【SS】タバコの火 #一枚の写真から文芸賞
昨日、国境近くの別荘に到着した。マリーは夫と離れて一人で療養生活をすることになったのだ。別荘まで送ってくれた夫のジェームスだったが、中には入らず仕事へと戻っていってしまった。一人での療養と言っても、泊まり込みで医師と看護師がいつもそばにいてくれる。それでジェームスも安心して仕事へと飛び立っていったのだった。
軽い朝食を済ませたマリーは窓際のテーブルに移動した。その手には一本のタバコ。看護師が慌てて声をかける。
「奥様、タバコはダメですよ。お体に良くありません」
「ふふ、分かってるわよ。だって私、吸えないもの」
「えっ、でもその手に持ってるのは・・・」
「これね、火をつけるだけよ。だって、これはあの人のタバコだもの。この匂いを嗅ぐと近くにいるような気がして落ち着くのよ。だから、あの人が戻ってくるまで、一日一本ずつこうやって火をつけることにしたの。そのくらいいいでしょ」
「ええ、まぁ、そのくらいなら・・・」
ジェームスは貿易商でいつも世界中を飛び回っている。今回はマリーの体調が思わしくないので一緒にいたいと考えていたが、医師を信頼して出かけてしまった。
「早く帰ってきてくれるかしら、あの人。十日くらいだと言ってたけど・・・」
それ依頼、マリーは窓ごしに毎朝国旗が掲げられる様子を見ながらタバコに火をつけるようになっていた。窓から見える壁は隣国との国境だ。愛しいジェームスは壁の向こう側へと仕事に行っていた。
医師たちが処方する薬のことで相談している。
「なんとなく効きが遅いかもしれないな。もう少し濃度を上げて食事に混ぜることにするか」
「そうですね。このままだと旦那様の帰宅に間に合わないかもしれませんよね」
マリーの体調の悪化が進行していた。
十本目のタバコに火をつけた朝、マリーの体調はかなり悪くなっていた。それでもフラフラしながらタバコの火を見つめ窓際に座っていた。火が消えそうになった時、意識が遠のいて倒れそうになった。慌てた看護師が火を消してマリーを抱きかかえた。
「奥様、大丈夫ですか。ベッドに戻りましょう」
その時、別荘の外では、バラバラバラという音と共にヘリが近づいてきた。別荘にはヘリポートもついているが使用予定はない。看護師たちは少し動揺し始めていた。その時、けたたましく玄関を叩く音が聞こえたかと思うと、鍵を開けて数人の男たちがなだれ込んできた。
「君たちは誰だ。何をしにきたんだ」
医師は男たちの前に立ちはだかった。看護師はその影に隠れるようにしている。マリーはちょうどベッドに運ばれた後で眠りについていた。
数人の男たちの後ろから、見慣れた男が姿を現した。
「先生、あなたがスパイだったのですね。完全に信頼してしまいましたよ。こんなに見事に騙されるとは思ってもいませんでした」
「ジェームズ、言ってることがわからないよ。何か勘違いしているんじゃないのか」
ジェームズは隣国で入手したスパイのリストを片手に証拠の音声を再生して聞かせた。
『僕のことに探りを入れているスパイは誰だ。正直に言わないと喋れなくしてしまうぞ』
『うう、話すから勘弁してくれ。スパイは医者に化けたカーチスという男だ。今頃お前の大切な人は眠りについているかもしれないぞ』
録音を聞いた医師は開き直った。
「クソ、バレてしまったのなら仕方ない。もう一歩だったのにな」
カーチスが、焦ってポケットから銃を取り出そうとしたその時、部屋中に銃声が響き渡った。眉間を貫かれたカーチスは、ゆっくりと床に崩れ落ちた。看護師は恐怖でしゃがみ込んでいる。ジェームズは急いで妻の元に走った。ジェームズと一緒にやってきた医師は看護師を捕まえ、何を投与していたかを聞き出し、病院への搬送を指示していた。
マリーの枕元ではジェームズが手を握り、涙をためていた。
「すまん、マリー。僕が気づかなかったばかりに、君をこんな目に遭わせてしまった」
そこに医師がやってきた。
「ジェームズ。奥さんを病院に搬送するぞ。食事の中に毒を入れていたようだ。急ぎ体内から排出させるぞ。急いでヘリで病院まで搬送だ」
「何、毒だって。分かった。よろしく頼む」
なんとか一命を取り留めたマリーは二週間ほどで回復できた。ジェームズとマリーは改めて二人きりで別荘にやってきた。
「マリー、もう海外に行く仕事は受けないことにするよ。ずっと君のそばにいたいから。しばらくはここでゆっくりしよう」
「嬉しい。じゃあ、もうタバコに火をつけなくてもいいのね、私」
「えっ、タバコに火? どういう意味だい」
「ふふふ、なんでもないわ」
マリーはジェームズの手をそっと握り、窓から見える国旗を見つめた。
了
1902文字
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