離婚よりさきに、身体が限界をしっていた
陣痛の痛みに耐えているときの、ストーリーから。
頭よりも、身体のほうが「知っている」
頭がいう「痛みに耐えろ」じゃ、続かない。
身体に、したがおう。
陣痛に苦しみはじめてすぐに、そうおもいました。
妊娠8ヶ月くらいのとき、とにかく陣痛がこわくて本を読みました(笑)
そこにかいてあったのは、「呼吸をしましょう」ということ。
なので、陣痛のとき、1にも呼吸、2にも呼吸くらいにかんがえて
呼吸にフォーカスしました
身体に、すべてを引き渡し、頭がいう「痛い」にとらわれ、
「耐える」を、手放しました。
身体にためこんだ「怖さ」
私は、夫に対する「こわい」を
長いあいだ、身体にためこんでいたのかもしれません。
いや、身体が発する「こわい」を
ながらく無視していたんだと思います。
最近やっと、夫との関係性のことで、怒ったり、悲しんだり、ということができるようになってきました。
夫からの弁護士を通じてやってくる、「主張書類」をみようとするとき、喉がつまる感覚にも、気づけるようになってきました。
こ、こわい・・・・・
という気持ちは、実は、忙しい日々のなかではかき消されてしまうほど
小さな声だなとおもいます。
でも、その代わり、すっごい正直なきもちだなとおもいました。
あるいは、
小さい声の代わりに、
身体がその声をひろってくれていて、
身体に残っていることなのかも。
小さい声は拾いにくいけど、
身体がいうことにはまだ気づきやすいかも、と。
だから、身体は「正しいかも」と、きづきました。
夫と「離婚」を初めてことばにしたとき
夫に「離婚したらどうするの」といわれ、平然と「子どもはわたしがみるよ。」と強気で、鼻息荒く言い放ったものの、
次の瞬間、悲しくて悔しくて、気持ちをうまく表現できませんでした。
大好きなソファーにからだを預けて、途方にくれました。
そのとき
わたしは、この人を信用しているか?
と、ふと身体が聞いてきたように、あたまで言葉がうかびました。
答えは、No。
わたしは、信用ならない人と、ちいさな赤ちゃんを育てていました。
あたまは、
この人の妻なんだから
好きで結婚したくせに
これからのお金はどうするの
とたたみかけてきますが、いったん身体に注意をむけると
身体は、「信用していない」と言葉にできて、ほっとしているというか、ふっと肩の荷が軽くなった感覚がありました。
じつは、身体のほうが、本当のわたしのきもちを知っているかのように。
からだの賢さを借りよう
信用ならぬ人と、親として協力をして、子どもを一緒に育てるのはむずかしいのかなとおもいます。
振り返れば、教育方針があっていたかと言われると、そうは思えません。
身体があたまが思うように動かないとき、
「あ、そうなんだね」といっかい受け止める練習をしています。
ひと呼吸おく
動かないときは仕方ない。
身体は、なにかたいせつなメッセージを
伝えようとしてくれているかもしれない。
もう、わたしはその声を見逃したくない。
その正しさを知ったから。
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