つかみどころのないこの街と、290円ラーメン

 夜勤明け。昼前に開放され、家路につく。高齢夫婦が営む八百屋で買った見切り品のトマトの袋を手に、ぼーっとした頭のまま、赤い看板に吸い込まれていく。博多ラーメンはかたや。豚骨ラーメンの食券を買って店内へ。1杯290円だ。
 https://hakata-ramen-hakataya.com/

 乗っているのは、ねぎと申し訳程度の薄いチャーシューだけ。乳白色のスープと細麺。これが、美味い。290円の割には美味い、ではない。シンプルにラーメンとして美味い。化学調味料のせいなのかどうかは馬鹿舌には分からないが、脳が喜んでいるのを感じる。

 店内は、スーツ姿のサラリーマンや制服姿の女子高生、外国人観光客などが所狭しと並び、ラーメンをすする。席にはニンニク、ごま、紅生姜の無料トッピングが。紅生姜を入れると、スープの色が桃色へと変わっていく。店内は決して居心地はよくないが、それが逆に、心地よい。

 今春、転勤で東京から福岡に来た。9カ月が経とうとしている今も、街にまだなじめてはいないと感じる。やたらと低く飛ぶ旅客機の姿にビルにぶつかるのではないかと心配することはさすがになくなったが、どこか都会のような、どこか田舎のようなつかみどころのない街だと感じる。標準語(東京弁)で浮くことはないが、どこかイントネーションが違うし、「~と?」は汎用性が高いことは分かってきたが、自分で使う勇気はない。東京の様々な街がぎゅっと集まったような都会の町並みが広まる一方で、祭りやホークスに対する情熱、一体感は田舎そのもののようにも感じる。博多と福岡は違うとか、町人の街だか武士の街だとか、街のストーリーも難しすぎてよく分からない。全国チェーンと個人商店、秩序と無秩序が入り交じったこの街に、私は溶け込めるのだろうか。

 はかたやでラーメンをすすっている間は、そんな孤独感が溶けていくように感じる。よそ者かどうかなんてどうでもいい。肩書を取っ払った等身大の自分に戻るような気分を感じ、そもそも自分は取っ払うような肩書もない一般市民だと自分で自分にツッコミを入れる。気取らないというカッコつけ、それができるのがはかたやなのかもしれない。そしてそれは、福岡という街そのものなのかもしれない。そんなことを考える。

 麺の固さは、「ばりかた」「かた」「ふつう」「やわ」の4段階。客の9割方は「かた」か「ばりかた」だが、私は決まって「ふつう」を注文する。だってその方がスープが麺にしみて美味しいはずだから。

 

いいなと思ったら応援しよう!