狩野芳崖の人生*役人から無職へ。一門の掟?そんなの知らん
狩野家。
その響きには、
400年の歴史をもつ由緒正しい最強の御用絵師という
イメージがつきものだ。
ただし、狩野家一門といえども芳崖の人生は、華やかなものではない。
修行中は一門の型を守ることが優先で個性を否定され、
ようやく独り立ちしようと思った頃には幕府も仕事も無くなった。
倒幕後は長く暗い不遇の時代を過ごし、
妻の内職に支えられる人生だったが、
50歳を過ぎてやっと、
近代日本画を求める時代の流れとマッチして
名を知られるようになった男の物語である。
サレブッド誕生
1828年、芳崖は長府藩の御用絵師の家に生まれた。
周囲の推薦もあり若くして藩費で江戸へ出て、木挽町狩野家に学ぶ。
そして人の倍のスピードで画塾のカリキュラムをこなし、
入門から数年で塾頭にまでなっている。
若き日の悩み
才能あふれるサラブレッドだったわけだが、
芳崖はずっと悩んでいた。
当時の狩野派は「粉本主義」という、
優れたお手本を精巧に再現することこそ大事、という考えをとっていた。
狩野家一門として仕事を受注するには、
それぞれの画家が個性を出す必要がないからだ。
それは品質を均一化させることには役立つが、
チャレンジングな画家の意欲を満たすものではない。
芳崖もまた、型にはめられ抜け出すことを許さない
一門の掟に苦しんでいた。
その芳崖の悩みは、彼の名前に現れている。
もとは、狩野家の古法の外に出るという意味をこめて
「法外」と名乗ろうとしたが、
それはあまりに雅でないとの友人のアドバイスで、
「芳崖」と号したとされる。
伝統のど真ん中にいながら、その殻を破ろうともがいていたのである。
幕末の動乱と転落
けれど、幕末の激動は彼の人生をも巻き込んでいく。
1860年に32歳にして江戸城本丸再建に伴い
障壁画の制作を依頼された芳崖だが、1864年には禁門の変により、
長州藩が朝敵とみなされ長州征伐をうけると、
画家である芳崖も江戸にはいられなくなった。
とはいえ地元に戻った後も静かに絵を描いているわけにはいかず、
測量図制作などに携わりながら過ごしていた。
しかしついに幕府が倒れ明治政府になり廃藩置県が行われると、
芳崖も禄を失い、御用絵師という身分も生活基盤も失うことになった。
生きていくため蚕を養うことにしたが、
武士の商法さながら、あっさり失業してしまった。
妻の内職によってなんとか生きていた芳崖一家だが、
絵師として生きていく可能性を諦められず、再び江戸へ戻ることにした。
江戸での貧困生活
当時の江戸では南画系山水が売れていたのだが、
芳崖は売るための絵を描くことができない。
自分の描きたい絵を描いてしまう。
だから結局江戸に来てからも妻の内職頼りの生活を送っていた。
その頃友人の橋本雅邦は、
島津家から「犬追物」の制作を頼まれたのだが、
困窮を極める芳崖のために雅邦は辞退し、代わりに芳崖を推薦してくれた。1879年、芳崖52歳の時である。
この頃から少しずつ人生が好転していく。
画壇の中心へ
1882年には、第一回内国絵画共進会に出品した作品が
フェノロサに高く評価される。
日本の伝統を踏襲しつつも、
日本画の近代化を進めることが必要だと訴えるフェノロサと、
狩野派の技術を持ちつつ創造性を発揮したいと考えていた芳崖の
利害が一致していたからだ。
ここから芳崖は、日本画革新の中心へ入っていくことになる。
フェノロサの友人で大富豪であるビゲロー氏の支援もあり、
芳崖は思う存分に新作に取り組むことができるようになった。
また、フェノロサ夫人が伊藤博文を鑑賞会に招き、
芳崖の「仁王捉鬼」を説明したところ、
伊藤も「日本画もやり方によっては十分洋画を凌駕するものだ」と
感嘆させたことがきっかけとなり、
伊藤は芳崖に一幅の絵を依頼することになった。
ちなみに、絵を制作するには依頼人を知らねばならないとの理由で
芳崖は伊藤の自宅を訪ね、3時間休憩もなしに熱弁をふるったらしい。
伊藤は困惑したが途中で遮ることもできず、
その後の約束にも遅れたという武勇伝を残している。
結果として出来上がったのが、縦3m×横2mの超巨大な「大鷲図」だ。
それを見て伊藤は一体どんな感想を抱いたのだろうか。
1884年には文部省御用掛となり、1888年には東京美術学校教授となるが、皮肉にもその開校を前に没してしまう。
ようやく時代が彼に追いつき、
日本画教育の中心で次世代を育てようとしたと同時に、
「悲母観音」が完成しかけていた時だった。
まとめ
波乱万丈という言葉がピッタリ似合う狩野芳崖。
ある時までは必要とされた仕事が、
あることがきっかけで不要となり、身分も仕事も失ってしまう。
しかしそれは、何も幕末~明治への混乱の時代特有のことでない。
いまだって、生成AIの発達で
皆と同じように振舞えたり、
沢山の知識を持っている人が稼げた時代から、
強烈な個性がなければ埋もれてしまう時代へ変わり、
ホワイトカラーの失業危機が盛んに叫ばれるようになった。
そんな今、自分がどう生きるかについて、
狩野芳崖の人生から学ぶことがあると思う。
