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私の一番大切なもの【Life~殺め、いただき、生かされる命を生きていく7つの話②】

「あなたにとって、人生で一番大切なことは何ですか?」

と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか?

自己啓発系の書籍を読んだり、コーチングを受けたりしたことがある方なら、「大切なこと=価値観」のワークとして一度は考えてみた経験があると思う。

私も、今までに何度か、このワークをやってみたことがある。

先日も、ご縁あって受けたコーチングセッションの中でこの質問をされたのだが…。

私の口から「パッ」と出てきた答えが、今までもっていた答えとは違い、自分でもとても意外なものだったのでビックリ!

しかも、意外なその答えに対して

「いや、そんなわけない」

と否定するのではなく、

「たしかに、そうだな」

と素直に受け入れることができた。

そして、

「自分の人生で大切なもの=価値観」はけして常に同じなのではなく、環境や経験の積み重ねによって変化していくものであること。

どこかで読んだのだが、

「成長のスタートは価値観の変化から」

と言われているように、

【価値観の変化=自己の成長】であることに気づいた。

そこで、私自身の成長の記録として、セッションで気づいた価値観の変化とアップデートについて書き残すことにする。


※途中、「食べる」ことの現実をお伝えするために「動物の死」を想像させる画像があります。苦手な方は、読むのをご遠慮ください。


さて、セッションの中で私が答えた「私にとって人生で大切なもの」とは何だったのか?

それは…「命」だった。

それまでの私は、「命」とは全く異なるものを大切にして生きてきた気がする。

たとえば、今から約30年前。

大学生の時に偶然訪れた美術展で衝撃を受けた、一枚の絵

平山郁夫『平和の祈り~サラエボ戦跡~』
同絵画展で購入した絵葉書

をきっかけに、私が自分の人生をかけて成し遂げたいと想ったミッション(人生の目的)
ーーーーーーーーーー
その国に生まれたというだけで苦しんでいる世界の人たちのために、何かできる人間になる
ーーーーーーーーーー
と、

そのミッションを果たす手段として選んだ仕事(=国際看護師)を見つけて以来、私が大切にしたいと思って大切にしてきたのは…

「チャレンジ」

だった。

チャレンジは、私が本来もっている可能性を私自身のの勝手な思いこみで決めつけないようにするために大切な在り方・生き方であり、人としての自己成長と、目標の達成や夢の実現に必要なもの。

たとえ、目標達成や夢の実現が叶わなかったとしても、その目標や夢を目指してチャレンジしたことに大きな意味があり、一つ一つのチャレンジの積み重ねが自分という人間を形成し、成長させてくれるー。

そういうものだと考えていたから(現在もそう思っている)。

また、私が価値観のワークを初めて知ったのは、2016年8月にウガンダに移住し「自己啓発」というものと出会ってからなのだが、その時は、

  • 仕事・ビジネスに関すること

  • 睡眠

  • 目標・夢

が、私にとって一番大切な事として明確になった。

「チャレンジ」にしろ「仕事・ビジネス」や「目標・夢」にしろ、「命」とはかなり次元が異なる感じを受けないだろうか?

それがなぜ、今回「命」に変わったのか?

それは、自分の命が一番大切だと感じるような経験や学びを、この約10年間で積み重ねてきたからなのだと思う。


たとえば、コロナ。

3年前の2021年に、ここウガンダでも感染が広がっていた。

ロックダウンの際の外出時間の制限は特に厳しく、本当は時間制限の対象にならないとされていた医療者でも、従わなかった人は容赦なく銃で射殺される事件も起きていた。

私たち夫婦が自宅から離れた村で薬局を営んでいた頃で、夫はバイクで30分かけて毎日出勤していた。

元々時間にルーズな面もあるので、夫は規則で定められた時間内になかなか帰って来ない。

帰って来ない夫が心配で心配で、私は毎晩、自宅で一人、泣き続けていた。

…と言うのは、真実を正しく表していない。

なぜなら、実際は泣き続けることができなかったから。
本当は声を出して泣きたいのに、その声が出ないのだ。

人って、恐ろしさを感じると、声が出なくなるものなのだろうか?

自分で

「これ以上、(泣けないような泣き方を)続けたら、心臓が止まるかも」

と感じる位、胸が張り裂けそう、心臓が引きちぎれるくらいの経験をした。

その後、私は夫と同時にコロナに感染してしまい、死の恐怖も味わった。

夫が務めていた職場から給料の支払いが滞った時には、一時的に収入がなくなるので、できるだけ支出を抑えるため(交通費の節約)に、夫は職場に寝泊まりするようになった。

あなたは恐らく、

「え?おぴこさん、10年もウガンダに住んで、まだ一人で外出できないの?」

と呆れてしまうかもしれないが、私は今でも、

「もし、蛇や野良犬とか誰かに襲われたら」

と思うと、歩いて10分ほどの村の市場にも、一人で買い物に出かけることができない。

そのせいで、夫が留守の間に自宅の食材が底を尽きそうになり、ある日の夕食が、ごはんと炒めた玉ねぎだけだったこともある。
(私が食材をうまく管理できていなかったのが原因)

その後、ウクライナ紛争の影響で物価が高騰。
生活コストをさらに抑えるため、ガスボンベの使用を止めた。
※ガスボンベも手に入らなくなった。

代わりに燃料として使い始めたのが、木炭である。

すると、これまた不器用な私は、ライターで火を付けるのも怖い。

夫が教えてくれた通りに、木炭ストーブの中に木枝と木炭を並べて火を付けるのに、火が起きない。

何度、立ち昇った白い煙が消えていく様子を、虚しく見送ったことか…。

火がつかなければ、安全に水を飲むために水道水を煮沸することもできない。ご飯を炊くこともできない。

今でこそ5分もあれば付けられるが(それでも時々、失敗する)、できるようになるまでは火が付くのに2時間もかかり、夕食を食べるのが22時頃になった日もある。

「こんな時に夫がいてくれたら…」
「わたし、一人で何をやっているんだろう」

と思いながら泣いていた。

でも、泣いた所で火が起きるわけではない。
食べるためには、火が起きるまで諦めずに何度も何度も繰り返すしかなかた。

そういう経験をして初めて、私は火と風(空気)のおかげ食べることができるのだと気づき、遂に起きてくれた火や、火を起こしてくれた風に対して、

「ありがとう」

と感謝できるようになった。

またお肉として食べるだけでなく、収入を得る目的で、豚や鶏・ヤギを買って家畜として飼育した後に、売ってきた。

その度に、自分たちで世話してきた動物たちが殺される姿を目にしてきた。
日本ではあり得なかった光景である。

※閲覧注意
👇

豚のト殺


殺した鶏を熱湯の中に入れ、手で羽を抜いているところ
鶏をさばいたら、卵が入っていたことも

これまた生活費節約のために始めた農業においても、自分たちが欲しい作物を植えて育てるために、草を刈り、土を掘り起こす。

草だって命なのに、自分たちが食べるために、

「これは邪魔、いらない」

とジャッジ。しかも「雑草」と名付けてその命を強制的に終了する。

私が「役立たず」と思って刈った雑草を買取り、家のかやぶき屋根を作るのに活かす村人もいるのに…。

自宅の庭に生える雑草

たしか、桐村里紗さんの著書『腸と森の「土」を育てる 微生物が健康にする人と環境』で知った話なのだが、土を耕すことは、微生物が暮らす土の生態系を壊すこと。

だから、農業は人間の『原罪』なのだそうだ。

この真実を知ってから、作物を育てることへの意識が変わった。

生きるためには、動物を殺し、土を破壊し、不要と考える植物を殺すー。

私自身がその行いに携わるようになって初めて、私の命は、他の命の犠牲によって支えられている。
だからこそ、私の中で「いただく」という言葉の重みが大きくなった感じがしている。

死んでいく命の一方で、産まれる命と育っていく命の不思議さも体験してきた。

たとえば、豚やヤギの赤ちゃんの誕生、鶏から産まれ出てくる卵である。

特に、出産の瞬間と、産まれてすぐの赤ちゃんヤギが、か弱い足をワナワナ震わせながらも立ち上がり、母ヤギのオッパイまで自力でたどり着く様子を間近で見た時は、命の不思議に対して本当に感動した。

私は日本にいた頃は、いつもスーパーで買い物をしていた。
だから、果物や野菜がどういう風に成長して実るのか? 見たことがない。

日本では食べた事のない部分、たとえば、おくらやサツマイモの葉を料理にしたり、逆にトマトやレモンなど、種の部分は取っておいてプランターに植える。すると、芽が出ることがある。

実を付けるまでに育たないこともあるが、

「芽が出た!」
「実った!」

時の感動は、言葉では言い尽くせない。

2021年の9月からは、パンを焼くのに自家製の天然酵母を使っている。

庭で採れるハーブや野菜や果物の皮を煮沸した瓶に入れ、砂糖と水を加えて数日待つだけで、ドライイーストの代わりになる酵母が育つ。

「本当にできるのかな?」

恐る恐る初めて試した時、瓶の中で少しずつ泡が出始める様には驚いた。
耳を近づけると「シュワッ」と音もする。

生きている!


この天然酵母をパン生地に混ぜて発酵させている間、生地が段々と膨らんでいく。

酵母の材料やその時の天候や室温などの環境によって、育つスピードは様々だが、

「あ、生きている」
「育ってくれて、ありがとう」
「パンは、命なんだ」

と感じる。

オーブンがないのでフライパンで焼いたカンパーニュ

※逆に、予想に反して育つスピードが遅かったり、(パンを焼くには)十分育たなかった酵母やパン生地に対して

「あ、ダメだった」
「もう、なんでこんなに遅いの」

と不満を漏らしてしまうこともある。
その度に、自然を「人間である私がコントロールできるもの」として扱っている自分の傲慢さを反省し、

「それぞれが今の環境の中で精一杯に生きている」

という命の健気さに気づかされている。

…と、このような経験をしてきた。


じゃあ、「それ以前は、自分の命が大切と思えるような経験」をしてこなかったのか?

と言うと、けしてそんなことはない。

むしろ看護師として、多くの命と向き合ってきた。

日本の病院で脳神経外科病棟に7年、救急病棟で8年勤務する中で看てきたのは、突然ガンを宣告された患者さんや、病気や事故で亡くなられた患者さん。

幸い命は取りとめたものの、意識が戻らず寝たきり状態になってしまった患者さん。人生まだ始まったばかり、あどけない笑顔がかわいい幼い子供や、明るい希望や夢に満ち溢れていたはずの若者。

そして子供が自立し「人生これから楽しもう!」という私の両親世代の人たち。

たった数日、数時間前までいつもと変りなく元気に過ごしていたのに、自分の力ではどうにもならないことによって命を終えなければいけない。

そのような患者さんの最期に立ち会い、愛する人を突然奪われたご家族のやり場のない悲しみや怒り、無念さや悔しさを共にさせていただいた。

2011年の東北大地震では、発災から一週間後に現地に派遣され、自分たち自身も食料が十分ではない状況で支援活動に携わらせていただいた。

その前には、地元新潟で大地震を2回経験。
私自身が被災しながらも、勤務先の病院で患者さんや被災された方たちの看護に当たった。

2010年には、セルビアから独立したコソボ共和国のスタディーツアーに参加。

コソボ共和国。セルビアの古都ペーチェの町並み。

目的地の一つとして「分断の町」ミトロヴィツァを訪ねた。

なぜ「分断の町」なのかと言うと、町に架かる橋の南北でセルビア系とアルバニア系住民が対立、武力衝突を繰り返していたからだ。

手前側にアルバニア人、奥の方にセルビア人が暮らす。

私が訪問した当時も、まだNATO指揮下のコソボ治安維持部隊(KFOR)が橋の上に駐留していた。

地元住民が、

「向こう岸に住んでいる敵対する彼らに襲われ、殺されるかもしれない」

と恐怖を感じて渡ることができない橋を、私たち日本人は命の危険なく渡ることができるー。

それは不思議な体験だった。

ミトロヴィッツアの橋の上で、KFORの軍人と

国際看護師になって初めて派遣されたイラク・クルド人自治区にある病院は、戦争やテロの犠牲者に対する手術や治療を専門に行ってた。
すでに、ISIS(イスラム国)の侵攻が始まっていた頃である。

銃撃を受けて負傷した兵士や、爆弾で一瞬にして手足を失った一般の市民(幼い子どもからお年寄りまで)が、毎日毎日、次から次へと運ばれてきていた。

このように、私は自分で選んだ職業を通して、沢山の命と関わってきた。

個人的には、職場の健康診断で子宮ガンと乳ガンのリスクがあるとの診断を受け、精密検査を受けたこともある。


このような命と関わる経験を沢山してきたのに、なぜ以前は「自分の命=私にとって一番大切なもの」ではなかったのか?

それは、以前の私とウガンダに移住してからの私を比べた時、決定的に異なることが1つあるからだと思っている。

それは何かと言うと…?

ーーーーーーーーーーーーーーー
私自身の命が保障されていたこと。
自分の命が守られ、侵されないことが当たり前の環境に生きていたこと。
ーーーーーーーーーーーーーーー

だ。

たしかに、被災地やイラクやコソボを訪れて活動した時でも、余震や治安に注意し自分の命を守る行動、自分の命を危険にさらさない行動が求められた。

しかし…

基本的に何かあれば誰かが守ってくれる、助けてくれる。
そんな危険な事が自分の身に起きるワケがない。

そんな安心感、言いかえれば「甘え」「傲り」に似た気持ちで過ごせていた。

ガンのリスクの診断を受けた時だって

「なぜ、この私が?」

とショックを受け、お先真っ暗になった。
しかし、たとえガンになったとしても、医療の整った日本なら「何とかなる」という楽観的な想いがあった。

私以外の命に起きる事は、どこか他人事だった。
人として、看護師として他者の命に寄り添うことはあっても、どこまで行ってもやっぱり

「他人の命」

だったのだ。

そいういう、安心感を抱ける環境、「何があっても自分の命は守られて当たり前」という甘えや傲りが許された環境…

そんな環境にいられたからこそ、

「これが私のミッションだ!」

と確信したことを、

「実現できたらいいな」

というフワッとした理想・夢のレベルから、

「絶対に達成したい!」

と情熱を燃やせる具体的な目標に設定。
その目標に向かってチャレンジし、成し遂げられたのだー。

こんな風に思う。


でも、ウガンダで生活している今は違う。

私が暮らすウガンダ北部のグルは、2006年まで「神の抵抗軍(LRA)」と呼ばれる反政府の武装勢力との間で、激しい戦争が続いていた地域だ。

今では治安も回復し、戦後の復興もかなり進んでいる。
それでもまだ、安全面で言えばテロも度々起こっているし、外国人の観光客がターゲットになって殺害される事件もあった。

南スーダンとの国境が近いため、母国で命の危険を感じた多くの人たちが難民として逃れて来て、生活している。

このように、日本にいた頃はテレビやネットを通してしか知りえなかった情報だが、

「もしかしたら、私も遭遇するかもしれない」

と、今では現実的な危機感を伴って受け取るようになった。


日常生活や生理的な側面で言えば、太陽と雨のバランスが作物にとって適切でなければ、植えた種や苗が育つことはない。

現地の人にならって、できるだけ”しゃがまず”に作業しています。


せっかく植えたキャッサバやトウモロコシが豚とヤギに食い尽くされてしまい、収穫がほぼゼロだったシーズンもあった。

天然酵母が育たなければ、パンを焼くことができない。

「私のやりたいことや使命は何だっけ?」

とボケーッと考えていたら、集中力が削がれて火を起こすことができないー。

自己承認とか他者承認とか自己実現とか。
「マズローの5段階欲求」で言うなら上位の欲求について考える余裕がない。

日々の生活レベルで自分の命や

  • ただ生きること

  • 「生きなければいけない」「生きたい!」という欲求

に直結する体験を重ねる環境に恵まれたからこそ、その結果として【私にとって人生で一番大切なもの=自分の命】が見えてきたのだと思う。


サン=テグジュペリの名作『星の王子さま』の中に

たいせつなことはね、目に見えないんだよ...…

サン=テグジュペリ『星の王子さま』岩波書店,P122

という言葉があるが、ここまで約10年間に経験してきた様々な出来事(どちらかと言うと、楽しい・楽より苦しい・辛いことの方が多かったと思うが)を通して、

「やっと『私にとって人生で一番大切なもの』が見えてきたのかな?」

と思う。

「自分の命が一番大切だ」と感じることに対して、

「それはエゴ、利己的」

という意見もあるかもしれない。

ただ、私は自分の命があってこそ、他者に対して何かできるし、自分の命の安全が守られているからこそ、目標や夢を制限なく思い描けたり、その目標や夢に向かってチャレンジできるのではないか? と思うようになった。

それは悪いことではなく、むしろ私自身の「成長の証」と受け止めている。

もしかしたら、また何年か過ぎてみて、命より大切なものが見つかるかもしれない。

でもそれまでは、私自身のこの命を何よりも一番大切なものとして、生きていく。

(第3話へ続く)


第3話:消せない烙印



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おぴこ|人と地域の命の輪郭を整えるSoul Stylist 夫と歩むウガンダの地域創り『ShineOn』を次へ進めるため、私自身も「開拓者」として進化する決意をしました。頂いたサポートは、現地の雇用創出や商品開発、活動を加速させる私の学びのために大切に活用します。誰もが自分の人生を切り拓き、命を輝かせる世界を。応援よろしくお願いします!

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