言葉が身に沁みるとき──台湾で出会った腑に落ちる瞬間
これまでの人生で、私は数えきれないほどの言葉に出会ってきました。学校では成語や熟語を暗記し、意味を理解したつもりになっていましたが、それらはあくまで知識にとどまり、体の中に染み込むような実感には至りませんでした。
社会に出てからも、人生に行き詰まるたびに本屋で自己啓発の本を手に取り、「明日からは変わろう」と決意しました。しかし数日も経てばその言葉は頭から消え、結局は元の生活に戻ってしまう。理解しているつもりでも、心や行動にまでは届いていなかったのです。
ところが年齢を重ね、数々の失敗や挫折を経験する中で、ふと昔耳にした言葉が「そういうことだったのか」と深く腑に落ちる瞬間が増えてきました。
若い頃には表面的な意味しか分からなかった言葉が、時間をかけてようやく自分の中で意味を持ち始めたのです。まるで長い年月を経て熟成した果実を口にするような感覚でした。
台湾で暮らすようになってから、その「腑に落ちる」という感覚はさらに鮮やかになりました。特に最近強く感じるのは、「他人は他人、自分は自分。もっと自分本位で考えてよい」という気づきです。
台湾の人々を観察していると、それぞれが自分らしさを堂々と表現していることに気づきます。街角や交通機関での遠慮のない会話の声、思い思いの服装や振る舞い、人前でもためらいなく自分の意見を述べる姿。最初の頃は「少し周囲への配慮が足りないのでは」と戸惑いました。しかし次第にそれが「他人を気にしすぎない生き方」であると分かってきたのです。
たとえば、電車の中で大声で話している人や、食堂で細かい注文をする人を見ても、誰も嫌な顔をしません。それぞれが自分のスタイルを大切にしているだけで、周囲も自然に受け入れている。
日本で育った私は常に「他人にどう見られるか」を気にしてきましたが、台湾では「自分がどうしたいか」をまず優先してよい空気が確かに存在していると感じます。
この環境に身を置くうちに、私自身も少しずつ変化していきました。以前は他人の目を気にして本音を抑えがちでしたが、今では「自分が納得できるか」を基準に考えるようになっています。不思議なことに、そうすることで人間関係が悪くなるどころか、むしろ信頼や距離感がより心地よいものに変わっていきました。
「他人は他人、自分は自分」。この言葉を知識としては以前から理解していたはずです。しかし台湾での生活を通じて初めて、その意味を心の底から理解できた気がします。言葉が知識から実感へと変わる──まさに「腑に落ちる」とはこういうことなのだと、今は自信を持って言えるのです。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは次の記事の肥やしに使わせていただきます!