ハイデガーは貨幣論には危険―現象学的信用創造の貨幣論.1
■吉日
さて、思い立ったが吉日です。
というわけで、これまでnoteにおいて私はそれなりに「私なりの確証のある話」を中心に書いてきたわけですが、それを前提とすると「書く内容が重くなる」と同時に「更新頻度が落ちる」という欠点が出てしまいます。
YouTubeの生配信もやり、執筆のための資料読み込みなどをやりながら、それでもnoteを書くためにはどうすればいいのか、ということで多少悩みましたが、書き方を大きく改良したいと思います。
「思ったことを軽いノリで(ただしいい加減という意味ではない)書く」
これで行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
■貨幣の信用の存在?の証明の方法の模索
さてとりあえず、そんなノリで、現時点で私が理解した「フッサールの現象学」について「貨幣論」と合わせて記述したいと思います(ぶっちゃけ次回作へ向けてのメモ的な記事です)。
何故いきなりフッサールの話になったかというと、実はMMTにおける信用貨幣論上重要な「貨幣の信用」の「信用の存在証明」に対し、以前「ハイデガーの『存在論』を使ってみてはどうか?」とある人に言われたのが第一のきっかけです。
で、実際この時、ハイデガーの存在論を使って思索をしてみたのですが、これが結果「使えない」ことが分かりました。
ハイデガーの提示する「現存在」があまりにも強力な存在感で、しかもそれが「(貨幣論の)世界に投げ込まれている(世界内存在)」わけです。そしてその投げ込まれ後
「存在が、自分に相応しい存在になるように自・他律的に企てる」
わけで、社会が貨幣の信用の存在を作っている部分が無いとは言いませんが、存在そのものが社会を能動的に構成していっているわけで、もうあまりに強力すぎて(汗。
ハイデガーの存在論を貨幣論に用いると「商品貨幣論」以外に貨幣が見出せなくなってしまいます。
しかしながら個別で見ると、世界に投げ込まれることにより存在を確立するというハイデガーの「世界内存在」だけは「貨幣の信用」の「確信化(貨幣の確信)」には有用な論理でした。
そこで私は、ハイデガーを批判的に思うのとに同時に「世界内存在」を別の形で成り立たせる方法ないか?ということで、探していたわけです。
それが
ハイデガーの師匠であり、ハイデガーを最終的に批判し喧嘩別れをしたフッサールであり、その「現象学」なわけです。
本日から、何回かに分けて「織原の現象学的信用創造の解説」を平たく説明したいと思います。
宜しくお願いいたします。
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