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292 このマチのどこかで

2026.07.02.photo byるる

1984.12.27.の製造印が押された
駅弁の包み紙です
42年間  大切にしてきました

当時わたしは14才
年末の二泊三日
夜行列車を乗り継いでの  道内ひとり旅

このころ  北海道のローカル線は
存続叶わず
次々と  廃止が始まろうとしていました

"いま行かないと  一生後悔する"
湧きあがりを  どうしても抑えられず
駅で切符を買いました

当時  わたしが住んでいた  "標津線"  沿線の
小さな駅の駅員さんに  計画を伝えました

計画
(1)乗りたいローカル線(3つ)
 ①羽幌線(幌延〜留萌間)
 ②万字線(岩見沢・志文〜万字炭山間)
 ③幌内線(岩見沢〜幾春別間)
(2)乗りたい列車
 ①422レ(釧路〜滝川間・長距離普通列車)
 ②利尻(札幌〜稚内間・夜行急行列車)
 ③まりも(札幌〜釧路間・夜行急行列車)

行程を二つに分けた乗車券と
夜行列車の  急行券を二枚  作ってもらいました

⭐️駅員さんがソロバンはじいて
手書きで作成した  乗車券
⭐️こちらは夜行列車の急行指定券
"こくてつ"  "JNR"の模様が見えます
挟の入った  懐かしの硬券です

良い思い出にするんだよと 
駅員さんから  かけられたことば

昭和11年の  開業当時から変わらない
この小さな駅舎もまた
その  およそ1年後  駅員無配置となり

4年後には  "標津線"  そのものが廃止され
駅舎は  跡形もなくなってしまいました


さて  いよいよ旅の当日となりました

⭐️かなり大雑把な  手描きの路線図
なんとなく北海道のカタチが浮かび上がりますね
大量廃止で  今は見る影もなく…

まずは早朝  釧路まで出て
根室本線の  "長距離普通列車"  に乗ります

422レ  釧路7:59発
荷物車混合の  古い客車列車
終点の滝川まで308.4km!到着予定は  17:22

乗車時間  実に  "9時間23分"  !
途中  荷物を積み下ろしながら  走るこの列車も
やがてなくなる運命にありました
…  まずはこれに乗りたかったのです

釧路から  白糠  帯広  新得…と
冬晴れの道東を  ひた走り
雄大な狩勝峠を越え  富良野を過ぎて…

⭐️きりりと晴れた早朝の釧路駅
乗る人もまばらな  年末のホーム

道央  滝川駅に着くと  思いのほか積雪が多く  
稚内行きの夜行列車【利尻】も
雪の影響で遅れ気味  不安が募ります
…………………


一夜明け  夜行列車は  まだ暗い
早朝の道北  宗谷本線  幌延駅に到着
終点  稚内からは  1時間ほど手前の駅です

ホームに降り立つと
いきなり膝まで  雪に埋まりました
これから乗り換えるはずの
羽幌線のディーゼルカーまでもが
雪に埋まっています

カンテラを持った駅員さんが
雪をかき分け近づいてきて  ひとこと
「羽幌線乗り換えかい?
この雪で  いつ動くかわからないんだわ
除雪車も  埋まっちゃって」

年の瀬  ひとり旅が
こんなことになるとは  まったく予想外でした!

とりあえず  駅前の  これまた雪に埋もれた
電話ボックスに  何とか入り
10円玉何枚かで  "帰れないかもしれない"  と
家に電話をかけました
…………………

2時間以上待って  ようやく改札が始まり
除雪車の後を追いかけるように
列車は  ゆっくりと走り始めました

天塩  遠別  初山別  羽幌  苫前  小平  留萌…
総延長141.1km  日本海沿岸を南下する羽幌線
(こちらも3年後  廃止されてしまいました)

時々  右側に見える海は  かなりの荒れ模様
それとて  雪の壁で  まともに見通せず

同じボックス席に座った
地元のおばあさんたちから
みかんをもらい  話をしながら

⭐️写真はイメージです

…………………

留萌から  留萌本線に合流  深川を経て
やっとの思いで
道央の  岩見沢駅まで  たどり着きました

予定を大幅に遅れた  昼過ぎの待合室
まずはキヲスクで  駅弁を買おう…
ところが  お昼どきを過ぎたせいか
既に駅弁は売り切れでした

他に売っているのは  カステラや菓子パン
当時は  コンビニがあるわけでもなく
困っていると  キヲスクの方が
「駅弁作っているところに  電話してあげるよ」
何と!ありがたいはからいです!

手渡された  手書きの地図を頼りに
雪深き  豪雪地帯  岩見沢の路地裏を進みます
やがて  白い蒸気の向こうに
雪に埋もれた製造所が現れました

引き戸を開けて  スミマセーンと呼びますが
そもそもお店ではないため
誰も出てきません

何度か大声で呼んでいると  奥の扉が開いて
「ああー  電話の人かい?作ったよー」
と  男の方が  駅弁を手渡してくれました

「ひとり旅?どこから?えぇー道東から!
気をつけて行くんだよー」  …と言われ
泣きそうになりました

お金を払って  ふたたび雪の中を駅に戻り
キヲスクの方に  お礼を言います

「いやいや  なんもだー  よかったねー
ひとり旅かい?  いやー大雪で大変だったねー
気をつけて行くんだよー」

また泣きそう

がらんとした  古い木造駅舎の待合室で  
ひとり  イクラ弁当を食べました
出来立ての味
朝早くから  みかんしか食べていなかった胃に
そして  ココロに沁みました

⭐️デザインにも温かみがあります
鮭もクマも  どことなく  憎めない顔

包み紙の左上に書かれていますが
イクラということば  実は  "ロシア語"  なんです
икра(イクラ)は  "魚卵"  全般を指します

⭐️何にも勝るオリジナリティ💕
サケのまったり感…
北海道の  "北"  の文字も  味わい深いですね

※そういえば  北海道で昔よく使われていた
Jacke(ヤッケ)ということば
これもロシア語だと思っていましたが
調べてみたら  ドイツ語由来なんですね!
防寒着(ウインドブレーカー)のことですが
みなさん知っていました?


話が飛んでしまいましたすみません…

旅の後半は省略しますが
これが  わたしにとって
生涯忘れることのない  14才の体験です

北海道の  地名の中では珍しく
アイヌ語源ではない  岩見沢市
(湯浴みさわ  から来ています)
いまだにわたしの中では
"あたたかなマチ"  のイメージです

当時は  いま以上に
たくさんのひとの  "こころくばり"  で
世の中は  回っていたように思えてなりません


その後  平成から令和と  ときはながれ

あのときの  製造所を訪ねてみたくなり
包み紙の住所を頼りに  ずいぶん歩きましたが
既にマチは  大きく変わり
建物すら  残っていませんでした

キヲスクの入っていた  
歴史ある  岩見沢の木造駅舎も
2000年の漏電火災で焼失してしまい
新しい駅舎に  昔の面影はありません

お元気であれば  恐らく80-90才前後
わたしの旅を  繋いでくれた方々は
今もこのマチのどこかに
暮らしていらっしゃるのでしょうか

手元に残った  包み紙だけが
あれは  まぼろしではなかったのだと
わたしのこころに  さざなみをたてています

⭐️後ろに見えるのが  新しい岩見沢駅
2009年に  グッドデザイン大賞を受賞
多目的なオープンスペースを備えています

( ᐛ )ᕗるる@hokkaido

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