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「そ」がない私[エッセイ]

上野駅の中央改札で待ち合わせをした。

上野の中央改札を利用するのは十数年ぶりで、ここ、昔からこんなに美しかったっけ?としばし惚けた。
中央改札入ってすぐの場所に線路の終端があった(頭端式と言うらしい)。東京に住んでいると山手線の途中駅という認識の方が強い上野は、正しく発着駅なんだなと感じた。

改札から壁の区切りなく広がる地上ホームの上には高架ホームが重なり吹き抜け状になっていて、上野駅はごみごみしていて天井が低く、頭上注意の黒と黄色のシマシマだらけと思っていたけれど、眼前の景色はびっくりするぐらい開放的で”よく”て、ぎゅっと胸の柔らかい部分をつかまれた。

子供の頃の記憶の方が圧倒的に強烈なので、上野駅はいつでも工事中のイメージがある。上野駅と品川駅と…母と歩いた薄暗い通路、強めに引っ張られる腕の鈍い痛み(私が子供の頃なぜだか母はいつも急いでいた)。

中央改札の内側をぶらぶらしていたら、石川啄木の歌碑を見つけた。

ふるさとの 訛なつかし
 停車場の人ごみの中に
そを 聴きにゆく

石川啄木

不真面目な学生だったので、「そ」がなんなのかという事に気が付いたのは、結構な大人になってからだ。

子供の頃は「そ」という特別な何かがあると思っていた。
「そ」というスペシャルな何か。大人しか知らない類の、特別な、けれど大人になったら皆が知る”はず"の「そ」。

この歌は上野だったのか。まじまじと歌碑を見る。
今日まで私の中にいた啄木は、舗装されていない地方のバスロータリーに居たし、なんなら背中に母を背負っちゃってるし、背負ったまま3歩4歩は歩いちゃってる…なんかいろいろ混じって間違ったイメージが膨れ上がっていたな。と、少し恥ずかしい。
そうか停車場は電車のそれで、啄木は東京にいて、そして啄木はひとりか。と、しみじみ気がつく。
恥ずかしいけれど、今日までの私の中にいた啄木の方が少しだけ幸せそうだな、とも思う。

母は大学入学のために広島から上京してきた。
当時、広島-東京間は12時間かかったらしい。東京初めての地が上野だったのかどうかはさておき、その時の母の心境はいかようだったのかと、2階の高架ホームに止まる電車と、1階の椅子に疲れたように座っている親子、両方を同時に目に入れながら、また胸の奥をぎゅっとつかまれる。

地元の短大に行くつもりだった母は「薬学志望の友達の話を聞いてたらいつの間にか」「そんなつもりは無かったのに」上京していた。らしい。

18の母は遠く遠く離れた場所で「そ」を求めただろうか。

流されて広島からやってきた母と、貧乏で医学部に受かったと親に告げられなかった父は、薬学部のキャンパスで出会った。たまたま。

そしてたまたまの賜物の私がいる。
私は千葉で生まれて神奈川の大学に進み、今東京で暮らしている。
今も大学の時も1時間半も電車に揺られたら実家に帰ることができる。

私には故郷がない。正確には郷愁なんてもんはわからない。
大人になったら知ると思っていた「そ」が私にはないのだ。
故郷が無い私は、故郷が無い分、決定的な何かが欠けているのかもしれない。と、よく思う。
故郷が無いことはある意味とても便利だけれど。

そんな事を考えていたからか、待ち合わせに現れた夫に、上野駅の向かいにある100年続くレストラン「じゅらく」でお昼を食べようと提案した。
「じゅらく」は中3の時、子供だけで初めて入った「東京のレストラン」だ。
友達とふたり、中3の私たちが出来うる限りのぎりぎりの背のびをして入ったレストラン。緊張でカチカチになった私たちは、4人席のソファー側にふたりで並んで座るという珍妙な形態をとった、覚えがある。
中3ぶりに入った「じゅらく」でカツライスを食べた。あの日の私が何を食べたかは覚えていないので、もう懐かしいかどうかもわからない、店だって完全に改装されていた。

けれど「じゅらく」で(今日はきちんと)夫と向かい合わせで座りながら、また、胸の奥の柔らかいところがぎゅとして、もしかしたら、こういうものが私の「そ」の欠片かもしれない。とも思うのだ。
カツライスで舌を火傷しながら。

おわり


地中海性気候さまの企画に参加させていただきました。
楽しかったです。ありがとうございました。
オクノモト

歌碑

創作大賞に応募させていただきました(2025.5.27)

#創作大賞2025
#エッセイ部門

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