子供時代の過ごし方と今の生きづらさはリンクする?
私は、わりと「ふわふわ」とした子供だったと思う。 決して引っ込み思案というわけではなかったけれど、のんびりしていて、どこか周囲の熱量に馴染めないところがあった。
象徴的な記憶がある。母の友人の子供(パパが外国人のパワフルな子だった)が遊びに来たときのことだ。その子はとても活動的で、人のものを勝手に使うのも、剥いたそばからリンゴを平らげてしまうのも当たり前。妹はその子に負けじとリンゴを頬張っていたけれど、私はどうしてもその輪に入れなかった。 親に「あんたも競って食べに行きなさい!」と促されても、ただ泣いていることしかできなかった。誰かと争うより、みんなで平和に過ごしたい。私は、そんな子供だった。
けれど、家の中は私が望む「平和」とは程遠かった。 母は気性が激しく、とても感情的な人だった。気がつくと私は、毎日母の顔色を伺うようになっていた。怒って物を投げ、叫び散らす母の姿が、怖くて仕方がなかった。「お兄ちゃんがいてくれたらよかったのに……」と、守ってくれる誰かの存在を、ずっと思い描いていた。
同じ環境にいても、妹は私ほど気に病んでいる様子はなかった。母が壊した食器を私や父が片付けていても、妹は「割った本人が片付ければいい」と割り切っていたそうだ。当時の私には、その強さが眩しく、そして持てなかった。
母は感情を吐き出さないと自分を保てないタイプで、私はその「聞き役」として育った。朝起きてからお昼近くまで、何時間も母の独白を聞き続ける日々。それなのに、最後には「あんたに言ってもわかんない」と突き放される。 家の中を平穏に保ちたい一心で、「少しでも母の気が済むのなら」と聞き続けていたけれど、今思えば、それは子供が負うべき役割ではなかった。
父もまた「話を聞いてやるのが家族だ」と考えていた。母のストレスの原因が父の親族にあり、父なりに後ろめたさがあったのかもしれない。
高校生になると、私は土日に「家出」を繰り返すことで、溜まったストレスを必死に発散した。どこかで誰かに助けてほしかった。とにかく逃げたかった。自分の人生に価値を感じられず、「もうどうなってもいい」と投げやりになっていた。このままでは「自分の人生」ではなく、「親が望む人生」を歩まされるという恐怖に震えていた。
そんな私を救ったのは、当時の担任の先生だった。先生が母を諭してくれたことで、「第三者」という風が吹き込み、あんなに頑なだった母の態度が少しずつ変わっていったのだ。
月日は流れ、今では母も丸くなり、当時のことを笑って話せるようにもなった。けれど、私の中には当時の傷跡が、今も歪な形で残っている。
適切な時期に自分自身を見つめる余裕がなかったせいで、いまだに「自分が何をしたいのか」という軸は、ふわふわと定まらないままだ。
正直に言えば、私が「結婚して家族を持ちたい」と切望したのは、結婚の本質を理解していたからではなかった。そこは私にとっての「逃げ場所」であり、寄りかかれる「避難所」であり、何があっても自分の味方でいてくれる人がいる聖域……そんな過剰な期待を詰め込んでいたのだと思う。
だからこそ、夫という家族に対して、求められていないところまで尽くしすぎてしまったり逆に精神的に寄りかかってみたりでも一緒にいることに疲れてしまったり、程よい喧嘩ができないし相手との適切な心地よい距離感が、どうしても掴めない。
でも、こうして人との距離に戸惑っているのは、ようやく「自分の足で立ち、自分の人生を歩き始めた」証拠なのかもしれない。
完璧なバランスじゃなくてもいい。よろけながらでも、心地よい距離をゆっくり見つけていこう。今はそう自分に言い聞かせている。
そして
家族という逃れられない場所で、誰かの機嫌を懸命に守ってきたあなたへ。 適切な距離感が分からなくて、人付き合いに疲れてしまうのは、あなたがそれだけ優しく懸命に生きてきたからです。 自分の価値を感じられなかったあの頃の私に、今の私は伝えてあげたい。
「あなたは、あなたのままで、いていいんだよ」
そんな言葉を自分にかけながら、私は今日も、私だけの人生を一歩ずつ進んでいる。
