🏫桜美咲シリーズ【学校編】第8話 生徒も知らない親からの深刻な相談
人物紹介

左から 桜美咲 30歳 総務課主任
井川つむぎ 23歳 総務課
西野花音 25歳 総務課
伊藤真央 25歳 養護教諭
前書き
いつも桜美咲シリーズを読んでくださりありがとうございます。
第8話は、これまでの少し賑やかな雰囲気とは少し違い、学校で実際に起こりうる「重いテーマ」を扱ったお話です。
ある日、事務室に一本の電話が入ります。
それは、学費を滞納している生徒の家庭からの連絡でした。
電話に出たのはつむぎ。
状況を察した彼女は、すぐに上司の美咲へ報告します。
そして、家庭の事情が外へ漏れないよう、慎重に対応を進めていきます。
この件はとても繊細な問題のため、今回は事務室の三人だけで共有することに。
もちろん、上司である教頭への報告義務はありますが、事情を説明し、できるだけ内密に扱ってもらえるようお願いすることになります。
学校という場所には、明るい出来事だけでなく、誰にも見えない苦しみや悩みも存在します。
そんな現実の一場面を、桜美咲シリーズらしい視点で描いてみました。
それでは、第8話をお読みいただければ嬉しいです。
本文
事務室の電話が静かに鳴った。
つむぎが受話器を取る。
「はい、神戸摩耶学園 事務室でございます」
電話の向こうから、少し戸惑ったような声が聞こえてきた。
「突然すみません。2年生の保護者の者ですが……」
少し間があったあと、その人は申し訳なさそうに続けた。
「実は……6月分の授業料を滞納してしまっていまして……」
声はさらに小さくなる。
「お恥ずかしいのですが、支払いをもう少しだけ待っていただくことはできないでしょうか」
つむぎはすぐに事情を察した。
責めるような言い方にならないよう、ゆっくりとした声で答える。
「お電話ありがとうございます。事情をお話しいただき助かります」
そしてメモを取りながら続けた。
「こちらでも状況を確認いたしますので、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
電話を切ったあと、つむぎは一度深く息をつく。
これは、外に広げる話ではない。
つむぎは静かに席を立ち、上司の美咲のデスクへ向かった。
「美咲さん、少しよろしいでしょうか」
声のトーンで、美咲はすぐにただ事ではないと気づいた。
「どうしたん?」
つむぎは周囲を確認し、小さな声で言った。
「学費の件で……保護者の方から相談の電話がありました」
つむぎは、美咲のデスクの前で小さな声で事情を説明した。
「さっきの電話なんですが……」
美咲は静かに頷く。
「うん」
つむぎはメモを見ながら続けた。
「保護者の方、精神的なご病気を患って会社を退職されてから、今は就労できていない状態みたいです」
事務室の空気が少しだけ重くなる。
美咲は腕を組み、少し考えてから口を開いた。
「家庭の事情やから、こちらから深く踏み込むことはできへん」
つむぎもうなずく。
「はい……」
美咲は続けた。
「でもな、公的な支援制度とかあるやん」
「そういう情報を案内することくらいはできるはずや」
つむぎの表情が少し明るくなる。
「たしかに……」
そして少し笑いながら言った。
「美咲さん、そういうの詳しいですよね」
「前の物語では労働局にいましたし」
美咲もつられて笑う。
「そうやな、懐かしいな」
「そのあとムギちゃんとも一緒に社労士事務所で働いたよな」
つむぎも思わず笑った。
「そうでしたね」
一瞬、二人の間に柔らかい空気が流れる。
しかし美咲はすぐに表情を引き締めた。
「あっ、ごめん」
「話それたな」
椅子に座り直し、つむぎの方を見る。
「話戻すで」
「まず、この件は事務室の三人だけで共有しよう」
「もちろん教頭には報告義務があるから報告はする」
「でもな」
美咲は少し声を落とした。
「できるだけ内密に扱ってもらえるようお願いしよう」
つむぎは静かにうなずいた。
「はい」
そしてメモを取りながら言う。
「家庭の事情もありますし、生徒さんが学校で嫌な思いをする可能性もありますもんね」
美咲はゆっくりとうなずいた。
「そういうことや」
「学校はな」
「勉強する場所やけど、それ以上に安心して通える場所であってほしいからな」
つむぎは少し考えてから言った。
「美咲さん……」
「その支援制度、私の方で一度まとめてみます」
美咲は少し驚いた表情を見せる。
「ムギちゃんが?」
つむぎはうなずいた。
「はい。今すぐに解決できる問題ではないかもしれませんけど」
「もし保護者の方が知らない制度があったら、少しは安心してもらえるかもしれません」
美咲はゆっくりとうなずいた。
「そうやな」
「制度って、知らなかったら使えへんもんな」
つむぎはメモを見ながら続ける。
「例えば、傷病手当金とか、障害年金とか……」
「あと自治体の支援とか、いろいろあると思います」
美咲は少し感心したように笑った。
「ムギちゃん、ちゃんと勉強してるやん」
つむぎは少し照れくさそうに笑う。
「美咲さんに教えてもらったことが多いですから」
美咲は軽く手を振った。
「いやいや、私はきっかけ作っただけや」
「調べて行動するのはムギちゃんの力やで」
そして少し真剣な顔になる。
「ただな」
つむぎも表情を引き締める。
「はい」
「制度の説明をする時も、押しつけにならんように気をつけなあかん」
「家庭の事情は本当に人それぞれやから」
つむぎは深くうなずいた。
「わかりました」
「必要な情報を整理して、美咲さんにも確認してもらいます」
美咲は笑って言った。
「頼むわ」
そして少しだけ優しい声で続けた。
「その家庭が、少しでも安心できるように」
つむぎは静かに答えた。
「はい」
その時、つむぎは思っていた。
あの電話は、
ただの学費の相談ではない。
きっと、
誰にも言えなかった「助けてほしい」という声だったのだ。
事務室の窓の外では、生徒たちの笑い声が聞こえていた。
美咲はふと時計を見た。
「もう昼やん」
少し伸びをしてから言う。
「ご飯行こか」
つむぎもうなずく。
二人は事務室を出て、いつもの食堂へ向かった。
いつも座るテーブルに腰を下ろす。
少し遅れて、花音と真央先生もやってきた。
「お待たせー」
「今日混んでましたね」
四人で昼食を食べながら、いつものように他愛もない話をする。
そして、
食事を終えたころ、見慣れた二人の姿が近づいてきた。
1年3組の沙耶と、その友達の遥菜だった。
沙耶はにこにこしながら、美咲の前に立つ。
「美咲ちゃん」
美咲は顔を上げる。
「ん?」
沙耶は嬉しそうに言った。
「おめでとうございます」
美咲は首をかしげる。
「えっ、何?」
沙耶は少し得意そうに言う。
「今月のキュンキュングランプリ」
✳︎キュンキュングランプリとは
井川沙耶が1年3組男子15名に
美咲、花音、つむぎ、真央先生の
中から推しを1人選んでもらう
グランプリです。
「美咲さんが1位です」
美咲は一瞬固まった。
「……えっ」
「それほんまに?」
沙耶はうなずく。
「はい」
そして小さな袋を差し出した。
「記念品を差し上げます」
美咲は戸惑いながら受け取る。
「えっ……」
袋を開けて中を見た瞬間、美咲の表情が変わった。
そこには、たくさんの手紙が入っていた。
1通、2通ではない。
15通。
1年3組、野球部の生徒全員からの手紙だった。
沙耶が静かに説明する。
「廃部寸前の危機を、美咲さんが救ってくれたから」
「みんなで、お礼を書きたいって」
美咲は手紙を1枚手に取る。
そこには、少し不器用な文字でこう書かれていた。
「俺たちの代で、美咲さんを甲子園に連れて行きます」
「その時は、ぜひ部長としてベンチに入ってください」
✳︎ちなみに、野球部の部長とは、生徒を引率する教師が務める役職である。
文字を読み進めるうちに、
美咲の目が潤んでいく。
「……えっ」
「ほんとに……?」
声が少し震える。
「こんなん見たら……」
言葉が続かない。
ぽろっと涙がこぼれた。
美咲は笑いながら言う。
「私……野球のルールもよく知らんのに」
そして、少し恥ずかしそうに続けた。
「ほんまに……」
「私でええの?」
テーブルの周りに、静かで温かい空気が流れていた。
「沙耶ちゃん、ありがとう」
美咲は涙をぬぐいながら笑った。
沙耶と遥菜は少し照れたように笑い、手を振って教室へ戻っていった。
昼休みも、もうすぐ終わる。
美咲は時計を見て立ち上がる。
「よし、仕事戻ろか」
食堂の空気から一転して、事務室へ戻ると三人の表情はすぐに変わった。
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