日本帰りのプレーヤーが活躍 海外通信員コラム スポニチ 1
2011年1月5日
現在、ブラジルの経済は上向きで、ビッグクラブは若手の有能な選手を手放しながらも、ベテランで有名な選手を補強してはりーグを盛り上げている。
サントスには、昨年のW杯南ア大会のレギュラーだったエラーノが欧州から戻ってきた。ACミランのロナウジーニョはブラジルサッカー界への復帰を考えているという。興味を示しているのが、パルメイラスとフラメンゴ。コリンチャンスは、すでにロナウドとロベルト・カルロスを擁し、この2人が熱心に誘っているのが、アドリアーノ。フルミンネンセには、フランスから戻ったフレッジがプレーしている。
欧州から帰国を選んだ選手たちに混じって、日本帰りの選手たちの活躍を忘れてはいけない。
昨年12月、ブラジルリーグ1部の優勝トロフィーを手にしたのは、リオの名門フルミネンセだった。26年ぶりの優勝に貢献し、クラブの英雄となったのが元浦和のエメルソンとワシントンだった。決勝ゴールを決めたのが、エメルソン、そして、アシストをしたのがワシントン。2人にとって絶好調で迎えた最終節ではなかった。エメルソンは怪我で戦線離脱をしていたし、ワシントンはFWにも関わらず10数試合無得点だった。
不調の最中、ワシントンは、チームの勝利のためなら、自分のゴールはいらないと神に誓ったほど。
エメルソンも、ぎりぎりまで出場できるか微妙だったが、どうしてもチームの力になりたいと出場した。
2人のプレーなくしては、凄腕のムリシー・ラマーリョ監督(代表監督を辞退した)とて簡単に優勝を手にすることはできなかっただろう。
日本での経験は彼らに影響を与えていたのだろうか。
ワシントンは、浦和での経験を振り返って、こう語っている。
「いくら自分の国がサッカー王国だからといって、井の中の蛙ではいけない。他の文化、他のサッカーを知ることは、選手として引き出しは増えることで、成長につながる。さらに、異国で暮らして、未知の事に出会ったというのは一人の人間としても成長することができた。」
そろそろ引退の二文字が頭をよぎっているワシントンだが、日本での経験は、彼にとって何物にもが得難いものだったという。
「浦和のサポーターは本当にすばらしかった。日本No.1だけあって、プレッシャーも大きいけど、いい意味でのプレッシャーをもらったよ。サポーターは、その名の通り選手たちをサポートしてくれた。パイション(パッション)を持って、熱狂的に応援してくれるスタジアムでプレーできたのは、僕にとってかけがえのない思い出。日本のスタジアムは家族連れ、子どもも多く、楽しい雰囲気がある。それも大好きだった。
浦和時代は、僕のサッカー人生で、最高の時期だった。ビッグタイトルを次々に獲得し、これ以上ないというくらいすばらしい時代をすごすことができた。闘莉王、岡野、長谷部、ケイタ、名前を挙げたらきりがないけど、どの選手ともすばらしい連携プレーができた。誰からボールをもらってもゴールに持ち込むことができたんだ。最高のチームだったね。
僕は日本にどっぷり浸かろうって決めていたんだ。日本で絶対に幸せをつかむんだ!と強い決意をして、日本のやり方を受け入れて、何でも吸収して覚えようとしたんだ。自分のやり方やブラジルにこだわっていたら、だめだっただろうね。日本人と仲良くして、彼らから学んだ」
ワシントンにとって、浦和という存在は唯一無二のものだったという。
「浦和を離れる時、日本の他のクラブからオファーをもらっていたけど、僕の心は浦和一色だったんだ。とても他のクラブでプレーできるような気持ちに切り替えられなかった。だから、ブラジルに帰ろうと決めたんだ。今なら、浦和以外のクラブからオファーをもらっても気持ちの整理がついているけど、あの時点では、とてもそんな心境にはなれなかった。それくらい、浦和は僕にとって大きな存在だったんだ」
日本で自らのサッカーをブラッシュアップして、日本とのつながりを大事に思っている選手が、ブラジルサッカー界のトップにいることをうれしく思おうではないか。(大野美夏=サンパウロ通信員)
