はじめてお金を稼いだ話は正直忘れてしまったけれど、はじめてのお金が稼げなかったときの話はよく覚えている
大学生になるまで、アルバイトをしたことがなかった。
つまり、高校を卒業するまで、お金を稼いだことがなかった。
高校のときは、部活や受験で、アルバイトをしようという考えがあまりなかった。お金がそんなに必要だと感じていなかった。
大学に入学してもしばらくはアルバイトをしなかった。
かといって、大学でサークルや勉強に熱心に打ち込んだりしたわけでもなかった。なんとなく過ごしていたら、いつの間にか、大学1年の前期課程は終わり、夏休みが終わってしまった。
このままで大丈夫なのだろうか。このまま全く社会経験を積まないまま、なんとなく大学を卒業して、社会の荒波の中で生きていけるのだろうか。
漠然とした不安。
はじめてアルバイトを探したのはそんな理由だった。
探すポイントは、生きるための社会経験が積めるかどうか。
当時の私は、一歩間違えれば社会不適合者として社会から排除されかねない存在だった。その状態を解消しなければ、このまま一生を終えてしまいかねない。今が適合者なのかはわからないけれど。
アルバイトを探していることは、誰にも言わなかった。
両親にも伝えなかった。
というか、言えなかった。
それくらいコミュ障で、社会不適合者だったのである。
アルバイト先は、当時の通信速度も早くない携帯で、検索した。
なかなか見つからない。
コンビニとかはどうだろう?でも、あんなたくさんの商品を取り扱えるのだろうか。
居酒屋は?でも、接客なんて無理そうだ……。
スタバ?でも、スターバックスなんておしゃれすぎて入るのすら勇気がいる。
ドトールコーヒーでも、入ろうかどうか店の前で悩んでしまって、同じ場所をぐるぐると廻って入ろうか入るまいかウロウロしてしまう。
安心して入れるのは吉野家とマクドナルドくらい。ちょっとこだわってるラーメン屋ですら、自分みたいな人間が果たして入っていいのか躊躇してしまう。
じゃあ、引っ越し屋?でも、体力がないからたぶん無理……
大学の講義があるから働ける時間も限られちゃうし……
そんな絶望的な調子だったので、誰にも告げないバイト先探しは難航した。
大通り沿いだとだれかに見つかってしまいそうだ……できる限り目立たない場所にしよう。でも、大学からあまり遠すぎない方がいい。できれば徒歩圏内で……
そんななか見つけた求人が、大学の裏手の住宅街の中にある宅配弁当屋であった。
うん、ここにしてみよう。ここだったらたぶん見つからない……週3からでもできそうだ。
いま思えば、何を恐れているのかさっぱりわからないが、ここにしようという目途をつけた。
しかし、決められない。とりあえず、一晩おいてみよう。
翌朝。再び求人サイトを見る。良かった。まだ募集中だ。さて、電話をするか。いや、どうしよう。いきなり電話をして大丈夫だろうか。そもそも、時間が早すぎないだろうか。そうすると適切な時間帯はいつなんだろう。まだ早いか。いやしかし、このままでは求人が埋まってしまう。ええい……
結局、電話を掛けたのは翌々日の昼だった。
簡単に名前と年齢、大学生であること、宅配弁当屋の経験、というかバイト未経験であることを伝える。
そして、まずは一度来てくださいという話に。
*
約束の日。
大学の講義のない時間帯。大学の友人からの遊びの誘いを断り、一人。大通りとは反対方向の人気のない住宅街へ。
歩いて15分ほどしたところに、その弁当屋はあった。
「あ、来ましたよ」
若くて爽やかな男性が、後ろでフライパンを振っている中年男性に声を書ける。
「……あ、失礼します」
おそるおそる宅配弁当屋のなかへ。
15㎡くらいの狭い部屋の奥に、大きな周辺地図が張られている。真ん中には銀色の年季の入った卓があり、お弁当の箱が綺麗に並べられている。角にはキッチン。フライパンを持った男性は手際よく中に入った炒め物を大皿に移し、それと示し合わせたタイミングで、若いほうの男性が一連に並べられた弁当箱に慣れた手つきで盛り付けていく。
まるで空間全体が生きているような波動を感じる。
「どうぞ、そこに座って」
中年の男性の名前は忘れてしまったが、「高なんとか」だったと思うので、「高橋さん」と呼ぶことにする。
髙橋さんは、フライパンを慣れた手つきで洗うとエプロンを外しながら私の向かいに座った。
「君、はじめてなんだよね」
「……はい。」
「どうしてウチなんかで働こうと思ったのかな?」
「……え、いや。大学にも入っているのにぜんぜん働いたことがないのはまずいかなと思って」
「大学はどこ?」
「〇〇大学です。」
「え?〇〇大学の大学生なの?じゃあ、わざわざウチなんかで働かなくたっていいじゃん。」
「え!〇〇大学なの?キミ?」
若い男性が口を挟む。名前は忘れてしまったが、「わ」で始まった気がするので「若林さん」と呼ぶことにする。
「すごいじゃん。いくつなの?あ、じゃあ同い年だね」
「あ、そうなんですね。若林さんは、どこ大学なんですか?」
「俺?俺は大学なんて頭のいいところにはいけないよ。もう、ここで働いて3年目になる」
「え、そうなんですか。すごいですね」
「何言ってんの。君の方が全然すごいよ。君みたいな大学生はこんなちんけな弁当屋なんかで働かなくたって大丈夫だよ」
大丈夫。の意味が理解できなかったが、「君はここで働くような人間ではない」というオーラを2人から出されたような気がした。
「君、今日時間大丈夫?」と高橋さん。
「あ、〇時までだったら、大丈夫です。そのあと5時限目があるので。」
「あ~そうなんだ。じゃあ、それまでとりあえず彼と一緒に行ってどんな仕事か見てきてよ」
「え?今日ですか?」
私はあっけにとられていたが、弁当は次々に作られる。
電話音。
すかさず若林さんが電話を取る。
若林さんは、注文を聞き、住所・氏名をスムーズに聞き取る。慣れた問答。配達予想時間もスムーズに答える。堅苦しい感じもなく、かといって失礼さも感じさせない語り口。嫌味な感じも一切せず、とても同じ年齢とは思えなかった。
と思った瞬間。若林さんは、酢豚弁当2つ、生姜焼き1つといったようにスムーズに発声し、髙橋さんはほぼ同時に既に材料の入ったタッパーを取り出している。
「✕✕町のほうに行ってから、△△マンションにいって、こっちのルートから線路わたって、〇〇時には帰ってくるので、次は●件行けますね」
流れるような連動性。ぼーっとしていたら、おいていかれそうだ。
「じゃあ、lion(仮名)くん、行く?」
「……あ、はいお願いします……」
「原付の免許は持ってる?」
「……あ、このまえ普通免許とったばっかりで、原付ちゃんと運転したことはないです……」
「え?大丈夫かなあ。とりあえず、これね。乗ってみて」
慣れない手つきでエンジンを掛ける。おそるおそるではあるが、先導して運転する若林さんの挙動を見ながら、それについていくことにした。
✕✕町のアパート。一人暮らしの男性だ。インターホンを鳴らす。
「こんにちは!〇〇弁当でーす!はい、酢豚弁当。〇円です。じゃあこちらポイントですね。ありがとうございまーす」
若林さんは、全く躊躇することなく、しかもスムーズに接客と弁当の引き渡し、お金を受け取ってからのお釣りの計算、お釣りを渡すところまでをさらりと遂行していく。
「じゃあ、次はlion君が接客やってみて」
「え……自分がですか」
「うん、後ろで見てるからさ」
まさか、いきなり接客をすることになるとは思わず、慣れない運転の手つきのままで、次の△△マンションへ。インターホンをならす。
「あ……あの……すいません。え……っと。あ、はい。〇〇弁当です。はい。すいません。お弁当が2個。え?酢豚弁当ですよね……はい、はい……すいません」
何とか弁当を渡す。お客さんからは1000円札を数枚渡される。え……っと、おつりはいくらなんだ……。計算機……
「おつりは340円ですね~。ありがとうございま~す」
後ろから若林さんが声をかける。340円……40円……小銭をまともに数えることすらできないのか自分は……あ……
チャリーン
「あ、す、すいません……」
お金を拾いながら、若林さんも苦笑いで、落としたお金を渡すわけにもいかず、結局、若林さんがお釣りの対応をしてくれる始末。
そして、弁当屋へ帰還。
「どうだった?」と高橋さん。
「……いや……すごく難しかったです」
「そっか……」
高橋さんも若林さんも、さすがに君はちょっと厳しいかなというオーラをそこはかとなく放っていた。
電話音。
「はいーはいー。ありがとうございまーす」
次の瞬間。二人は、次の調理と宅配の準備へ移りだす。
「lionくんは、授業なんだよね。じゃあ、こっから先は大丈夫だから。お疲れさま!」
この人たち、凄い……。自分、こんな感じにならないと社会で生きていけないのか……。
その日は、絶望に打ちひしがれるように帰宅した。
*
後日。高橋さんから、電話。
「あ、lionくん。この前はお疲れ様。実はね、経験のある人が別で求人に入ってて、申し訳ないけど、そっちの人にアルバイトは頼むことにしたわ。まあ、今回は悪いけど、そういうことでいいよね」
ぐうの音も出なかった。いや、むしろもう続けるのは無理だと思っていたので、次来てくださいと言われなかったことに少しほっとしたくらいであった。
「大丈夫です。……すいませんでした。」
「いいの、いいの!勉強頑張ってね」
こうして、私のはじめてのお金稼ぎはあえなく失敗した。
「お金を稼ぐ」というのは、こんなにも難しいものなのか。
彼らは、「◯◯大学に行っているんだから、ウチみたいなところで働く必要はない」と言っていた。
いわゆるテスト勉強みたいなものはもしかしたら自分のほうができるかもしれない。でも、そんなものは、あの波動空間では何の役にも立たない。そんなふうに感じてしまった。
お弁当は、お客さんにとっては一食分のささやかな価値なのかもしれない。
でも、彼らは、間違いなく町のニーズに応え、価値をもたらしていた。あそこのお弁当はおいしいのだ。
価値をもたらしているからこそ、お金がもらえる、お金が稼げる……
だとしたら、わたしにはいったいどんな価値をもたらすことができるのだろう……そんなことを考えると、まだ何にもできていない気がしてきてしまう。
私なんかがお金をもらっていいのだろうか……
お金をもらう前に、そもそも……
「お金を稼ぐ」「収益化する」そんな言葉を聞くたびに、私はこの無限ループのなかに取り込まれてしまう。
今は、なんとか仕事をしながら生活をしているけれど、未だに「お金をもらうために何かをする」というのが難しい。値付けをするのが難しい。できれば値段は自分で決めたくない。お金は欲しいけど、請求したくない。「何かをしていたら、いつの間にかお金を頂いている」という感覚。
そんな感じなので、周りからはお金を稼ぐのが下手だと言われる。
そうだとしたら、その原因は、もしかしたら、あの宅配弁当屋さんにあるのかもしれない。
損な人生だ。
でも、今でも心のどこかであの宅配弁当屋さんのようになってみたいと思ってしまう自分がいる。
誰かのためになる波動空間。
そういうわけで、はじめてのお金が稼げなかったときの話は、強烈に覚えている。
そして、そのあとにあったはずのはじめてお金を稼いだときの話は、不思議なことにあまりうまく思い出すことができないのである。
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