ことばが流れを変える瞬間
ことばには、流れを変える瞬間がある。
良い流れに変えることもあれば、悪い流れに変えてしまうこともある。
確か、小学校6年生のとき。
クラスでちょっとした問題が起こったことがあった。
ある女子児童(以下、Aさんといいます)の容姿を揶揄するような発言が、児童たちの間で流行るようになった。今でいう「いじめ」である。
私は、正直クラスの中では、誰とでも一定の距離を取るタイプで、特別誰かと仲が良いわけでもなかったので、いじめグループに荷担することもなく、かといって、Aさんに話しかけることもほとんどなかった。
ただ、Aさんに対して、ちょっとひどいなと思う発言を聞いたことはあったので、それに対して注意ができなかったという意味では、今でいうと「いじめ」の傍観者だったのかも知れない。
そんな中、学級活動のクラスで緊急集会が開かれたことがあった。
椅子を円の形にして、担任の先生も入って話し合いをすることになった。
記憶が曖昧なところがあるが、クラスで起こっている問題について、学級内で話し合うというような感じだった。
学級内で起こっている問題について、みんなにどう思っているのかを聞いていく。当然、あまり気持ちのいい時間ではない。
ある子が、
「わたしは、クラスの中で、ある子に対して、ひどいことをいっている人がいることが問題だと思っています。その子は、とても辛い思いをしていると思います。あるとき私も、一緒になって笑ってしまったことがありました。それが辛かったです。私もひどいことをしてしまいました。ごめんなさい。その子とはAさんのことです。Aさんはすごく辛いと思いました。」
と涙ながらに勇気をもって発言した。
そのあと、他の子が2,3人同じようなことを発言した。これもとても勇気のいる発言だと思う。
先生が、Aさんはどう思うかと聞くと、Aさんも「正直にいうと辛かったです」と答えた。Aさんも正直に発言することはとても勇気のいることだと思う。
その後、ランダムで一人一人どう思っているかが聞かれ、「私もひどいことをした」「私も~~なことを言ってしまった。ごめんなさい」と言っていた。何人かの子が涙を流している。Aさんも涙を流していて、つられて涙を流す子がいた。
それから、実際に結構悪口を言っている子にもどう思っているかを聞かれた。その子はおそらく自覚があるのだろう、かなり気まずそうにしながらも、「自分もひどいことを言ってしまった。申し訳ない」と言ったようなことをモジモジしながら話していた。
先生は、順番に子どもたちの話を聞いていきながら、先生も辛そうな様子であった。ただ、おそらく子どもたちが正直に話しているような様子から、この場を設定したことに、手応えも感じているようでもあった。
ただ、私にはどうにも違和感があった。
ランダムで次々に話が聞かれているが、これまで指された人全員が「Aさんにひどいことをしてしまった。Aさんがかわいそうだと思った。ごめんなさい」といった趣旨の発言をしている。
しかし、クラスの全員がそこまでAさんにひどいことをしていたのだろうか。濃淡はあれど、全員ではなかったような気がする。私が、割と距離を置いていたから気がつかなかっただけなのかも知れないが。
そのうえで、クラス全員に話を聞き終わったあと一体どうするのだろうか。
全員が同じようなことを言って、もうAさんにひどいことを言うのはやめましょうと先生がまとめて終わるのだろうか。
それは、何か妙な違和感を残すような気がした。
先生が私を指名した。私はだいたいこんな感じで答えることにした。
「正直、私は、私がAさんにひどいことをしてしまったのかよく分かっていません。ごめんなさい。このままだと私はAさんに今後どうやって話しかけたらいいのか分かりません。」
先生は、これまでとちょっと違うことを言われて、一瞬虚をつかれたようだった。
しかし、その発言を受けて、先生は、Aさんに今後どうしてほしいのかを聞いてくれた。
Aさんは、「これまでどおり、友達と仲良くしたい」と言った。
その後に、指名された子は、みんなAさんとこれからも仲良くしたいということも言うようになった。
先生は、Aさんがかわいそう、と言うのも違う、みんなこれからもAさんとは変わらずに一緒に仲良くやっていきましょうといって、学級活動は終わった。
もしかしたら、ほんの少しかも知れないが、ことばが流れを変える瞬間だったのかもしれない。
ことばは時に凶器になるとも言われる。一方で、ことばが人を救うこともある。人を救うなんて大げさなことではなくても、ことばはその場の流れをほんの少し変えることがある。必ずしも対立したり、批判したり、非難したりしなくても流れが変わることはある。
このことばが流れを変える瞬間というのが、私は、割といつも気になっている。
noteを書くときにも、何かしらで、「ことばが流れを変える瞬間」というのが作れたらいいなぁと思っている。少なくともことばが流れを変える瞬間を意識するようにはしている。それは、自分の場合は、意図的なこともあるけどどちらかというと、あまり意図せずそうなる場合も多いような気がする。
良い流れに変わったこともあれば、悪い流れに行ってしまうこともある。
難しいけど、少なくともよい流れに変えられるようにするためにはどうしたらいいかを意識するのはけっこう大事な気がしている。
ちょっとした気づきが流れを変えることを当事者同士が意識すれば、対立したり、批判したり、非難したりするのとは違うかたちで良い流れを生み出していけるのではないかと思っている。あるいは意見が対立していたり、批判したりしている関係であっても、話には流れがあり、ことばが健全な流れを生み出しうることを意識すれば、必要以上の誹謗中傷に陥らずに、議論をかみ合わせることができるのではないかと思う。
そんなわけで、ことばが流れを良い方向に変える瞬間を求めて、「今日一日を最高の一日に」
