【noteの書き方2.0?①】「意味があると思っている内側」と「意味がないと思っている外側」のフレームのないフレームワーク
最近この思考パターン(?)が、自分の中で流行っていて、何か汎用性があるような気がしてきたので、ちょっとまとめてみようと思います。
もしかしたら、あらゆる読書やnoteの記事が、このフレームがないフレームワークで、整理できるのかもしれない。
さすがに大袈裟なんですが、読んでいなくても堂々と語るのがこのnoteのコンセプトですから、このフレームワークで「noteの書き方2.0」を語る(?)とでも言ってしまおうかと思います笑
すなわち
「意味があると思っている内側」
と
「意味がないと思っている外側」
という「フレームがないフレームワーク」です。
なぜ、「フレームがない」のかというと「意味があるもの」と「意味がないもの」の境目は「あいまい」だから。あいまい大好き人間。
これを文章の書き方に当てはめてみます。
とりあえず図で書いてみた

すごい大胆なことを言ってしまうと、およそ文章は以下のように分類できるのではないかと思っています。
① 「意味がないと思っている外側」が、実は「意味があると思っている内側」だった。
② 「意味があると思っている内側」が、実は「意味がないと思っている外側」だった。
③ 「内側」と「外側」の境界線をはっきりさせて、「意味があると思っている内側」を際立たせる。
④ 「内側」と「外側」の境界線をあいまいにさせて、「意味があると思っている内側」を揺さぶらせる。
⑤ 「意味があると思っている内側」を語る。
⑥ 「意味がないと思っている外側」で遊ぶ。
「意味があると思っている内側」というのは、
大事なこと、重要なこと(と思っていること)。
例えば、最近は科学的な思考が流行っているし、コスパとか合理的な思考とかは内側に入ると思っている。
あるいは、資本主義社会において、お金のことはまあ大事だから、内側に入ることが多いと思っている。
ついでにあえて小林秀雄の言葉でいえば「常識」 ではないかと思っている。
一方「意味がないと思っている外側」というのは、
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)でいえば「ノイズ」、
『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(谷川 嘉浩著)でいえば「衝動」、
『センスの哲学』(千葉雅也著)でいえば、「リズム」
noteでいえば、例えば、
「なんのはなしですか」
ではないかと思っています。
ということで、文章におけるフレームのないフレームワークをやってみます。
気づき系(①外から中へ、②中から外へ)
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