結論編|現代アートは「アートの皮を被った哲学」【現代アートのぽわわんわん 5】
素人がコンセプチュアル・アートに感じた「違和感」の正体を探るシリーズ記事です。
【前回のあらすじ】
現代美術館で感じた違和感。
「娯楽(エンタメ)」として見に行っているつもりだったのに、その空間で「文化の研究発表(論文)」が行われていた。
見せ方のギャップによる悲しいすれ違い。
メインカルチャーとサブカルチャーの境界はあいまいで、時代が経てばどちらも同列に美術館で恭しく保護されていてもおかしくはない。
いろいろ歴史や仕組みを調べてきて、なんとなく見えてきた現代アートの正体。きっかけの疑問「現代アートってなに?」に対して、個人的にどうケリをつけるか?
「美しいもの」から「世界をどう考えるか」へ
バンクシーに見る「アートの皮をかぶった社会批評」
覆面アーティストのバンクシーは、街中の壁にゲリラ的に絵を描き、時にはオークションで自分の作品をシュレッダーにかけてみせました。
作品それ自体を見せることより、「資本主義」や「アート市場」を痛烈に批判するメッセージを届けることに主軸が置かれています。
やっていることは単なる作品発表ではなく「世界をどう捉えるか」という社会批評であり、デュシャン以降のアートの流れを汲んだ、現在における集大成と言っても過言ではなさそうです。
アートワールドの評価より、庶民の評価の方が高いのもこれまでのアートの枠組みを越えているなぁと感じました。
素人目には、パッと見わかりやすいというのが一番の強みだと思います。
これもアート あれもアート たぶんアート きっとアート
芸術は世界の見方を変えるゲームになり、正解は無限大になりました。
その意図が説明できるなら、なんでもアートになりえるんじゃないかと思えてしまいます。
一億総現代アート時代です。
普通に生きてるだけでも、それっぽく切り取るだけでアートになるなら、ある意味、創作をしている人はみんな社会活動や哲学の実験をしているようなものなのかもしれません。
現代アートは美の探究ではなく「概念の実験」
一連の流れを調べて分かったのは、「現代アート」は私がなんとなくイメージしていた「芸術(美しい絵画とか彫刻とか)」とは別の、そもそものルールを問い直す「概念の実験」だったということです。
「アート・芸術」という名前に対する勝手な印象のせいで、ややこしく感じていたのかと思います。
現代アートは「アート」じゃなくて「哲学」を名乗る方が近いような気もしますが、そうすると今の哲学界隈の人は「こっち来んな」ってなるんですかね。
コンセプト実験的なアートを作る人は「表現哲学者」みたいな名前のほうがわかりやすいような。そのへんがごっちゃだから素人から見るとますます意味がわからなかったのかもしれません。
結論:あれはアートではなく専門用語の多い「哲学」だと思うことにした
今回の調査のきっかけとなった疑問「現代アートって何?」に対する私が出した結論はこうです。
「現代アートは、アートの皮を被った哲学」
そう捉えれば、東京都現代美術館での体験も、まぁそうだよね、って感じです。謎のオリジナル専門用語で書かれた哲学の論文や、独自世界の設定ビジュアル、唐突なポエム的な文章を、何の前知識も無しに見せられたら、普通は混乱します。
「パルスのファルシのルシがコクーンでパージ」という現象と、なんとなく近いものがあると思いました。
単語や世界設定の説明を受ければ「ああ、そういうことね」となりますが、いきなり謎の単語がバババっと出てきたら訳が分からないのに似ています。
現代アーティストは中二病が炸裂している……?
それじゃあ「現代アートは、アートの皮を被った中二病」?私は中二病は好きです。
この結論に至ったことにより、ちょっと現代アートに親近感が湧いてきました。
結び:結局アートは好き嫌い?
「理解できること」と「好きになること」は別
現代アートのモヤモヤについて考えてきて、思ったことがあります。
「理解できる面白さ」と「なんか好き」は別物でいいということです。
ミステリー小説のトリックを論理的に理解して感心することと、恋愛小説を読んで純粋に心揺さぶられることは、別の体験です。
現代アートは「理解する(またはその文脈を知る)」ことで面白さを発見する謎解き?に近いものです。一方で、「わからんけど、このビジュアルは好き」と感覚的に楽しむのも正しい楽しみ方です。
美術館に行くのは、映画館に行くのと大差ないものなのかな、と思いました。「めっちゃ面白かった」でも、「そうでもなかったわ……」でも、どっちでもいい。
映画だと自然と自由な感想を持てるのに、美術だとなぜか理解できないとダメな気がしてしまう。なんで、そんな「高尚さ」みたいなものが強いのかはわかりませんが……。
お金払って入ったんだからちゃんと見よう、という貧乏性も関係している気がします。
映画館なら一定時間それなりのものが現れ続けますが、美術館だと能動的に見るので、つまらなかったら一瞬で終わってしまいます。
金払ったんだからこんな一瞬じゃヤダ
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なんとか頑張って見てみよう
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やっぱよくわからん
芸術を理解したいという欲求はみんなあるけど、その需要を満たせる箱はまだまだ少ないのかもしれません。
だからYouTubeの美術系動画が結構盛況なのかも。
さいごに
「美術館とは何か?」「価値は誰が決める?」という疑問を持つこと自体がアート体験?
東京都現代美術館で感じた「違和感」と「置いてけぼり感」。
そこから現代アートの歴史や、アートワールドという制度、文化的価値の作られ方について調べることで、ようやくあの展示(ソル・ルウィット)を見終えることができた気がします。
ここまで調べないと腑に落ちないんじゃ、そりゃ現地でイミフなのも無理はありません。
今後、意味不明な作品に出会ったら「こいつは何がしたいのか?」「自分に何を投げかけているのか?」などなど、新しい見方ができそうです。(面白くなるかは別として)
デュシャンの核心は「アートとは何か?」を疑うことでした。
私が感じた「美術館は何する場所?」「芸術の価値は誰が決める?」という疑問は、その延長線上にあります。
「なんでこれがアートなの?」と疑問を抱き、考え始めること。
それ自体が、現代アートが仕掛けた罠だったんだよ!!
なんてのは詭弁な気がします。
そういう方向に持っていかれるのは、丸め込まれているような気分になります。実は裏でそういうアート体験が仕組まれていた、みたいな感じでフォローするのはなんか違うような。
まだ釈然としないものはありますが、とりあえず、しばらく現代アートはお腹いっぱいです。ネットで見るだけで十分じゃね?って感じです。次に美術館へ行くときは、もっとわかりやすいのにしようと思います。
(おわり)
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#素人が感じた現代アートの謎
