文学フリマで「酒」を読む(その1)
初めて行ってきました、文学フリマ(2026年5月4日@ビッグサイト)。モノレールの国際展示場駅から会場の東京ビッグサイトに歩く列にいる時から、じわじわと脳内スイッチがオンになり、入場したとたんに「ワーン」というさざめく音と熱気で一気にハイに。お財布の紐も爆ゆるみ💦
思った以上に整理されている会場で、おそらく、ブースもある程度テーマで分けられている様子でした。事前にネットで検索しておいた「お酒本」を扱っているブースをブラブラと歩いたり、「試し読み」コーナーで見つけたお酒本のブースに行ってみたり。作った人と会話するのが、とても楽しい♬ 「ご本人ですか?キャーッ」という感じで、本ができるまでの工程に耳を傾けながら、互いに推しのお酒話に花が咲くのでした。
ただ、騒がしいのではなく、全体に何か、おだやかなムードなのは、文学を愛する人びとの集まりだからかしら。眼を皿にしてお買い得をあさるセール会場とは違う(当たり前かもだけど)。誰かが来るとサクッと譲ってくれたり、学園祭のような騒々しい勧誘がなかったり。出展者も参加者も、同じ板の上で、聞きつ聞かれつ。まるで、新鮮な野菜を生産者が売りに来きて、朝採れの野菜を囲んで話が弾む朝市のようでした。
そして、お酒本 ー探求へ向かう作家たち

売っているお酒の本は、お酒から発して何かテーマをもって語られる調査・研究系と、楽しい食べ歩きやお酒の魅力、お酒に関わる人の人となりを極めて惹きつけるガイドブック系になるかと思いました。今回紹介する3冊は、まさに好きを極めて研究に昇華していくプロセスがわかる本です。
『冷麺の麺は黄色か?灰色か? 第4集』は、冷麺研究家にしてマッコリにも造詣が深いsayanuさんの新作。冷麺を求めての旅はどんぐり麺にも向かい、さらに、どんぐり粉、そば粉なども使って自作冷麺へと。そして、考えるのでした。「冷麺とそばの違いは?」探求の旅は続くようで、楽しみです。
『どぶろくを読む』は、食と酒の編集者でありライターでもある浅井直子さんの新作。2026年2月に開催した日韓酒文化研究会のどぶろくフォーラムで発表した内容を、さらに深彫りしたものです。現在のどぶろく製造を「ネオどぶろく」のムーブメントと呼び、伝統的どぶろく造りの単なる復興ではないと説く。ネオどぶろくに宿るのは「生活と仕事の分かち難い結び目である」とする民藝運動を彷彿させるというのは、なるほどでありました。
『白と透明 にっぽんの米・酒・口内調味』は、ワダヨシさんの新作。発酵や国内外の食・酒に造詣の深いワダヨシさんの着眼点と論考は、いつもハッとさせられます。今回は「口内調味」。日本人は何かを食べつつ、口の中に食べたものを残してお酒を流し込む、という。西洋人はやらないそう。千葉麻里絵・宇都宮仁両氏の『最先端の日本酒ペアリング』(旭屋出版, 2019)がそのことを取り上げているそうです。
確かに、ホタルイカの塩辛を口に、日本酒を飲む・・・その時、ホタルイカは食べきってないな、と思ったり。というか、ホタルイカの余韻が口腔内にあってこそ、日本酒が旨い!
また、話がグーンと発展して、清酒はどうして無色透明を追求するのか、という話に。もろみから物質的な栄養を切り離して、澄み切った清酒を作ることの意味をワダヨシさんは考えます。ごはんでは「炊き立てご飯」の白さを維持させて、口の中でおかずと混ぜる文化が日本にあり、一方で、真っ白いご飯をこだわりの無色透明な液体にするお酒の文化がある。食に対する身体技法が、日本の食の思想と教養を体現していると。
ではどぶろくは?そういえば、私がどぶろくを持参して韓国に行って、韓国の皆さんに味わっていただいた時、澱と上澄みに分離している状態を混ぜていたら「どうして混ぜるのか?」と聞かれてことがありました。韓国では、上澄みは薬酒と呼び、沈殿した部分がマッコリです。かつては、身分の高い人だけが上澄みを飲むことができたそう。
日本でもかつて、粟や稗、麦などの雑穀が庶民の主食でした。お酒も、明治時代に酒の自家醸造が禁止されるまでは、日常的なお酒は濁酒でした。白米をお腹いっぱい食べられることの幸せとか、透明なお酒は上等とか、白も透明も、何か軸を付けてみると、格差へのつながりが見えてくるのではないかと思ったのでした。白と透明に着目して縦に横に思考を巡らせると、とても興味深く、次作が待たれます。
(つづく)
