創作物としての「行方不明展」/なぜ「怪談」は面白いのか(7)
<はじめに>
この記事はフィクションとして開催中のイベント「行方不明展」についての考察をまとめたもので、実際に行方不明になっている方を揶揄したり、また未解決事件の容疑者を擁護するものではありません。
札幌で開催中のイベント「行方不明展」。
チラシやCMなどで見る限りではオカルト要素が多分に感じられ、昨今の怪談ブームもあいまって若い世代を中心に大人気となり、来場者は1万人を超えたとのこと。
ある意味で「怪談」の一種ともいえると思い、足を運んでみた。
人は何に惹かれ、「行方不明」に何を思うのか……。


イベントを知らせるポスターから感じられるのは、「欠落」。
私は事前に日時指定券を購入して訪れたが、当日券で入ろうという無計画な楽天的な傾向の方々も少なからずいたようだ。
会場は、以前スポーツクラブとして営業していた建物を改装している模様。


会場内撮影OKとの案内があり、バイラルでの広告効果を熟知している有能さを感じさせる。
会場で得られるものを損なわない程度に、展示の方向性を示したい。

会場内はいくつかのカテゴリーに分けて「行方不明」をテーマにしたアートが展示されている。
そのアートには妙なリアルさがあり、実際の事件を想起させるものもある。
また異世界とのつながりを思わせるもの、精神的な疾患をイメージしたと推測されるものなど、「行方不明」という結果に対する数々の「WHY」がストーリー展示として提示されている。






「行方不明」。
人が行方不明になったとき、周囲の人間は訝しみ、探し、怪しむ。
共通するのは、「なぜ」という答えのない問い。
事件。
事故。
失踪。
神隠し。
外的な要因を疑った後、自らの記憶を疑う。
自らの存在を疑う。
世界の成り立ちを疑う。
答えを得ることができたものは幸いである。
だが、そうしたものは少ない。
行方不明とは、
「日常に隣接した、極めて現実的な非日常」
……なのではないか。
その境界のあいまいさゆえに、私たちはそれを認識することができない。
曖昧模糊とした「オソレ」こそが、ひとびとを惹きつけているファクターなのかもしれない。
帰りしなに買ったガチャ。

あけると……メッセージの書かれた紙。

「お父さんはもう大丈夫になったから探さないでください」云々の記載。
札幌での「行方不明展」は11月24日まで開催中だ。

