過日(前編) #パケどう
もう秋分を過ぎたっていうのに暑い。
左手に握りしめた女性物の腕時計は、中心に大きなヒビが入り、日付は25日を差し、針は11時34分で止まっている。腕時計の周囲の金メッキは剥がれている箇所が所々にあり、さび付いた部分も目立ってきている。裏には、「R.S」の刻印が、だいぶ薄くなってはいるものの今でも確認することができる。
この家に来るのは何年ぶりだろうか。公立中学校のすぐ近くに六軒並んで立っている掘っ立て小屋。そのうち、何軒かに人は今でも住んでいるはずであるが、時の流れがそこだけ鈍っているかのように静かである。
そのうちの4軒目の家の古びた引き戸の前に立つ。ガラガラと音を立てながら開扉する。カギがかかっていないのは昔と変わっていなかった。
その先にいる、あの人と。私は、話をつけなければならない。
***
叔父は、美しい人だった。
色が白く、端正な顔立ち、流れるような自然な茶髪、憂いを秘めた瞳。その容姿を見たら思わず見返してしまいそうなたたずまいに惹かれる人は多くいるのだろう。しかし、当の叔父本人はあまり人から積極的に声をかけられることを好まないようであった。
小学校1年生まで、叔父は僕のことを気にかけてくれて、よく遊んでくれた。しかし、ある日突然、僕の前から姿を消した。
叔父の兄である僕の親父は、少しの間、旅に出たと言っていた。
僕の母親は、小学校1年生のときに亡くなった。親父は、事故で死んだと言っていたけど、母親がなくなってからの親父は見るからに生きていく意味を失っている様子だった。当時トラックの運転手であったが、仕事にもいかず、家で過ごすようになった。ギャンブルで負けたと言われて、ご飯が食べられない日もあった。あとから聞いた話だと、実は、うつ病になり、生活保護を受給する状況だったらしい。
僕が小学校4年生になった年、叔父は唐突に帰ってきた。
叔父は、髪を丸刈りにしていて、体が少し筋肉質になっていた。しかしながら、色白で、端正な顔立ち、言いようもなく人を惹きつける佇まいは相変わらずだった。瞳の黒味はより憂いを増しているようにも見えた。
叔父には、僕と僕の父親以外に身寄りがいなかった。親父のもとに戻って来たときの叔父は、背筋を伸ばして正座をして、ゆっくり頭を下げていた。親父は、その様子を黙って見つめていたが、やがて、押し入れの奥から、引っ越しの大サイズくらいの大きめの段ボール箱を取り出してきた。叔父は、深く頭を下げながらその段ボール箱を引き受けた。目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
叔父は、2軒となりの掘っ立て小屋に住むことになった。
叔父は、19歳になっていた。ほどなく仕事を見つけたようで、朝早くに出て行って夜遅くに帰ってくる生活をしていた。
しばらくして、僕はまた叔父のもとを訪れるようになった。丸刈りにした髪は少し伸びていて、端正な顔出しを引き立てていた。
「これ、なあに?」
僕は、机の上に置かれている女性の顔型をした機械を指差した。
「これはルーシー。私のアンドロイドさ」
「アンドロイド?」
「そう、ずっと私と一緒だったアンドロイドだよ。もう頭だけになってしまったんだけどね。でもいまでも、話かけてくれるんだ」
カタカタ…
「修司サン、今日は月がキレイですね。アイしていマス。サクラが散ってもアナタをお慕いしていマス…」
修司さんとは僕の叔父の名前だ。しかし、まだ、夕方で月も出ていない。桜の季節ももう終わってしまった。
「もうハードが壊れかけてしまっていてね。ずっとこんな調子なんだ。」
「修司サン、ワタシを置いていかなイデ。アナタはすぐにどこかに行ってしまうカラ。いつまデモまっていますカラ」
叔父は、夜毎ルーシーの寝物語を聴いているらしい。私は少しだけ寒気がした。
***
数か月後、僕は叔父の家で泊まることにした。「外泊」と言っても数軒先だ。
叔父の髪の毛はだいぶ伸びていた。あのさらさらとした自然な茶髪をなびかせながら、横にいたルーシーは、今日も奇妙な話をしている。
「修司サンは、いつもお昼にイルの。私は、お昼が都合がイイの。」
「ワタシは、全然恨んではいないワ。あなたは、何も悪くナイノ。あなたは、何も悪くナいのだカラ」
叔父はいつも日中は仕事に出かけている。いつもお昼にいるというのは意味が分からなかった。とにかくルーシーが叔父を慕っているということはよくわかった。
夜、叔父と同じ部屋で寝ることにした。私もルーシーの寝物語を聴いてみようと思ったからだ。
「ルーシー。彼が悠くんだよ。正司兄さんの子どもの」
「ユウ……?」
悠(ユウ)とは、僕の名前だ。
ルーシーは、カタカタと音を立てながら、機械音が心なしが大きくなった気がした。
「ユウ……?ユウなの……?」
「え……?」
「本当にユウなの…」
「え、そうだけど……」
ルーシーの立てるカタカタ音は、また更に強くなっていった。
「ユウ……。あなたのお母さんは、事故で死んだんじゃナイ。殺されたノ……!あの日の夕方に……。お昼のほうが都合がイイの。」
「え……?」
私は、言葉を失った。意味が分からない。事故で死んだと聞いているし、またお昼が都合がよいとよくわからないことを言っている。
そもそも、頓珍漢なアンドロイドの言うことを信じる必要なんてないはずだ。
「修司サン、月がキレイですネ……」
「叔父さん…どういうことなの?」
そうだ……叔父は……。隣を見ると、叔父は唇を真っ青にしてうつむいていた。少し震えているようにも思える。
私は、唐突な言葉を信じることができなかったが、誰も嘘をついていないような予感がした。気になって碌に眠りにもつけなかったが、深夜になってようやく耐え難い睡魔に負けて私は眠りについた。
***
「おはよう」
叔父の声でわたしは目を覚ました。
叔父は、ホットコーヒーを入れてくれたが、私はまだ飲めなかったので、牛乳でカフェ・オレにしてもらった。
「君に謝らなければならないことがあるんだ」
そういって、僕と叔父はコーヒーを片手にちゃぶ台を挟んで相対した。
「お母さんのこと?」
「……」
叔父は、すぐに話を切り出すのを戸惑っている様子だった。
「ルリさん……あなたのお母さんは、ほんとうに素敵な人だった。兄しか身内がいなかった自分に対しても、とにかく優しかった……。
そんなルリさんを僕は裏切ってしまった。兄貴がいない昼の間に僕はルリさんと会ったことがあって、ほんの拍子に言い争いになってしまって、突き飛ばしてしまったんだ。その時、ルリさんは机の角に頭をぶつけて、僕は怖くなって逃げだしてしまった。」
「そんな……」
「ルリさんが見つかったときには、すでに亡くなっていて、ほどなくして、僕のところに警察が来た。それから僕は、少年院に行くことになった。いつかは君に言わなければならないと思っていたんだけど……まさかこんな形で君に伝えることになるとは…」
僕は、言葉が見つからなかった。母親の死の真相、そしてそれを実行したのが、叔父であるという事実はあまりにも重い。
「でも、ルーシーはなぜ……」
「ルーシーは、独り身だった僕に、ルリさんがくれたアンドロイドだったんだ。『私だと思って大切にしてね』とルリさんは言っていた。でも、僕が少年院に行っている間、僕はルーシーとも離れ離れだった。君のお父さんは、取っておいてくれたんだけど、もうボロボロだった。あんまり、大切にはされてなかったみたいだね……」
確かに、叔父の言うとおりであれば、親父の叔父に対する感情は極めて複雑だろう。ルーシーを取っておいて、帰ってきた叔父に返還しただけでも、義理は果たしている。
「でも、でも……母さんを殺すつもりなんてなかったんでしょ。ルーシーは殺されたって言ってた…。」
「あのとき僕は怖くなって逃げてしまった。これは僕が殺したも同然だよ。」
僕には言葉を返す余裕も能力もなかった。
叔父は、引き出しの中にあった小さな箱から、その中身を取り出した。それは壊れた女性物の腕時計だった。
「ルリさんが机の角に頭をぶつけて倒れたとき、この時計が壊れてしまった。犯行時間がばれてしまうと思って、腕から取って逃げてしまったんだ。何も言い訳をする余地はないよ…」
「そんな…」
「この時計は、君に渡そうと思っていたんだ。もうもらってもどうしようもないかもしれないけど、それでもルリさんの形見だから…」
僕は意味も分からず、涙を流していた。まだ小学生の僕が、これ以上、相対してやり取りをするのは不可能だった。腕時計を受け取り、私は叔父の住まいを後にした。
「修司サン、桜がキレイですネ」
ルーシーが場違いな発声をする。だから、もう桜の季節はとうに終わっているのだ。
***
その日の夜、叔父はルーシーを残して僕たちの前から姿を消した。
叔父さんがそして母が残した壊れた腕時計、それを見つめながら、僕はどうしようもない気持ちを抱え込んでいた。
親父は、当然叔父の所業を知っていたのだろう。少年院から帰ってくる叔父の身元を引き受けたのは、唯一の親族である親父だ。僕が泣いて帰ってきた理由、叔父がいなくなった理由を知っていたんじゃないかと思う。
***
7年後、僕は19歳になった。あの掘っ立て小屋からは出て、働きながら一人で暮らしている。
「修司サン、お慕いしておりマス。」
「修司サン、月がキレイですネ」
相変わらず、ルーシーは頓珍漢なことを言っている。でも、捨てることもできなかった。叔父が残したものを捨てる勇気は僕にはない。
ふと、あのとき叔父が託した壊れた腕時計をのぞき込む。日付は25日を差し、針は11時34分で止まった時計。当然だけど、針が動き出すことはない。
そういえば、この時計は母が最期にしていた時計になるのか。もう母は帰ってこない。そして、きっと叔父も。
「修司サン、ワタシは全然恨んでいないワ」
「修司サン、お昼が都合がイイの」
ルーシーがまた発声する。そういえば、ルーシーは、いつも同じようなことを話している……頓珍漢なことを言っているのだと思っていたけれど……もしかしたら……
僕は、ふとした思いつきを確かめるために、居ても立っても居られなくなり、心当たりのある場所へ向かった。
***
秋分の日を過ぎたのに暑い。
ずっと会っていなかったけれど、今日ならば、きっとあの人はここにいるはずだ。
古びた掘立て小屋の引き戸をガラガラと開ける。
外の光が差し込む先に、僕の思っていたとおりの場所に、あの人はいた。
「やっぱり、ここにいたんだね……」
(つづく)
すいません。このあと予定があってギリ終わりませんでした(泣)
後日後編を出します…🙇♂️
※後編(解決編)できました。
