アルコール依存症62歳男性・夏の思い出
高校生の時、学園祭やいくつかのコンテストに出場するためにバンドを組んだ。
エレキギターは中学2年生の時に親からヤマハのギターを買ってもらったが、今のようにタブ譜付き、CD音源付きという至れり尽くせりの教材などない時代だった。
中学生のこづかいで1枚100円ほどのピックを何枚も買えるわけではないので、学生服のえりにつける白いプラスチックの「カラー」をハサミでピックの形に切り抜いて手作りピックを作ったりした。

ところが中学3年生の時にテストの成績が下がったので、エレキギターは親に没収された。
その時の気持ちは覚えていない。しかし「しまった!勉強頑張ろう!」と思った記憶もない。
なんとか高校に入学したが、成績はふるわず感は無力感は高まるばかり、たまには授業や学校をサボるようになった。
しかし、学校をやめて社会に飛び出す勇気もなかった。
その高校には、父が教職についていた中学からも10名弱は進学していたが、その中の一人のサトシくん(仮名)がバンドに誘ってくれた。
サトシくんは矢沢永吉の大ファン。高校2年生の時の学園祭であと2人加えてステージに立った。
私の担当はエレキギター。曲はDeep Purpleの“Smoke on the water”、サザンの“いとしのエリー”、矢沢永吉の“世話がやけるぜ”だったと思う。
ある夏の日、音楽好きの仲間でサトシ君の家に集まったが、そのときに酒を飲んだ。
ひとりが、新品の原付バイクで来ていた。
私は調子に乗って、そのバイクに乗って外の道を走り出した。
サトシくんの家は山のふもとにあり、私はその舗装された山道を登って行った。
しばらく行くと海が見える山道。しかしそのあたりの道は舗装されておらず砂利道だった。
後ろから大きなトラックが迫ってきた。
焦った私は砂利にハンドルを取られてバイクごと転び、バイクは一部壊れた。
あごに傷を負って家に帰ったとき、父と母と妹が夕食を摂っていた。
私は学校の帰りに、道で転んだのだと言い訳をした。
傷から出血していたので病院へ行けと言われて、近所の小さな個人病院へ行った。あごを何針か縫われた。
あとから妹に聞いたところでは、私が帰ってから母は食事のはしをおいてしまい、「ケンカでもしたのだろうか」と何度もつぶやいていたそうだ。
まさか友人の家で昼間から酒を飲み、その上無免許の飲酒運転で転んで友達のバイクを壊したとは言えなかった。
こういう言い方をすると、アルコール依存症になったのが親のせいのようなひきょうな印象を与えると思うのだが、恥を忍んで敢えて書く。
言える家庭なら、よかったのかも知れない。
言える家庭なら、酒に深入りしなかったのかも知れない。
話は少し飛躍するが、成人して父から自分の父親(私の祖父)の話を聞いた時、「とにかく怖かった」と話すのを聞いた時、謎が少し解けたような気がした。
結局壊れたバイクの弁償については、持ち主が「いいよ」と言ってくれてチャラになった。彼の母親が確か学校の先生だったと思う。そのあたりの配慮があったのかもしれない。
これが今まで書けなかった「夏の思い出」
お読みいただき、ありがとうございました。
