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【二】 大神・親神様と加藤先生

[理法堂解説: 簡単に言うとこの本は、加藤さんというおばあさん(女性、当時60-70ぐらい)を通して、宮下さん(男性、当時50歳ちょっと)が、大神様親神様と繋がって、いろいろな人を神通力で助けていた実話に基づいたものです。私は当時、実際に助けてもらった者であるので、この話が嘘でないことを知っているのですが、いかんせん、本を読んだだけの人は、信じられないと思います。

この本は宮下さんが書いたものなので、加藤さんのことを加藤先生と呼んでいます。私は助けてもらった者であるので、宮下先生、加藤先生、と呼んでいます。別に二人が教職に就かれていたとかではありません。

当時のように直接神様にお願いできないので即効性はありませんが、この本に書かれている霊障の除去方法は効果がありますので、とりあえず、読んでみるかなぐらいの気持ちで読んでいただければ幸いです。

私に当時の宮下先生や加藤先生のような神通力があれば読者の方の悩みを直接解決して、信じてもらえるとは思うのですが、いかんせん、私は修行がまだまだなのか、そのような神通力はありません。ということで、自分の経験を話したり、30年前に出版されたこの本を転載したりすることで、せめて昔の恩返しをできればと思っております。]

私たちをご指導下さっているのは、大神様と親神様でございます。大神様がこの世に現れてご指導下さいますようになった年月は、まだ数年かと思います。大神様は、加藤先生のお宅にお鎮まり下さいます。親神様は、奈良の天理市にお鎮り下さいます。中山みきさんのお身体を通して今から百数十年前より、人間が陽気暮らしができる色々の有難い教えをご指導下さっております。

また、大神様が現れる2年くらい前より、加藤先生のお身体を通して再度(中山みきさん以来)私どもに色々の教えを伝え、それを納得させるために、その証として信じられないような奇跡を次々と見せて下さっております。その幾つかは「心の友」誌に書かせてもらっております。

親神様は天理市にお鎮まりになるために、天理教の神様のように誤解をされ、俺は天理の信者ではない、と反発の心が働く人もいらっしゃるかと思いますが、親神様は天理教という団体の神様ではありません。世界の、全人類の元神様でおられます。だから、加藤先生のお身体をお借りして話される時も、今まで一度も天理教という言葉は話されたことがありません。

「神の鎮まる場に参ってみよ。何かを感ずるであろう」と申されます。私ども人間は、あの宗教、この宗教というようにこだわり、組織を重んじますが、親神様はそんな小さなことを少しも問題にはしておりません。全て人間は神の子だと、捉えて下さっております。大神様の教えは、加藤先生を通して教えられ、私どもの本以外には学ぶことが出来ませんが、親神様の教えは長い歴史がありますから、関係の出版物などより学ぶことができます。

天理教にも入らなくて良いですし、信者にならなくてもよいのです。親神様は私どもの親です。世評や宗教組織を怖がったり、天理教の信者でないからといったりして、親神様の考えに近づかないのではなく、親の言うことを多く知ろうと努力して欲しいのです(今日まで、親神様を祀り、その教えを伝えて来て下さった天理教の方にも感謝したいと思います。ただ、私どもは、天理教というレッテルを貼られるのは嫌なんです。親神様のところへは、親ですから、お参りに行きたいだけのことなんです。また、天理教会の方々の努力により、きれいなぢばに参拝できておりますことも、感謝しております)。

大神、親神様のお手伝いをさせてもらって色々分かって来ますと、天理の教えが全く正しく、「心の友」誌で話させて貰っていることと完全に一致し、人類の救いの道は過去から既に説かれていたことに気づきます。考えれば、どちらも親神様の教えですから、同じ答えになるのが当然ですが、百数十年も過ぎてそれを今、再確認するのも、この乱れた世に必要なこととして発表する機会を与えられたのかもしれません。

(1)加藤先生と中山みきさんの違い

加藤先生はいつも、「なぜ私のような者に、このような力がついてしまったのかしら。他の人でも良いのに…。仮にどうしても私でなければならないとしたら、もっと若い時ならもう少しお役に立てたのに…」と申されています。その点について、天理教の教祖、中山みきさんとの役割の違いを神様にお伺い致しました(平成元年1月24日午前1時のことです)。

大神「天理の教えなるものを多くの人々に知らせるにあたり、その時代の折の中山みきなる者を神の道具と致し、世の人々の助けの道明けを致し、時により事に寄せ、神の思いを伝えたのじゃ。その折のすべての道明けと致し、歌にまた言葉にて、人々の心の成人を導き、知らせ助けることにての道具に致したのじゃ。

だが、そなたへの神の使いとしての道は、まったく別の思いありてからじゃ。その印と致し、障り、神の助け、亡者の助け、前世の折にての知らせ、存ぜぬことをそなたを通し、その様な関わりにて苦しみ喘ぎておる者たちを救う道の行いを知らせたく、魂の清き因縁の持ち主のそなたを使うたのじゃ。

そなたをおいて、道具と致しての行いのできる者は、世間広しと言えども他には一切ないのじゃ。多くの者達を次々と助け、良き運命に切り替えねば、この後益々人々の心はすさび、思いやりなき者達のいがみ合いの世の中に変わりて参るを、神は見ておれぬのじゃ。そなた、「いやじゃ、疲れる」と事毎に申しておるが、神はそなたを道具と致し、この先どこまでも人助けの道具と致し、連れて参るのじゃ。

そなたは年老いたと申しておるが、神の道に年はないのじゃ。この先、まだまだ数十年は道具と致し、神は使うて参るのじゃ。神がそなたを道具と定めしは、神の思いつきではないのじゃ。そなたを神の道具と致し使うことは、生まれる前よりの約束ある心の持ち主であるからじゃ。この先とて、神の手足となり、どこまでとて勤めることは神は申しておくのじゃ。では戻るぞ。

加藤先生も初めのうちは、逃げられるものなら逃げたい、と何回も思われたようですが、その都度説得され、今は運命のままに働かせてもらう、と申されています。私も加藤先生の下僕としての役割を頂いたのですから、これも前世からの因縁と思い、喜んで勤めさせてもらおうと思っております。

今では、いつでも命はお返しできる心境です。死というものは、神様の用事が無くなったときに与えてくださるものだと信じておりますから、それが早くてもそれまで一生懸命に神様の道具としてお使い頂ければ有難いと思っています。1日1日が楽しく働ければ有難いことです。

(UnsplashChristoph Nolteが撮影した写真: 本文とは関係がありません)

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