小説3,000作品以上読んだ人間がオススメする名作20選②
皆さんこんにちは
今回は今まで読んだ小説の中で個人的にオススメの作品を紹介します。
※この記事ではamazonアソシエイト・楽天アフェリエイトリンクを利用しています。
1.手紙
本作品、刹那さと喜び、哀しみ…色々な思いを噛み締めながら読みました。
読み終えてなんだろう…なんともいえない心に温もりを感じ、不思議ととても心地好い感覚でした。
兄剛志の想い、弟直貴の想い、そして由実子それぞれの想いが交錯し、場面場面でその都度感情移入してしまったからでしょうか、途中読みながら何故だか涙が溢れる場面もありました。
また社長平野が「差別されて当然なんだよ」と言った時は少し悲しかったけど、読んでいくうちにその意味、どういう事なのかが解っていきますね。
ただ闇雲に腫れ物を隔離するという事ではなく、その言葉にもっと深い意味があったのだと。
要所で社長平野が出てきますが、決して答えは言わず的確な道標は残してくれます。とっても素敵な上司であり尊敬出来ます。
現在、ネットメディアばかりで浅く不確かなコミュニケーションが目に付きます。
手紙を通して人間関係を築き、お互い深いところで影響を与え合うような、現在の社会から失われつつあるコミュニケーションのあり方へも、視野が広がる作品として読んでみても面白い。
そう考えると、タイトルの「手紙」への作者の思いがさらに深く伝わってくるような気がしています。
2.魔王
安藤兄弟の兄が主役の中篇「魔王」では、世の中の大きな流れに危機意識を持ち、ことあるごとに《考えろ考えろマクガイバー》と唱える安藤兄の焦燥感、ひりひりする思いがスリリングです
透明感のある宮沢賢治の詩を配したラストシーンも魅力的で、印象に残ります。
片や、「魔王」から五年後の世界、安藤兄弟の弟・潤也と妻の詩織の物語である中篇「呼吸」では、安藤潤也の特異な能力が花開くくだりが面白かったすね。競馬場のシーンは、なんかわくわくしながら読んでましたもん。
それと、〝猛禽類の定点調査〟て潤也の仕事に詩織が同行するシーンが良いですね。大空を旋回、上昇するオオタカを、双眼鏡で二人が眺めるシーン。前作「魔王」と繋がるこのシーンが素敵で、胸にぐっと来るものがありました。
3.楽園のカンヴァス
決して絵画に詳しくなくとも、登場人物たちがほぼ全員美術の相当な有識者であり彼らの台詞や思考から自然と我々も同じ世界観に没入することができます。
次々と現れる新しい登場人物、謎に謎が重なり混迷を極めていくかと思いきや、最後の最後に全て綺麗に繋がる爽快感と読者の期待を超える結末に思わず「そうきたか...!」と唸らされること間違いなしです。
後半、主人公・織絵の娘・真絵が、
「いったい、たくさんの作品からどうやって自分が好きな絵を見つけるの?」
これに対する織絵の返答、これに涙が出る。
これだけでもこの作品を読んだ意味があるというものだ
4.羊と鋼の森
一人の少年の成長物語。
高校卒業まで山奥の小さい集落で過ごした少年が、高校卒業と同時に家を出て都会で暮らし、調律師として成長していく。
私が印象深かった点は、主人公が自分の感覚で音を感じる、自分の頭で物事を考えることの大事さに思いが至った点。
自然の中で暮らしていたときには、主人公は花が咲くことで季節の移ろいを感じ、雲や風の様子で自然の変化を感じていた。
しかし、都会に出てきたことで、そうした自然への注意力を一時的に失ってしまったのでろう。
例えば、板鳥さんはもっと外に出て行って活動する方が良いのではないかと社長に言ったところ、ファンの人がこちらにきてくれれば良いと返されて「価値とは何の関係もない基準にいつのまにか囚われていた」と気づく場面がある。
あるいは、コンサート会場のグランドピアノの音は美しく、最高だと以前は感じていたが、「でもいちばん美しいと誰に言えるのだ。これが最高だと誰が決めるのだ。」と考える場面。
調律師という道を選んだことが果たして良かったのかずっと自問自答する主人公とともに、一段階成長するプロセスを体験することができる。
生き死にだとか事故事件とか、感情持っていかれてしまうような大きな出来事があまり無いにも関わらず、とにかく心が揺さぶられます。
とても穏やかに、しかし熱く。
それに、悪者が出てこないんですよね。
不自然に排除してるのではなく、ただそれぞれの人格がありのまま受け入れられている感じが、とてもすがすがしい。
あぁ、自分は毎日どれだけたくさんの色眼鏡をかけて過ごしてしまっているのかと。
自らわざわざ疲れるように仕向けてしまっているのだなと思わされます。
読める限り低年齢で読んで欲しいと思いますが、
すっかり大人になってしまっても、それぞれの生き方を肯定してくれたり、
見つめ直させてくれる、とても心豊かになる作品でした。
5.青空の卵
こんなに優しい世界線どこにあるんだよ、と思いながらも良いものは良いんだよな、と感じてしまう。
引きこもり探偵の鳥井真一が相手の年齢に関係なく、名前を呼び捨てにする理由はきっと作者・坂木司が日頃から感じていることなんだろうなと再読して気づいたり。
この物語は、いくつかの話を積み重ね、登場人物が少しずつ、成長しています。
色々な社会に存在する、しかしあまり気づかない様な問題に、事件のあるごとに登場人物たちはそれに触れる。気づく。そしてぶつかって、色々考える。
そして、一緒に、読者も一考する。
成長する。
今まであまり考えたことのないことだから、受け流しにくかったです。
つい考えてしまう。
そのたびに、「自分、ちょっとだけでも、成長した・・かも?」とふと思えてしまったり。
周りの人にも、すごく読んで欲しい。絶対、世界が広がる。
人が、すきになる、信じたくなる。
鳥井と坂木の成長を、優しい目で見て行きたいと思っています。
一緒に自分も成長できるかな。
6.少年と犬
人と犬――それは、太古の記憶から続く、最も純粋で揺るぎない絆である。
言葉を超えて交わる心、視線だけで伝わる想い。
その関係性は、まるで静かに灯り続ける焚き火のように、時代を越えてぬくもりを伝えてきた。
かつて、犬は人の暮らしの傍らにいた。
集落でともに生き、狩りの一角を担い、夜は共に眠る。
まるで魂の一部であるかのように、人と犬は寄り添いながら歩んできた。
その歴史の系譜は、血の中に刻まれ、記憶の中に静かに息づいている。
この物語は、そんな絆の延長線上に描かれた、切なくも温かな譚であった。
時代の波に流されながらも、なお人と犬の心は寄り添い合い、どこか懐かしく、どこか痛ましい――それでいて確かな愛情が胸に残る。
犬の祖先は、かつて野に生きたオオカミだった。
群れを成し、獲物を追い、厳しい自然の中で誇り高く生きていた。
だが彼らは、ある時、人という存在を選んだ。
それは単なる共生ではなく、互いに生きる道を重ね合わせる“運命の選択”だったのかもしれない。
人は犬に、ただの動物以上の意味を見出した。
食を分かち合い、住処をともにし、そして何より――言葉なき心の隙間を、そっと埋めてくれる存在として。
犬は話さない。
けれど、言葉の届かぬ場所で、確かに通い合うものがある。
そのまなざしは、語らずして語る。
その尾の揺れは、喜びの詩を奏でる。
そしてその静かな寄り添いは、孤独を抱えた心にやさしく寄り添う。
本書は、人と犬の絆がいかに時代を越えて不変であるかを、そっと教えてくれた。
人は犬と“心で対話できる”。
それはきっと、誰もが本能の奥底で知っている真実なのだろう。
今、この一瞬。
そばにいる命に手を添えることの尊さを、改めて胸に刻みたい。
7.凍りのくじら
ドラえもんが本当に大すきだ。
たぶん、子どもの頃はみんなそうだろう。けれど、私は子どもの頃よりも、今の方がもっとそうであると思う。
私が生まれて初めて出会った漫画が「ドラえもん」で、その頃は単純にのび太のふがいなさにやきもきし、不思議な道具にワクワクし、あんな道具が欲しいなあとうらやましかった。
大人になるにつれて、ドラえもんの作品に流れる限りない愛を感じるようになった。
ドラえもんは私たちにとって友だちであり、兄弟であり、先生であり、そして母ですらある。
「凍りのくじら」の中に「大事なことは、みんなドラえもんから学んだ。」という台詞があるが、本当にそういってもかまわないくらい、人生においての根源的な喜びや悲しみがこの作品にはある。
「凍りのくじら」の主人公は、本を読むこと、その物語の中から人生の色々な感情を体験し、それを消化することで自分自身の価値観をつくりあげている。読書量がその人の頭のよさを決めているとまで言い切る。
しかし、そのことに対して負い目も感じている。現実の人間関係を積極的に行えず、いつも距離をとり本音で話す事のできない自分を恥じているのである。
作者もそういうところを持った人なのだろうか。
彼女は、虚構の世界を愛し、それを自らも作ることを人生の価値にしたわけだが。
同じ時代を生きてきた彼女の目線から紡がれる物語。
薄っぺらいと感じる人もいるかもしれないなと思う。
けれど、私は共感する。
そして、彼女が作家になってくれたことを嬉しく思う。
8.ライオンのおやつ
死に臨むひとを描くことはとても難しいことだと思う。生きている者しか死を描くことができないからである。
読んでいて涙がすーっと流れた自分と、一方で、そんな優しい世界があるのだろうかという疑問を抱き、これはオカルトだと反発したくなる自分もいて、葛藤する自分がなんだか悲しかった。
人生については、エリザベス・キューブラー・ロス (著)「人生は廻る輪のように」にあるように死後の世界があるとする考え方と「死んだら終わり、死ぬこと以外かすり傷」という二つの考え方がある。
インターネットの影響もあってか、後者の考え方が大きく聞こえるが、最近ではさらにそれを曲解されて人生に対して傲慢な振る舞いをする者が増えたように思えてならない。無名より悪名の方がマシがインフルエンサーの要素になっている限り、この流れはなかなか覆らないだろう。
しかし、私は、この本のなかの多くの登場人物のようにもっと花鳥風月と他人を思いやれる寛容さを持ちたい、そしてそれで満足していいのだと思える自分になりたいと切に思う。そして、きっと人生はいつも「これから」と「今」なのだ。
趣旨がブレないようにしつつ、生きることと死ぬことのバランスをとろうとする姿勢に著者の繊細な配慮も感じた。示唆に富んでいて、とても温かく、勇気づけられる内容だった。そして、幸せの条件について改めて考える機会をもらえた。
巻末の解説が無いのも清々しくて好感を抱いた。
本を閉じてカバーイラストを改めてみてみる。きっとあのボートにはどのような形であれ、雫さんも載っているのだろう。
お粥を毎日食べるようになりました。
9.火車
読むたびに引き込まれる、私の愛読書です。
個人的には、ラストがはっきりしない「ご想像にお任せします」的な作品は本来好きでないのですが、この作品に関しては完璧な終わり方だと思います。
読み進めるうちに、喬子という女性の生い立ち、生き様、内面を知ることになり、そして、いつの間にか読み手が喬子に同情し、彼女に会ってみたいという気持ちにすらさせられる・・・そんな宮部みゆき氏のテクニックが素晴らしい。
ラストシーンの対面時、レストランに現れた彼女についてあれ以上描かなかったのは、「それを敢えて描かなくても、読者はもう想像がつくだろう」という理由だったと私は確信しています。
宮部氏はそれよりも、「私だったらどんな言葉を彼女に投げ掛けるのか?」という疑問を自分自身に問うことを求めているように思います。
特別な余韻を残す、ミステリーとして最高のラストです。
10.木曜日にはココアを
小さなカフェからやがてシドニーへ。ユニークな登場人物たちが紡ぐ短編集です。1話1話はサクサク読めるボリュームですが、それぞれの話が全編、綺麗につながっています。
ー多かれ少なかれ、誰もが誰かにとってそういう存在なのかもしれない。
きっと知らずのうちに、わたしたちはどこかの人生に組み込まれている。
曲がりくねった道という人生をまっすぐ歩むため、人は言葉、行動をお互いに魔法のように影響し合って生きている。そんなことを感じる本でした。
個人的に好きな話はシドニー編の「ラルフさんの良き一日」「帰ってきた魔女」「あなたに出会わなければ」の三編。舞台は現実的ながらも、シンディ・グレイスの持つファンタジーな雰囲気にワクワクしました。
タイトル通り、ココアを飲んだ時のように心にすうっと馴染み、暖かい気持ちにさせてくれる本です。
11.古本食堂
6編の短編の連作です。二人の年の離れた親戚同士の女性が、古書店経営を引き継ぐことになり、それをベースに様々な登場人物の背景を描いており、狂言回しのように古書や食べ物が人々を有機的につなげていくという組み立ての上手さにひかれました。
それぞれの短編では、2人の主人公の仕事や生き方の悩みを描いています。1人称の「あたし」と「私」で主体を描き分け、それぞれの視点から見た古書店を描くことで、人間関係も含めて立体的に伝わってきました。狂言回し的な古書と食べ物が一味違う物語の構成にスパイスを効かせていると思いました。
少しずつストーリーが展開し、意外な一面が浮き上がっていく過程で、主人公2人の今後の生き方もまた少しずつ決まっていきます。善人で構成されているストーリーは、甘さに直結していますが、悪い読後感ではなかったですね。
生きづらい世の中ですから、現実の厳しさからの逃避としての読書の効用もあるのでしょう。小説が癒しになり、一幅の清涼剤としての役割を果たすことも理解しています。そのような読まれ方を否定するものではありません。
本好きにはたまらない状況ですし、知らない本も沢山登場します。古書店の店内を散策しながら本棚を見ている気分にも浸れました。神田神保町の雰囲気やグルメも伝わってきますので、古書を大好きな方にはお勧めします。
12.リバース
静かに、でも確実に読者の心を締めつけてくる作品です。
物語は一通の告発文から始まり、主人公・深瀬和久の過去に迫っていきます。友情、後悔、そして罪の意識。どれも身近にありそうで、けして他人事とは思えないテーマばかりです。
最初は「ただの地味な男の告白」といった印象すらある深瀬の語りが、ページをめくるごとにどんどん深くなり、やがて心を揺さぶる切実な想いへと変わっていきます。「あのとき、あの選択をしなければ――」という、取り返しのつかない後悔がじわじわと広がっていく感覚は、湊かなえならではの心理描写の巧みさを物語っています。
この作品のすごさは、誰かを単純に「悪者」にしないところにあります。それぞれの立場に、それぞれの事情や弱さがあって、「誰が悪いのか」とは簡単に言い切れない。読後、ふと自分自身の過去を振り返りたくなるような、そんな重みが残ります。
ラストの一文で、すべての感情がひっくり返るような衝撃が走りました。
静かだけれど、ずっと心に残り続ける読書体験でした
13.本日は、お日柄もよく
とあるきっかけからスピーチライターになることになった、普通のOLの物語です。恋、仕事、友情、ライバル、家族、師、出会いと別れ、と全てがてんこもりで、「あっ!」という間に読み終えてしまう作品ですが、(楽しい時間は直ぐに終わってしまうのです・・・悲)その分濃い至福の時が過ごせると思います。
主人公の「こと葉」は老舗お菓子会社の総務に努める普通のOL。
好きだった幼馴染の結婚式で、ただでさえ落ち込んでいるところに更に落ち込む大失態をやらかします。そんな時に、出会った一人の女性。その女性が、来賓としてしたスピーチに涙を流す程感動し、自身がすることになっている親友の結婚式でのスピーチ指導を受けるべく、生徒として彼女のところに通い始めます。それだけの筈だったのですが、いつの間にか、彼女の弟子に・・・。そして、ひょんなことから、野党の選挙のスピーチライターの一員として働くことになります。選挙の行方は?政権交代はなるのか?
兎に角、出てくる人達が、親友、祖母、師、幼馴染、ライバルと、皆、まっすぐな、良い人ばかりで、スピーチの内容は勿論のこと、作中の些細な出来事だけで、都度、落涙しそうになりました。
これからは、著名な政治家の選挙演説はちょっと立ち止まって聞いてみようかな?と思わずにはいられなくなるお勧めの一冊です。
14.グロテスク
女性は男性よりも社会性が高い、とはよく言われる。しかし、より社会的な動物である、ということは他者との比較で自身を把握する傾きが強い、ということも同時に意味する
美醜、貧富、ブランド、学歴。女たちは、関係性の中にある、ありとあらゆる差異を微分し、こぼれ落ちた愚鈍な他者を差別し、群体の中で確固とした階級を形成していく
グロテスクに登場する四人の女性たちも、他の女との比較して競い合うことにより崩壊していく
主人公のわたしは絶世の美少女の妹との比較によって
容姿の階級が違うユリコは母に拒絶された原体験によって
ガリ勉のカズエと優等生のミツルはQ女子校の差別的な獲得形質によって、それぞれの人生を凋落させていく
他者と比較し、差別せずにはいられない。それは女の偉大なる人間苦だ
主要人物の四人の内三人までが、娼婦という存在に行き着くことは興味深い
拷問のように彼女たちを責めさいなみ続けた「女の階級」からの自由
社会的な桎梏や男性原理からの解放、畢竟女という動物に戻るということ
人間のメスという珍種の生物についてのレポート
グロテスクはまさに女の地獄の見本市のような傑作小説といえる
15.猫のお告げは樹の下で
胸に鬱屈した思いを抱えていたり、満たされない気持ちでいたりする人たちが、不思議な猫のお告げをきっかけに、大切なことに気づき、再生する話が七つ。
どの話も、心にぽっと灯りが点るようなラストの読み心地が素敵でしたね。心癒やされるラストシーンに、涙があふれました。
じんと胸に沁みる台詞が、いくつもありましたね。例えば、猫のお告げの意味が知りたくて神社にやって来た人物が、宮司(ぐうじ)さんから受け取る次の言葉とか。
《「何かの答えを見出すのは素晴らしいことです。でも、そこにたどりつくまで迷いながら歩く日々のほうこそを人生と呼ぶんじゃないかと、わたしは思うんですけれどね」》
あと、著者の『木曜日にはココアを』に出てた人物(個人的に、かなり気に入ってる人物なんやけど)が登場する話があるんですね。
まだ読んでなければ、先にその文庫本を読んでから本作に向かったほうが、面白味が増すんじゃないかなって思います。
16.最後の証人
1人の人間の身勝手な「保身」と「人間性の欠落」、息子を奪われた親の「悲しみ」とやり場のない「怒り」が生み出した「悲劇的な事件」です。「プロローグ」にある「あの子の復讐よ」の意味が最後にわかります。
「最後の証人」が誰だったのかも、最後にわかります。
途中まで、てっきり「復讐」とはこれか?「最後の証人」は〇〇氏かと思っていたのですが、全く違う展開でした。
「やり手弁護士」が暴いた「真相」は、本当に「暴かれる事」が正しかったのでしょうか?
「被告人」は本当に「世間」から「抹消」されるのでしょうか?
自分の命と引き換えに「復讐」を遂げた「被害者」は救われたのでしょうか?
残された「被害者」は本当に救われるのでしょうか?
どうぞ最後までお読みください。
17.風の歌を聴け
完璧な文章(言葉)が存在しないことによって、言葉で著しきれない悲しさを塗り潰さずに済むことに気づいた「僕」が、自殺した彼女のことを覆うように、鼠と小指のない女の子の物語が入れ子構造にしながら哀しみの風化と闘っている。
本当に悲しすぎると、人はそれを言葉にできない。
しかし、言葉に出来るようになってしまえば名前のない感情は型に嵌められ死んでいく。
僕たちの生きている、いわば言葉ですべて汚染された世界から自由になろうと藻掻く僕は逆に言葉に託すものを減らしていく。
再現無く分析する事ができるけど、どうしても得も言われぬ力で何度も何度も読みたくなってしまう。それだけでこれは最高の文学だと思う。
18.ほどなく、お別れです
お葬式作品ですが、他の同類作品と異なるのは、『ヒロインに霊感があり、迷える霊と話す事で、亡くなられた方も遺族もきちんと別れを迎えられるように奮闘する』作品という点です。
今作品で、死や別れを受け入れられない当事者や遺族に対して、霊との接触によって、きちんと別れを受け入れさせてあげる流れは、僕としては真に素晴らしく感じる内容であり、同時に、誰もが逃れる事は出来ない・いつしか訪れる大切な人との別れを悔いなく迎えられるように、大切な人との当たり前の日常を、毎日大切に過ごしていこうと、改めて感じました。
死と生に関して真摯に向き合った名作
19.砂の女
砂丘に飲み込まれるように佇む海辺の村。
砂の壁に囲まれた家々では、流れ落ちてくる飛砂を毎日毎日掻き出さないと、村全体が砂丘に埋もれてしまうらしい。
おまけに村には若い人手が足りない。
主人公の「男(31歳)」は、新種の昆虫を発見し、自分の名前が書き添えられることを夢に描きながら、捕虫網を手にその砂丘を歩き回る。
捕らえられるのは自分で、砂丘の底で砂掻きを日課とする「女(30歳前後の未亡人)」と望まぬ共生を強いられるとも知らず・・。
徹底したリアリズムにより、読む側も、猛烈な喉の渇きを覚えたり、主人公の顔や身体にこびりついた砂の不快感にゾッとすることになります。
砂丘を都会に置き換えて読むことも出来ますし、自分は何のために働いているのか、そもそもこの労働が何の役に立つのか、改めて考えてしまうことになるかもしれません。
自分を取り囲む環境(家族、住居、勤務先など)は、自分が望んだものであるか、という疑問も・・。
その環境から離脱できないとすれば、そこに安住する術を探った方が得策かもしれない。環境に馴染むとは、敗北などではなく、一種の勝利かもしれない。
主人公が≪希望≫と名付けたある仕掛けが、思いがけない成果をもたらすことに、その答えが隠されているような気がします。
行方も告げず家を出る者は、それが短期の旅であろうと、その者が属する社会や家族からの離脱を求めている、すなわち、進んで失踪者になろうと片道切符の旅に出るのかもしれません。
この小説のどんでん返しのような結末は、現代に生きる者にとって極めて説得力があると感じました。
20.卒業
重松作品の、傑作選といって良いと思います。
背景としてあるのは、生と死ということだと思いますが、
そこまで深刻なものではなく、普段の私たちの日常にある身近なものとして描かれています。
それは、親であったり、友人であったり、だれでも一度は経験するものです。
4つの物語はそれぞれどちらかと言えば、抑揚や起伏が少なく、
すっきりとさわやかな解決策を提示してくれるという代物ではありません。
平凡な日常を送る登場人物が身近な人々の死に直面し、
打ちのめされたり、時には事務的であったりと日々を送る中で、
亡き人とのこれまでを振り返ります。
懐かしさや、さみしさ、あらためて怒りを感じたり、
けれど、自身が年齢や経験を重ね、あの時のその人と同じ立場になってみて、ようやく理解することが出来た、といったストーリーに仕上げられています。
この物語を、今は全く理解できなくとも何年かして再読したら、主人公同様に気づくことがあり、全く違った印象を受けるとともに、自身を人として、親としても成長を感じられるのではないかと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか?
どの本もオススメなので良ければご一読ください。
その他書籍も紹介しております。
宜しければご覧ください。
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