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自分の中にある「正解」に基づいて、行動するということ

 ある本を読んでいたら、「現代人は自己完結している」という記載がありました。


 「現代人はちょっと深そうな話を聞くと、それを即座に取り入れて、それに基づいて何事も判断し、宣言し、決めつけることができると思っている」というようなことが書いてありました。

 確かに、SNSでは、「答え」がたくさん書いてあるように思います。そして、私達は、その答えに共感する。そして、それを取り入れて、判断をしているきらいがあります。
 自分の中で「答え」を見つける。そして、それを信じる。自分軸なんて言い方がされることもありますが、「自分の頭で考えて」「自分でやりたいことを見つけて」「自分の軸で行動する」そんなことがよく言われます。

 この点について、この本では、オルテガの引用があります。

ところが今日、現代人は世界で起こるすべてのこと、あるいは起こるはずのすべてのことについて、非常に厳格な「考え」を持っている。必要なものはすべて自分の中に持っているのだとすれば、どうして人に耳を傾けるべきなのだろうか。今や聞く理由はないどころか、判断し、宣言し、決めつける理由がある。

谷川嘉浩. 増補改訂版 スマホ時代の哲学 なぜ不安や退屈をスマホで埋めてしまうのか (ディスカヴァー携書)

 自分の中で、自分の考えが、明確に厳格に存在しているのであれば、全て自分の中にもっているのであれば、どうして、人に耳を傾けるべきなのであろうか。今や聞く理由はない。
と書いてあります。

 ……たしかに。

 自分の中で「答え」を見つける現代人は、自分の中で、まさに自己完結している。そして、自分の考えで行動している。というか、判断し、宣言し、決めつけているとオルテガは言っています。

 自分の中にある「正解」に基づいて、どんなことでも自分が判断し、宣言し、決めつけられているという姿勢で生きてしまっている。
 いうまでもないかもしれませんが、この現代人の特性にオルテガは批判的です。

 オルテガは、「エゴイズムは迷宮である」と言います。自分の生の内部だけで自己中心的に歩くつもりなら、進むことなく、同じ場所を堂々巡りする。

自分が迷っていると実際には感じていない人は、間違いなく迷う。つまり、自分を見つけることはなく、自身の現実にぶつかることもない。

谷川嘉浩. 増補改訂版 スマホ時代の哲学 なぜ不安や退屈をスマホで埋めてしまうのか (ディスカヴァー携書)

 現代人は、自分で考えて、自分の中にある「正解」に向かって行動している。「自分が迷っている」とは微塵も思っていない。
 しかし、自分が迷っていると自覚しない迷子ほど厄介な迷子はいないと本書にはあります。なかなか辛辣です。
 だからこそ、迷子でいることのない、不安を自覚しない、自分の中で「正解」をもっている現代人は、「羨ましいほど落ち着き払っている」そのようにオルテガは言います。

 ……なんかそういう人、よく見かけるような……

 もしかしたら「大丈夫じゃないかもしれない」「間違っているかもしれない」そういった疑いは、結構、他人に向けられます。
 「だからあいつは~」とか「あいつはダメだ~」とかもうちょっと抽象的に「こういう人はダメだ~」とか、そういうことは、現実社会でもSNSでも飛び交っています。
 でも、自分に対しては、自己完結的な生き方をしているので、そのベクトルが向かわない。

 オルテガは、「現代人は迷子だが、迷子を脱するべき」とは言いません。
 迷宮にも思える自己完結性を打破するためには、「自分は迷子である、ほかならぬ自分自身が迷っていると認識し、その迷いとともにある」ことが必要です。

 これは、迷い取り乱れているということを認めるということであり、落ち着きはらってなんかいられません。

 オルテガは迷っていることそのものを否定しない。むしろ、自分は危うさを抱えているということを知っている、ある種の不安と警戒心であり、世界で起きていることに注意深くあろうとする豊かで緊張感のある好奇心を持つべきと言っているということになります。

 これは、自分を疑うということです。自分を信じる、自己完結している、自分の中で「答え」を持つとは真逆のベクトルです。

 ここまで書いてきて、思わずそういう人多くありませんか?特にSNSとかだと笑と言いたくなってしまうのですが、その発想は、ほかならぬ自分を疑うということができていない可能性を含みます。

 だから、まず自分が答えだと思っていることが本当に正しいのか、警戒心と好奇心をもって疑う、というのが大事だと思います。この文章すらあっているのだろうか……

 さて、この自分を疑わず、不安のかけらもない、落ち着き払った現代人。こういう形容をオルテガはしているわけですが、一方で、果たしてそうなのだろうかという疑問もあるわけです。

 現代は、不安の時代とも言われています。
 そうした不安についての教科書的な一冊といえば、カーネギーのこの本だと思います。

 この本は、一言でいえば、「不安に対するバイブル」なんだと思います。
 なに?不安なんだって!?とにかく、行動しなよ!そうしたらいつの間にか不安じゃなくなっているんだからさ!というテイストの本だと思います。

 私も、働き始めたときに不安で不安で、この本を結構バイブル的に読んでいました。
 実際そうなんです。モヤモヤしているといろいろな思考が浮かび上がってきてしまって、行動に移せない、余計不安になる。だから、一回ある種の思考停止をして行動する、それによって、結果がついてきて、いつの間にか不安じゃなくなっている(不安どころじゃないみたいな状態になる)という感じです。

 そんなゴリゴリマッチョの不安バスターがベストセラーになっています。

 だから、私は、現代人って自己完結しているかっていうと本当はそうじゃなくて、不安バスターであえて思考停止しているっていうのが実際に近いところなんじゃないかなあという気がしています。
 そして、それって「迷子であることを自覚しない愚かな迷子」なんだけど、それでもいいんじゃないかって価値観はあるよなあと思ったりします。

 最近は、「道は開ける」を読むことも少なくなりました。ゴリゴリマッチョの思考は、30代を過ぎてかなり落ち着いたのかなと思います。

 そうすると、「迷う」わけだ(笑)

 あ、ここで2パターンに分かれるのかもしれないと。
   つまり、自分が迷子だと自覚するのか、他人が「迷子」だと批判するのか。
 さっきのオルテガの話です。

 ここで、自己完結をしてしまっていたら、人の聞く耳を持たなかったら、「あいつはダメだ」の、自分の「正解」で動く人になるのかもしれません。
 でも、それは合っているのか間違っているのか分からないわけで、う~ん、どうなんだろう……あ……これが自分を疑うか……

 堂々巡りで回ってきました。私は迷っている、落ち着き払っている場合ではない。不安に気づき、警戒心と好奇心で、次に取り入れるものを探しにいかないと、いつまでも自分の「正解」の中だけで自己完結してしまう。

 そんなわけで、迷い続ける人生に気がつくわけですが、それに対する対処がスマホ時代の哲学の続きにはあったと思いますので、興味のある方は是非、読んでみて、またどこかで、この本の続きの議論にも触れてみたいと思います。

 ということで、この文章そのものが迷い続けている感がありますが、「今日一日を最高の一日に






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