老人Aの秘密体操
木々に囲まれた公園の東屋の傍らで高齢の男性が体操をしていた
ちなみに僕も既に老头儿だ
老いぼれだ
その人はは老いてなお矍鑠としているタイプのようだった
僕は普段からその東屋に座って短い冥想したり軽く麦酒を呑んだりしていた
僕はロケーション的に少し劣る別のベンチでアラレとピーナッツをつまみに麦酒を呑んだ
柿ピではなくアラレとバタピのコンビネーションを選んだ理由は甘塩っぱい砂糖醤油ベースのタレを使ったアラレの方がキブンだったからだ
あとは柿ピの辛さの押しつけのようなものに対する漠然とした厭惡もあった
いつからか何か世界を平面化してしまうような惡意を柿ピからは感じていた
柿の種の表面のあのツルっとした感じも何となく厭やだった
あのツルツルした表面が舌に接触してカプサイシンが一気に味蕾を急襲するあの感じ
あたりまえだがあとは辛さを感じる以外の営みは不可能になる
気候変動や人類の行く末について考えていようがデモを冷笑する大衆について考えていようがあの辛さの前では総て無意味なものにされてしまう
ただそれを愉しんでいた時期もあった
嬉々として犯されていた時期もあった
しかし氣づいたのだ
氣づいてしまったのだ
柿の種とバタピのコンビネーションには何か決定的に欠けているものがあると…
森的エリアで静かな体操する人は、1970年代頃からいるのではないか
日本では気功と呼ばれているが日中国交正常化で中国から入ってきた行の一つである
臺灣経由で入ってきたものは内丹術とも呼ばれややエソテリックだ
修行者たちは木からエネルギーを取り込もうとしたり逆に木にエネルギーを回したり全宇宙と一体になろうとしたり念動力で何かを斃そうとしたり能力者同士でサイキックウォーズをしたり世界に慈悲の波動を送り届けたり少し神秘的なことをやっている
これをモチーフとした漫画やアニメは数え切れないがその人はフィクション上の存在ではなく実在の人間だった
僕は好奇心が動くのを感じたがあえてその人を見ないようにしていた
その人から靈的な攻撃を受けることを畏れたわけではない
変に好奇な眼で見たら邪魔になると思ったのだ
ゆえに視野の中心にはせず視野の周辺にその人を置いた
カスタネダのいう忍び寄りを参考にして意識の参照点を少しズラした
その人はスマートフォンかタブレットをベンチに立てかけていた
恐らくディスプレイにはその人の師匠が映っていたのだと思う
オンラインサイキックミーティングとでもいったらいいのだろうか
ディスプレイの中で師匠が模範的な動きをし、その通りに肉体を制御していたのだと思う
今はこういうことができるのだ
僕は感心した
しばらくするとその人は荷物を抱えて公園から去って行った
そのときその人の顔が一瞬、視野に入った
普通の人だった
つまりその人は普通の人になる為の修行を長く続けてきたのだろう
何かにつけ非凡であろうとする間抜けな人々が多い中、その人はあえて平凡であろうとしたのだろう
それについては勝手にしろと思うし特に嘲る気もないが例のわざわざ無精髭を生やしてみたりわざわざ作務衣を着てみたりわざわざ角刈りにしてみたりわざわざバンダナを巻いてみたりする例のアレが発散するあざとさはその人にはなかった
服装は実にユニクロ的だった
ユニクロだったかも知れない
無印良品だった可能性もある
結果としてその人は見事な迄に普通になったのだ
その人はこちらを意識していなかった
少くともそう見せてはいた
僕もその人を意識しないそぶりはした
これは実は決闘だったのかも知れない
勿論互いに闘う気はない
お互い関心を持ってしまっては負けなのだ
知り合いになってしまってもつまらない結果しか待っていないのは最初から明らかだ
つまり敬して遠ざけることが最善なのだ
その淋しさに耐えることが人であることの証の一つではないだろうか
