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愛車の思い出#1トヨタ・スターレット 原点にして永遠のメートル原器

私にとって、クルマのことを話すうえで絶対に欠かせないのが、トヨタ・スターレット(EP91)です。トヨタのエントリーハッチバックでありながら、パワフルなターボエンジンを積み、軽量な車体と相まって安く、速く走ることができたスターレット。今では10万キロ超えの個体でもMTであれば100万円を大きく超える値付けがされてますが、当時は安く走り出すのにうってつけでした。私はこのクルマを3台乗り継ぎ、数百回のサーキット走行を行いました。サーキットの2L以下V‐TEC/ターボクラスの年間最速を記録したり、草大会ですがタイムアタックの大会での好成績等を残しました。何よりも、このクルマで得られたドラテク、セットアップの基準は私のかけがえのない財産です。ロードスター、アルテッツァ等のFR車で走ったことにより磨かれた技術も、すべては最終的にスターレットのドライビングに集約されています。

① 初代:街乗りライトチューン
最初に購入したのは、フォード・マスタングと2台持ちのために買ったNAのグランツァSでした。35万円で6万キロの個体を購入しました。まだ、サーキット走行を始める前でしたが、5MTでキビキビと走る楽しさと、840㎏という軽さにほれ込み、運転はマスタングより遥かに楽しかったです。モディファイもそう多くなく、タワーバーにTRDのローダウンサス、タイヤは195/50R15のS. Driveという仕様でした。

初代のEP91。街乗り用で購入したNAのグランツァS。

② 2代目:下手くそサーキットランナーのでたらめチューン
2代目のスターレットは、ターボモデルのグランツァVを、38万円でサーキット走行をするために買いました。当時はまだお金もなく、お金をかけられない中で、速く走れるにはどうしたらいいか、を一生けん命考えていました。モディファイとしては、軽量化、タワーバー・ピラーバー等のボデー補強、車高調、タイヤ(TOYO R1R)、LSDにファイナル交換(純正3.8→4.3)等でした。

軽量化に関しては、ほぼ、壊しているのと同じくらいで、あっちこっち切り取ったりしながらどんどん軽く。足回りは、硬いことが正義と信じて、どんどん硬く。思い切って突っ込んで、リアを滑らせれば速く走れる。そう信じ続け、サーキット走行数回くらいでブレーキパッドもタイヤもすぐダメにしては、強化品を入れる。正しい走り方を知らない故に、クルマも部品も痛め続け、間違ったモディファイを突き詰め続けたのがこの2代目でした。とにかくクルマに負担を与える走り方をしていたため、最後は、トランスミッションのカウンターシャフトがねじ切れ、エンジンにもヒビが入って3代目にハコ替えすることになりました。

この代ははっきり言って、私のクルマ歴の中では黒歴史に近かったと思います。唯一よかったのは、熱心にサーキットを走り続けたことです。この時期は、平均して、50回/年程サーキットを走っていました。そのおかげで、お金がなく、当時流行りであった、排気量を1.5Lへアップして、フロントを245幅のハイグリップタイヤにして、フロントで引きずるといったようなクルマ観にならずに済みました。(あこがれていた時期はあります)
また、サーキットで、一時期職業レーシングドライバーを目指していた走りの師匠に遭うことができ、正しいクルマの動かし方を学ぶことがつながりました。

2代目はターボのグランツァV。基準のない、でたらめないじり方をしていた

③ 3代目:スターレットの良さを引き出した自信作
3代目に乗り換えるころから、チューニングよりも技術を磨くことに傾倒していきました。この3代目は箱替えということもあって、6万キロのAT車両を9万円で買ってきて、ビークルフィールドというショップに最大限のご厚意をいただき、リフトを2か月程専有させていただいて120万円かけて2代目からトランスミッションを含む各種部品を移植しました。その間のクルマを使えない時期はノーマルのロードスターやアルテッツァで走ったりしたことで、幅広いドラテクが身についた時期であり、ビークルフィールドのメカニックさんたちとの会話を通じてクルマについての知識が深まった時期でもありました。またクルマができてからは師匠に横乗りしてもらいながら、作りあげていきました。サーキット走行も、ウェット路面を好んで走る様になり、ドライではタイムを出す時だけ走る様に変わりました。

コーナリングも車両姿勢を変化させ、4輪それぞれの荷重変化でノーズを入れる、加速しながら立ち上がり区間も一杯につかって曲がる等、加速力に優れた小排気量FFに最適化した走りに変わっていきます。
これらの変化により、ドライビングスタイルも、突っ込みブレーキングから基本に忠実なスローインファストアウトになり、車両姿勢を丁寧につくりグリップを使い切るという今のスタイルが出来上がったことで、2代目とほぼ同じ部品を使っていながら、思想が大きく異なったクルマになりました。
例えば、
・スプリングレートは、F:10㎏ R:9㎏→F:7㎏、R:5㎏に変化。
・フロントネガキャン約5°
・補強は、ピラーバー等を外し、ある程度しなる様に。
・タイヤはR1Rをやめて、練習時はトレッドの柔らかいコンフォートタイヤ。タイムを出すときはHankook のR-S4 195/50R15(通し)を使用。
・リアの安定を好むようになり、GTウィングを装着 等

ドライビングが変わったことを象徴する出来事を一つ紹介します。
ブレーキパッドは、2代目も3代目も、アクレ フォーミュラ700Cという耐熱温度の高いメタルパッドを使っていました。2代目の時は、数回サーキットを走っただけでブレーキがフカフカ、パッドもフィーリングが悪くなっていましたが、3代目の時は50回走っても、フィーリングも悪くならず、交換も不要でした。

最終的には、ブーストアップ仕様で、160PS、車重は870㎏。主要なパーツや仕様を紹介すると、CUSCOの1WAY LSD、ブリッツのつるしECUとブーストコントローラ、XYZの車高調にSWIFTのスプリング、111レビンの4.3ファイナルに小倉の強化クラッチ。エアコン撤去、バッテリー室内移設、乗車定員2名化、フロントフェンダー内スポット増し等。

ライトチューンですが、これぞスターレットという走りをするクルマになっていたと思います。一方で、フロントキャンバーもかなりつけて、ステアリング感応が低い車に仕上げていたため、この車を運転した人からは「フロントの接地感が希薄、曲がらなくて怖い」という評価をいただくことが多かったです。ただ、ウェットでもドライでも速かったことは間違いありません。

3代目はドラテクも、セッティング技術も大きく向上し、自身のクルマ作りの基準となった
夏は暑く、冬は寒く、雨の時は曇りがひどかった内装
ビークルフィールドで作業していた時
ビークルフィールドで作業していた時
フロント部のスポット増し
完成間際のアライメント調整時
出庫の瞬間

ヘビーウェットでの走行動画です。ストレートでも全開加速するだけでハイドロが起きるような時こそが、クルマに負担をかけずに練習する絶好のチャンスでした。

スパ西浦も狂ったように走りに行きました。スパ西浦は複合コーナーが多く、楽しいコースでしたね。練習用のアジアンタイヤでの走りです。

最後はエンジンブローで降りることになった

2017年の夏頃からドライビングスタイルが完成し、Hankook R-S4で各サーキットでベストタイムを更新するぞ!という頃に、同時に異常な水温上昇に悩まされるようになっていきました。ラジエターを替えたり、ローテンプサーモを入れたり、だましだまし乗っていましたが、最後は1ラップで105℃を超えるようになってしまいました。ビークルフィールドと相談した結果、ガスケット抜けだけでなく、ヘッドも歪んでいるだろうとの判断で、そこで私とスターレットとの旅は終わりました。
3代乗り継いで、いじり方も特徴も知り尽くした自身の代名詞ともいえたスターレットでしたが、3代目を降りるときは、もちろん悔しくもあったものの、不思議と未練はありませんでした。

多くの物を与えてくれた過去最高のクルマ

このクルマで得られたものは、ドライビングスタイル・技術、セッティング技術、クルマ作りの基準や技術的な理解、素晴らしいショップ、数々のタイムと格上車両と競う楽しさ・思い出、数えきれないほどあります。何よりも、2代目、3代目を乗っていた時期は、ホントに夢中になれた時間でした。しかし、ずっと続ける必要があったかというと、そうではなかったのだろうと思います。

今、改めてスターレットに乗りたいとは、まったく思っていません。若かったからこそ、あのときだけしかできなかった経験だと思っています。しかし、私のクルマに関することのメートル原器(基準)は、常にこのクルマです。いつまでも、最高の戦友が残してくれた貴重な財産として、私の中で生き続けると思います。


乗り始めた頃の2代目スターレット

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