カセットウォークマンのコンセプトからSONY Discmanが生まれた歴史(1984-1985)
1984年。
音楽の世界では、まだ「CD」という新しいメディアが生まれたばかりでした。
レコードに代わる新しい音楽メディアとして登場したCDは、音がきれいで、ノイズが少なく、レコードのように針を落とす必要もありません。
しかし、当時のCDプレーヤーは決して小さくありませんでした。
幅40センチ級の大形の箱にぎっしりとオーディオ回路が詰まっていました。
重さは10キロ。
そして価格は16万円越え。現代に換算すると30万円ほどになるかもしれません。
ところがです。
「こんなに便利なCDを、家の中だけで聴いているのはもったいない。」
そう考えた技術者たちがいました。
そしてSONYは、ある挑戦を始めます。
「CDを持ち歩けるようにする」
これが、後のDiscmanにつながっていきます。

まず、CDプレーヤーを小さくしなければならない
SONYは1982年、世界初のCDプレーヤー「CDP-101」を発売しました。
CDという新しいデジタル音楽の時代を切り開いた製品です。
しかし、CDP-101は家庭で使う据え置き型。
これを、そのまま小さくすればいい。
……というほど簡単な話ではありませんでした。
CDを回す。
レーザーで情報を読み取る。
読み取ったデジタル信号を処理する。
そして、それを音楽として出力する。
これらの機構を、持ち歩けるサイズに詰め込まなければなりません。
しかも、電池で動かさなければならない。
現在の感覚からすると、
「じゃあ小さくすればいいじゃないか」
と思ってしまいます。
しかし1980年代前半です。
今のような小型・高性能な半導体やモーターが簡単に手に入る時代ではありません。

技術者に与えられた「木製の模型」
SONYの歴史資料によると、当時のゼネラルオーディオ事業部長は、技術者たちに一つの木製模型を見せました。
その大きさは、
13.4cm四方、厚さ約4cm。
CDケース4枚ほどの大きさでした。
そして、そのサイズにCDプレーヤーの機能を詰め込むことを求めたのです。
これが、かなり無茶な要求でした。
しかし、技術者たちは挑戦します。
部品を減らす。
消費電力を下げる。
LSIを小型化する。
光学ピックアップを小さく、薄くする。
こうした努力を積み重ね、ついに目標サイズのポータブルCDプレーヤーを完成させました。

そして1984年、「D-50」が登場する
1984年。
SONYは世界初のポータブルCDプレーヤー、
「D-50」
を発売します。
現在の感覚では「ポータブルCDプレーヤー」と聞くと、薄くて軽い機械を想像します。
しかし、D-50は現代のポータブルCDプレーヤーとはかなり違います。
本体重量は約590g。
大きさはCDケース4枚ほど。
お弁当箱。または国語辞典。
それでも当時としては画期的でした。
何しろ、
CDを持ち歩いて聴ける。
これまで家庭のオーディオ機器で聴くものだったCDが、外へ持ち出せるようになったのです。
SONYによれば、D-50は5万円を下回る価格で発売され、大きなヒットとなりました。
そして、この製品がCDの普及をさらに加速させることになります。

「音楽を持ち歩く」という発想
ここで重要なのは、D-50が「小型CDプレーヤー」だったということです。
SONYには、すでに大きな成功例がありました。
それが、
ウォークマンです。
1979年に登場したウォークマンは、
「音楽を持ち歩く」
という新しい文化を作りました。
そして1984年。
今度は、
「CDの音楽を持ち歩く」
という新しい挑戦が始まったわけです。
カセットからCDへ。
アナログからデジタルへ。
そして、
家庭から外へ。
音楽を聴く場所そのものが変わっていきました。
ただし、最初から「快適」だったわけではない
ここが、現在のポータブルCDプレーヤーしか知らない人には面白いところです。
初期のポータブルCDプレーヤーには、現在当たり前になっているような高度な音飛び防止機能はありませんでした。
CDを回転させながら、レーザーで情報を読み取る。
そこへ衝撃が加われば、読み取りが乱れる。
技術者たちは、
「どうすれば歩きながらでもCDを聴けるのか?」
という問題と戦うことになります。
その後、各社が競うように音飛び防止技術を発展させていきます。
現在の「ESP」「G-PROTECTION」などにつながっていく、まさに技術競争の始まりです。
D-50から始まったポータブルCDの時代
1984年のD-50は、現在見ると決して小さくありません。
590gという重量もあります。
しかし、当時の技術者たちが目指したものを考えると、見え方が変わってきます。
彼らが作ったのは、
「小さなCDプレーヤー」
ではありません。
「CDを持ち歩くという未来」
だったのです。
SONYの公式歴史資料でも、D-50は「世界初のポータブルCDプレーヤー」とされ、CDの普及を大きく加速させた製品として記録されています。

そして、この機械には一つの名前が付けられた
その名前は、
Discman(ディスクマン)。
「Walkman」という名前がすでに音楽を持ち歩く文化の象徴になっていたSONYにとって、CDを持ち歩く製品にどんな名前を付けるのか。
そこで生まれたのが、
Disc + man
という名前でした。
しかし、この名前が単なる商品名を超えていくことになります。
やがて「Discman」という言葉を聞くだけで、
「持ち歩いてCDを聴く機械」
を思い浮かべる人が増えていったのです。
次回は、この「Discman」という名前そのものに注目してみたいと思います。
なぜSONYは「CDプレーヤー」ではなく「Discman」と名付けたのか。
そして、この名前は世界の人々にどんなインパクトを与えたのでしょうか。
Discmanは、単なる製品名ではありませんでした。
それは、
「音楽を持ち歩く」
という文化を、次の時代へ運ぶ名前だったのです。
