見えない手袋が、分厚い壁のようにわたしと彼らを隔てている。注目や関心を受け止めるのは、表面の手袋のみ。まるで、その中身など存在してないかのように。
 満足感や達成感を覚えたことなど、一度たりともない。むしろなにかをするたびに、少しずつ自分自身が希薄になっていくようにすら感じられた。

 ほら、こうしている間にも、だんだんわたしがわからなくなって――

* * *

「あら? こんなところに手袋が」
「道端に落ちているにしては、妙にきれいね」
「うわっ、なにこれ」

 ――ちょっとだけ、つけてみようかしら。

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