オレ達の「知らない街」語り 【2000円の弓は、高いのか】
「オレ達のモノ語り」は、まことオーマが映画・趣味・気になるモノを肩の力を抜いて語り合うポッドキャストです。
このnoteでは、収録の中から「これは面白い」と感じた論点や作品・アイテム、そのテーマへのハマり方などを編集・再構成してお届けしています。
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弓を引く体験に、2000円だった。
観光地の一角にある小さな店で、8射。景品と土産が少しついて、それでコミコミ2000円。二人でやったら4000円。正直に言えば、高い。上まで来て、値段を見て、そのまま引き返していく人が何人もいるらしい。店員さんも「みんな断念して帰るんですよ」と言っていた。
それでも、やった。
なぜやったのか。そして、あの2000円は結局のところ高かったのか安かったのか。旅先での金の使い方について、割と真面目に考えることになった。
知らない街を歩くと、人が暮らしていることが見えてくる
大阪にいた。仕事の都合で、たまたま二人とも同じ日に来ていた。だから観光の予定なんてない。空いた時間に、なんとなく歩き出しただけだ。
歩いていて、まず思ったのはこれだった。
どこに行っても、人がいる。人の暮らしがある。
当たり前だ。当たり前すぎて、言葉にすると馬鹿みたいだ。それでも、知らない街を自分の足で歩いていると、その当たり前が肌で立ち上がってくる瞬間がある。
観光地としての大阪ではなく、街としての大阪が見えてくる。派手な看板の裏に、普通に人が住んでいる。外国からの観光客が驚くほど多くて、彼らが撮っている写真の背景で、地元の人が普通に自転車で通り過ぎていく。警察官がやたら多いと思ったら、どうやらサッカーの試合絡みで、勝っても負けても川に飛び込む人間が出るからだという。理由は後から来るのだ、と地元の人は言うらしい。
こういうものは、名所リストには載っていない。ガイドブックにも書いていない。歩いて、迷って、たまたま通りかかったから見えたものだ。
そして、この「たまたま」こそが、旅で一番効いてくる。
目的地を決めすぎない旅には、偶然が入り込む
我々の街歩きは、はっきり言って効率が悪かった。
トイレを探し、喫煙所を探し、飯屋を探し、そのたびに引き返し、また歩いた。「磯丸水産みたいな、どこでも行ける店に入ってもしょうがない」と言いながら、粉物が食える店を探して延々うろついた。串カツの店を見つけては「なんかちょっと違う」と言って通り過ぎ、また歩いた。
無駄と言えば、完全に無駄な時間だ。
でも、その無駄のあいだに、いろいろなものが引っかかってきた。射的の看板。ビリケンさん。妙にでかくなっている大阪王将の看板。「秋葉原っぽいな」と思って歩いているうちに、だんだん外国人が想像する日本映画の一場面のように見えてきて、最後には「これブレードランナーじゃん」という結論に着地した。
予定を詰めた旅では、こうはならない。
次の目的地の時間が決まっていれば、看板は看板として通り過ぎる。射的の店に足を止める余裕もない。そもそも「なんかちょっと違う」で店を三軒見送るなんて贅沢は、時間に余裕がなければできない。
目的地を決めすぎない旅の価値は、偶然が入り込む隙間があることだ。そしてその隙間から入ってきたものが、後々まで残る。
さて、そこで弓の話になる。
2000円の弓体験は高いのか
射的をやった。7発500円。これは分かりやすい。
その隣に、弓の体験があった。値段を聞いて、二人とも固まった。2000円。8射。矢と、キーホルダーと、ステッカーがついて、コミコミ2000円。
正直、高い。射的の4倍だ。
しかも店員さんが親切に教えてくれた。上まで上がってきて、値段を見て、「もったいないな」と言って帰る人が非常に多い、と。つまり、この価格設定は多くの人にとって明確に「引き返すライン」なのだ。
我々も一瞬、引き返しかけた。
それを止めたのは、この一言だった。
「もう来ないじゃん、大阪なんてそう滅多に」
これが、判断を裏返した。2000円という数字は変わっていない。変わったのは、その2000円を何と比較するかという枠組みのほうだ。
「弓を8回引く」という商品に2000円を払うと考えれば、高い。だが「大阪に来た日に、たまたま見つけた弓の店に入る」という機会に2000円を払うと考えると、話が変わる。前者はいつでも成立するが、後者は今日しか成立しない。
結果、我々は突っ込んだ。
そして、片方が弓道経験者であることが判明した。当たり前のように綺麗な音を立て、綺麗な形で矢が刺さっていく。もう片方は指を痛め、弦を伸ばしすぎて外し、全部右に逸れ、「心眼で撃つ」などと言いながら惨敗した。
負けたほうは、めちゃくちゃ悔しがった。店を出てからも、飯を食いながらも、まだ悔しがっていた。
この「悔しい」が、2000円で買ったものの正体だ。
「めったに来ないからやる」という判断は正しいか
ここで立ち止まりたい。
「もう来ないからやる」は、便利すぎる言葉だ。この理屈を認めてしまうと、旅先ではあらゆる出費が正当化される。5000円の土産も、行列に並ぶ2時間も、全部「もう来ないから」で押し切れてしまう。
そして実際、これは旅先で財布が緩む原因そのものでもある。「旅では金を惜しむな」という精神論に落ちた瞬間、判断は判断でなくなる。
だから、あの2000円が正しかったかどうかは、もう少し丁寧に切り分けたほうがいい。実際に払ってみて、判断基準として機能しそうだと感じたのは、次の三つだ。
1. それは、その土地でしかできないか
弓の体験自体は、正直に言えば大阪でなくてもできる。ここは弱い。だが「見知らぬ街を歩いていて、たまたま看板を見つけて入る」という部分は、その日その場所でしか成立しない。商品ではなく、状況が固有だったということだ。
2. もう一度できる可能性があるか
これが一番効く。年に何度も来る街なら、「今日じゃなくていい」と判断できる。次があるからだ。次がないなら、今日が唯一の機会になる。価格の妥当性は、商品の中身だけでなく、再現可能性で変わる。同じ2000円でも、地元の店なら見送るし、旅先なら払う。これは矛盾ではなく、まっとうな計算だ。
3. 失敗しても、話や記憶として残るか
弓の勝負は、片方の完敗で終わった。金を払って、負けて、悔しい思いをして帰ってきた。──それでいて、この体験は今も話のネタになっている。うまくいかなくても回収できる体験は、リスクが実質的に低い。逆に、成功しないと価値が出ない体験は、思ったより分が悪い。
この三つを通せば、「もう来ないから」は精神論ではなく、判断基準になる。そして通してみると、あの2000円は──少なくとも我々にとっては──妥当だった。
ちなみに串カツ屋では、その悔しさを肴にビールが進んだ。玉ねぎの串カツがうまかった。それも含めて、あの2000円だったのかもしれない。
旅の価値は、回収した名所の数では決まらない
その日、我々は道頓堀のグリコサインを見た。かに道楽の前を通った。食い倒れ人形も見た。ビリケンさんの足も触った。
有名どころは、一応そこそこ押さえている。
でも、この記事を書きながら思い出しているのは、そこじゃない。弓を外し続けたことと、串カツ屋を探して同じ通りを三往復したことのほうだ。
名所は、写真で見たものを実物で確認する作業に近い。それが悪いわけではない。ただ、確認は確認であって、発見ではない。
一方、予定外の体験は、確認ではない。何が起きるか分からないまま入って、何かが起きる。だから記憶に食い込む。効率は最悪だが、残るのはこっちだ。
旅の価値は、名所をいくつ回収したかでは決まらない。その街を、自分の記憶にできたかどうかで決まる。
そのために必要なのは、たぶんそんなに多くない。予定を少しだけ空けておくこと。歩くこと。そして、目の前に出てきた「ちょっと高いな」に対して、さっきの三つの基準で判断してみること。
次に知らない街に行ったら、また同じことをすると思う。歩いて、迷って、変なものに金を払って、負けて悔しがる。
そういう時間のほうが、後から効いてくる。
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