人は目的そのものを考えるのではない。そこへたどり着く道を考えるのだ
人は目的そのものを考えるのではない。そこへたどり着く道を考えるのだ。
──アリストテレス/『ニコマコス倫理学』第三巻
どちらにするか、もう三日も決まっていません。二つの選択肢を並べたまま、同じところを行ったり来たりしている。調べれば調べるほど、どちらにも良いところと悪いところが出てきて、決め手がいつまでも出てきません。自分は優柔不断なのだと思ってしまいます。
「考える」を分解してみせた人
アリストテレス(前384-前322)は古代ギリシアの哲学者です。プラトンの学園アカデメイアで二十年学び、のちにアテナイでリュケイオンという学園を開きました。少年時代のアレクサンドロス大王に教えた人としても知られます。
彼の仕事の特徴は、当たり前すぎて誰も分けようとしなかったものを、細かく分けたことにあります。『ニコマコス倫理学』は、その手つきで「人はどう生きればうまくいくのか」を扱った本です。息子ニコマコスの名が題に残っています。
原文はこう書かれている
第三巻で、アリストテレスは「熟慮」——じっくり考えて決めること——を取り上げます。
βουλευόμεθα δ' οὐ περὶ τῶν τελῶν ἀλλὰ περὶ τῶν πρὸς τὰ τέλη
(ブーレウオメタ・デ・ウー・ペリ・トーン・テローン・アッラ・ペリ・トーン・プロス・タ・テレー)
直訳すると、「われわれは目的について熟慮するのではなく、目的へ向かうものについて熟慮する」。じっくり考えて決められるのは手段の側だけで、目的の側ではない、という意味です。
アリストテレスはすぐあとに例を置いています。「医者は健康にするかどうかを熟慮しない。弁論家は説得するかどうかを熟慮しない」。医者が診察室で考えているのは、治すか治さないかではありません。目的のほうはもう決まっていて、考えているのはそこへの道すじだけです。
決まらないのは、意志が弱いからではない
ここから持ち帰れるものは一つです。いつまでも決まらないとき、私たちはたいてい目的を置かないまま手段だけを並べています。
二つの求人票を見比べても答えが出ないのは、比べる物差しがないからです。給料で比べれば答えは出ます。通勤時間で比べても出ます。出ないのは、何のために選ぶのかが決まっていないので、物差しがそのつど入れ替わってしまうからです。
目的が決まっていない比較は、何時間やっても終わりません。逆に目的がひとつ決まれば、選択肢はただの手段に変わります。手段どうしなら、優劣がつきます。
今日、問いを入れ替える
決まらないものがあるなら、「どっちがいいか」と考えるのを、いったんやめてください。代わりに紙でもメモでもいいので、「これは何のために選ぶのか」を一行だけ書きます。
書けたら、その一行に近いほうを選びます。書けないなら、決まらない原因は選択肢の側にはありません。先に決めるべきは、選択肢ではなく目的のほうです。
今日の問い。あなたがいま決めかねていることは、何のための選択ですか。
※冒頭の言葉は『ニコマコス倫理学』第三巻第三章(1112b11-12)の「βουλευόμεθα δ' οὐ περὶ τῶν τελῶν ἀλλὰ περὶ τῶν πρὸς τὰ τέλη」を現代語で短く要約したもので、逐語訳ではありません。医者と弁論家の例は同じ箇所からの引用です。求人票や給料といった例は、原文にはない現代の言い換えとしてこちらで補いました。生没年や経歴は一般に伝えられている記述に基づいています。
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